15 100時間点検・FOD除去作業 #34
敷島先生は機体から降りると、私たち部員に指示を出した。
「明日からしばらく悪天候になるから、今日からこのまま一〇〇時間点検をするからね。一年生もあそこの準備室にあるキャップを被って先輩に従い、分担して作業をしてください」
先生の指示を聞きながら髪留めの紐をほどき、元のストレートに戻した。
それから燃料を補給し、機体が格納されると桜ヶ丘先輩は赤い工具台を推しながら運び、鳳部長と工具の確認を始めた。私たちも格納庫のちょっとした場所——掃除用具やバラバラになった何かの部品がそのままになっている部屋のようなところからキャップ帽子を取り出した。これは万が一機体の整備中にエンジンオイルやその他の液体が目に入るのを防ぐ役割があると座学で習った。
「そしたら一年生は機体拭きで愛寿羽っちと悠喜菜っちは、特に普段拭かない翼面下を重点的に、華雲っちと雅……
『ラジャー』
「力って何だよ。俺は雅力なんだけれど……」
「ではそこにウェスがあるから使うのさ。撫でるように優しく拭くのがコツさ」
先輩に指示されたウェスらしき布を華雲が手に取った。
「先輩、この比較的キレイめな雑巾であっているのですか?」
「はっ!」
先輩が突然動揺しオロオロしだす。特に変な質問をした訳ではなかったように思えた。
「『彼女(機体)』にぞうきんとは心外さ」
「バカ有斗、華雲っちにちゃんと説明をしていないでしょうが」
「えっと、グライダーのTFUNが彼女ってどういうことですか?」
「それは……その……なんでなのさ? 楓は分かるのさ?」
「……え? 確か……」
二人の会話に間が開く。
「華雲は映画で車や船、機械に対して『彼女』という表現は聞いたことあるか?」
悠喜菜が間に入って華雲に説明を始めた。
「あるような、ないような」
「ひょっとして華雲は英語字幕で映画、観たことないだろ。もっと英語の繊細な部分に触れなきゃな」
普通吹き替えか、せいぜい日本語訳じゃないの? それはそれで意識が高いと思った。
「でも楓はね、いろいろな道具や機体を愛していれば自ずと綺麗になるのと、一緒に心が通う気がするって信じているから」
「また楓の八百万百論がでたさ」
急速に頬を赤く染める先輩。
「いい加減にしないと、あんたの初フライトの出来事をバラすよ。青い顔をして機体から降りたかと思うとそのまま——」
「ヒーそれだけは勘弁して欲しいのさ」
清滝先輩の初フライトのことは今度こっそり聞いてみよう。
翼面下の汚れはオイルが少し散っているだけで、落とすのに手こずるような汚れではなかった。先に作業を終えていたので、前縁拭きの手伝いを始める。華雲は何やら険しい表情で翼を眺めていた。そこへちょうど様子を見に鳳部長がやってきた。
「鳳先輩、前に座学でやったのですが、どうして雨が降ると飛べなくなるのですか?」
「そうだね今泉、試しにその左手に持っているウエスを絞って、翼面に水滴を垂らしてみて。他の一年生もよく見ておいて」
華雲を囲んで翼の周りに集まった。
「こうですか」
「水滴の様子はどう?」
私たちも注視したが、特に翼後ろにスーッと流れるだけで他に変化は起こらなかった。
「きっと皆はたいしたことが無いように思えるけど、翼面が狭いグライダーでは、空気の流れが悪くなってしまうと? そうだ今ちょうど航空力学を勉強している桜ヶ丘なら答えられるかい?」
「そうですね、低速回転に最悪失速してしまいます」
「そしてそもそも雨天時の飛行は? 清滝」
「雲が多くなると視程が悪くなるためですさ。よって有視界飛行(VFR)の条件を満たせないですさ」
眉をひそめる華雲。
「失速の件は今の説明で大丈夫なのですが、この前ちょっとだけでてきた有視界飛行方式、VFRの条件って何ですか?」
「ラジャー! 二年生は次回の座学でVFRとIFR(計器飛行方式)について教えてあげて」
「了解ですさ!」
「そしたら今泉と竹柳、こっちに来てまずはこの指示表にある通り、エンジンのカウリングを外して」
マイナスドライバーを鳳先輩から手渡された華雲の表情は良い意味でワクワクしているようだ。私たちは先ほどの作業を終わらせるべく再び翼面まで戻る。華雲たちの作業を横目に見ながら汚れを拭いていく。
