14 滑空での着陸 #33

「ところで、二稲木はどこら辺に住んでいるの?」

「八王子駅のすぐそばです」

「よし! じゃあ、見に行こうか。確かあの辺は親高町おやたかちょう夕日町ゆうひまちだよね?」

 どうやら冗談ではないみたいだ。

「本当に行くのですか?」

「八王子近辺に在住組の恒例行事ということで、空から自宅周辺を見てみよう、ってね。ちなみにさっきは今泉の家と周辺を見に行ったぞ。高碕さんの国分寺は少し遠かったが……。でもどう? 自分が住んでいる街を空から見物するのは」

「確かに面白そうですね。いつも部屋から見下ろしていますが——」

 山岳部を超えると徐々に建物が増えていった。眼下には中央線だろうか、オレンジ色の電車が建物間を縫うように走っている。途中の踏切を約一〇秒かからずに通過していった。相当なスピードが出ているとは思うが、上空から見るとゆったりとしている。何より田舎とは違ったジオラマのような風景に圧倒された。

「この辺りはちょうど中央線高尾駅たかおえき西八王子駅にしはちおうじえきの間だけどどう?」

「すみません、ここはいまいち土地勘がなくて……」


 もう少し飛んでいくとチャート図が示す西八王子駅に近づく。ついさっきまでまばらに散らばっていた建物の密度が高くなる。やがて見覚えのある高さの建物を見つけた。最初からうっすらと視界に入ってはいたが、それだなんて思わなかった。普段から見上げるのと、上空から見るのとでは全く別の場所にあるのだと錯覚させられる。

「見えました。あの右側の高い建物です」

「なるほどそこか。じゃあ今度遊びに行ってみよう。ちょうど屋上に着陸すれば遊びに行けるかな?」

「先生まで皆と同じことを……」

 地上五八階へ侵入出来る空飛ぶ忍者がここにいた。法的にまずい気がするのだけれども。

「もちろん冗談だよ。でもあそこなら買い物も便利でしょ?」

「そうですね、おかげで雨に濡れずに済みます」

 今思えば傘を差さずに地元の駅まで帰るのも、海外へだって行ける。

「あとあそこには、おいしいレストランがあるんだよね」

「実は私まだこっちに引っ越したばかりで……」

「そうか、そうだった。ちなみにどこ出身だっけ?」

「北海道北見市です」

「なるほどそういうことか、君がか……、先生もそこに知り合いがいるよ、そうだねちょうど君と同じように空に上がった途端目つきが変わる人だよ」

 敷島先生は腕時計にちらっと目を向けた。私も目線を動かしフライトタイムを見てみると、すでに七〇分と表示されていた。

「そろそろ学校に戻るよ。無線は先生がやりますから針路〇三〇のままで、まっすぐ飛んでみて。You have control」

 操縦桿を託された私は、とにかく水平で尚且つ針路をずらさないように飛ぶことに集中した。

「傾き、ピッチのズレ、速度の変化も無く安定していて、特に問題はないね」

「ありがとうございます」

「この機体も早くフライター対応になれば良いんだけどね。そうすればログとかも書かなければいけない項目が減るからね。そういえば二稲木も誰かさんみたいに、無くしていないでしょう?」

「もちろん大切にしまってあります。ちなみにそのデバイスは、一体いつから存在しているのですか?」

「そうだね、全航空機に対し実用化をする噂になっていたけれど、ちょうど六年前にピタッと話がなくなって今となっては開発が進んでいるのかどうかも分かっていないんだよ。ただLogarisにはあれがないと起動しないんだ。現在も密かに誰かが引き継いで研究をしているとか。いずれにせよ改造キットを入れれば簡易的な記録を取ることは可能だよ」

 また六年前……。どうしてこんなにも私にデジャヴを感じさせるのだろうか。

 少し考え事をしているうちに学校の滑走路が見えてきた。

「よし。それじゃあ、次はモーターグライダーならでは、エンジンを止めて滑空着陸をしてみるからね。I have control」

 慣れた手つきで先生は無線以外の計器スイッチを全て切っていく。なぜ滑空するのに飛行に必要なスイッチまで切っていくのか疑問に思い質問した。すると先生はすぐに答える。

「滑空するには当然エンジン・カットするけど、それは同時に発動機も止まる。計器は意外と電力を食うから、案外すぐにバッテリーが上がってしまうんだ。着陸したあとエンジンがかからずエプロンまで引っ張っていくのはイヤでしょ? だからそれらを防止するために必要最低限を残し全て切ってしまうんだよ。はい、パターンに入るよ。ライトサイド・クリアー」