「わかりました、あたしに任せてください」
指示書通りに、エンジンを覆っているカウリング部分のネジを緩める。
「まずはコンプレッサーチェックとマグネットスイッチから始めるよ」
エンジン内部にあるピストンは基本的に吸気、圧縮、爆発、排気の順で回っていて今回は圧縮の圧力と爆発の点検を行う。
「そしたら次にオイルチェックね。まずピンを引き抜くから、指がかけられそうな場所を……」
「コレですか?」
「今泉! プロペラに腕を突っ込んだら危ない!」
「え⁉ なに?」
竹柳君が華雲の首の襟をグッと掴み引っ張った。
「エンジンが何かの拍子に回り出して、プロペラが回ったらお前の腕、真っ二つになるぞ」
「……そうなの、ありがとう竹柳くん」
「お、おう。気をつけな」
「竹柳、君の行動は正解だ」
鳳先輩が竹柳君を褒める。
「父の整備工場で最初に習ったのを覚えていたからです」
「特に飛んでから時間が経っていない機体は気を付けるように」
以前から竹柳君は、みんなから微妙に距離を置いていることを知ってはいたが、こんな一面を持っているなんて意外だった。しゅんと気を落としている華雲に、肩を軽く叩きながらもう一声かける。
「失敗は誰でもあるから気にすんな。ほら、これを押さえてて」
「うん……」
華雲は竹柳君と鳳先輩の手伝いをするように、エンジンの目標パーツ部分まで分解していく。
私たちが翼や機体の胴体下面を拭き終わると、休憩かと思いきや次の作業を任された。
「よし機体拭きが終わった組、次はエプロンの草抜きと石拾いをやろう」
まるで農家の娘のようなかっこうで、作業着に鎌と袋を持った桜ヶ丘先輩が格納庫のエプロン側に立っていた。
「だるいなー、こういうのやってくれる業者とか居ないのかよ」
私は苦笑いしながらぶつぶつと文句を言っている悠喜菜の袖を引っ張りエプロンまで連れていく。絶対にサボらせないと念を込めながら。
西日が差す中、アスファルトの間から頭だけ生えている細かい草を抜くのになかなか苦労し、しばらく悪戦苦闘をしながら作業を進めた。
「バーナーとかないのか? 草燃やした方が早くね」
「空港場内は火気厳禁だわ悠喜菜ちゃん。明日、新聞の一面を飾りたいのなら話は別だけれど……」
「それにしても怠いなー。あと愛寿羽の立派なお尻のせいで、幸せそうにしている雑草取れないんだが」
不意にスカートの中を覗かれているのではないかと慌てて裾先を確かめながら整える。だが特に捲れているとかはなかった。
「悠喜菜ちゃん、また変なことを言わないで!」
「怒る愛寿羽も可愛い、可愛い」
私は若干ため息を漏らし再び雑草に向き合う。始めに比べればややコツを掴めたので、ホイホイと抜いてはバケツに放り込み、いっぱいになる頃に路面は灰色アスファルトに黄色の誘導線がハッキリと見えるようになった。
「大体こんなものでしょ、愛寿羽格納庫へ戻ろう」
悠喜菜は満足した様子で両手を腰に当てた。私も泥だらけの手を洗いに格納庫へと向かう。途中桜ヶ丘先輩にすれ違う。
「FOD除去作業お疲れさん」
「これって何の意味があるんですか?」
悠喜菜が先輩に質問した。
「FODはForeign Object Debrisの略でようは滑走路とかに落ちている異物の総称。プロペラやジェットエンジンが小石を巻き上げて破損をさせたり、人体に怪我をさせたりを防ぐのに重要な作業だよ」
「なるほど愛寿羽を見ていた雑草はそういう運命なのか、難儀だな」
「……」
機体の側を通ると各項目を終えエンジン復元の作業をしてる様だった。
「なかなかネジ締め上手いな」
「えへへ、そうかな?」
華雲はすっかり機嫌を取り戻し、いつもの笑顔をみせていた。
「あいつら良い雰囲気じゃね、どう思う愛寿羽?」
「竹柳君も思っていたよりもずっといい人かもね」
「りきくん! それでここへエンジンオイルを四リットル入れて、それであたしの方はオッケーだから」
「ラジャー」
それから一五分もかからず、エンジンを元通りに組み上げすべての作業を終わらせた。
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