 先生はエンジン出力を絞り、油温と油圧を指差し確認をした。異常がないことを確認すると軽く頷いた。

「はーい、エンジン・シャットダウン」

 パチンという音とともに、イグニッション(点火装置)が切られると、プロペラはカラカラと音を立てながら、数周空回りしたあとピタッと止まった。

「お、度胸あるね。エンジン切った瞬間驚く顔を見るのが楽しみだったのに」

「過去に乗ったことがあるピュアグライダーとよく似た感覚でしょうか」

「ははー、グライダーの愉しさをしっているわけだ」

 先生は無線を入れ、管制の言葉を復唱のちに無線までの電源を切ってしまった。私はむしろそこに驚いた。他の無線が聞けないというのは、周辺の情報を取得出来ないのでどういう状況になるのか次に電源を入れるまで分からなくなってしまうから。

「そうしたら学校の上を通過してから、右旋回で向こうの中央道八王子インターを目標にして滑空してみて。ここからはフラップをプラス一五にセットし、速度は七〇ノット厳守。You have」

「I have」

 プロペラが止まったモーターグライダーは、とても静かだ。風を切るようにしながら空を下っていく。機内にはヒューとまるで強風の日の窓辺から聞こえる音と似た風切り音が響く。

「ボールを滑らせないように降下しながら直線に飛行をしてください」

「ラジャー」

 コックピットから外を覗くと校内を歩いている人の人数、さらに制服から性別を判断できるぐらい鮮明に見ることができる。

「お、あれを見て。学校の恋人同士が隠れて過ごす穴場も上からだとこの通り丸見えだ。どうやら今日も一組いるみたいだね。ハッハッハ」

 先生は得意になって話す。実は飛桜の上空監視を任されていて、常日頃から生徒のすぐ上で風紀を守っているのではないだろうかと一瞬考える。噂で『飛桜で花火をしようとしたところ、普段は巡回しない場所に先生がやって来た』と耳にしたことがあるので、もしや。

「それで……、もちろんこのとこはグライダー部だけの秘密にしておいてね」

「あ、はい」

 機内横の小窓から地上の様子をうかがうとそのカップルが抱き合った。その刹那姿勢が乱れる。特に意識したわけではないのだが、胸がきゅっと締まる。どうしてだろう。

「えっと、姿勢維持ね」

「……はい」

 何も見なかったことにしたと思いながら、意味もなく計器の確認を行う。

「では右旋回」

「ライトサイド・クリア」

 頭の片隅に先ほど見た光景をフラッシュバックさせないように集中しながら旋回を続ける。先生の指示していた中央道の八王子インターが正面に見えてきた。

「このままダウンウィンドレグに入るね。I have」

「You have control」

 先生の指示通り操縦を代わった。滑走路を見ながら旋回のタイミングをうかがう。

「スロットル、エンジン油温、トリム、ギア、エアスピードチェック。ライトサイド・クリア、さてファイナルだね。吹き流しを見ると、現在の風はCalm(無風)だね」

 ゆっくりと滑走路が近づいてくる。速度がじわじわと減っていくのと同じように、風切り音も収まっていく。

「それじゃ、アプローチ・ランウェイ、センターラインの延長線上にアライン」

「ランウェイ・アライン」

「左側に見えるPAPIを白白赤赤に維持したまま、大きなエイミングポイントの少し手前を狙って」

 PAPI(進入角指示灯)は四つの穴から角度によって白と赤の光の数が変わってくる。白色の光が三個以上見えると滑走路に対し高度が高すぎで、滑走路の目標地点を越えてしまうことで、制動距離が長くなり危険。逆に赤い光が三個以上だと、低すぎるため滑走路手前のライト等に接触する恐れがある。そうならないためにも適正な角度を保ちながら、進入する必要がある。

「あそこにある大きなエイミングポイントに向かってまっすぐ飛んで」

 ゆっくりと確実に滑走路へ近づいていく。山も徐々にその影を落とし、立体的に感じられるようになる。高度を落とすのと同じように、空から現実へと引き戻される感覚を味わう。

「気持ち流されているよ、センターから少し右にズレてる」

 慎重にコースの修正を行った。

「センターラインが自分のまっすぐ下に来るようにイメージして」

「了解しました」

「接地までの高度一五〇フィート、ナイスアプローチだったぞ! 初めてモーターグライダーに乗るにしては上手すぎるぐらいだ。あとは操縦代わるよ。I have」

「ありがとうございます。You have」

「でもあまり過信しないこと、皆にしっかり教えられるぐらいまで勉強するように」

 着陸寸前でタイブブレーキを立ち上げると速度が一気に削られ、次第に風を切る音が止んだ。機首を上げるが接地まで意外と間があるように思えた。


『ピーピピピピ(失速警報装置の音)』


「キュッ」とタイヤが接地した音を確認し、先生はラダーで中心からはみ出さないように制御しながら減速していく。

「油温確認、イグニッション・オン、エンジン再スタート、コンタクト」

 先生は合図とともにエンジンを再スタートさせた。エンジンの回転を素早く合わせると目にも止まらぬ早さで計器スイッチの電源を入れていき、無線の送話器を手に取る。

「えー、本日はこれで終了です。ありがとうございました」

『JA2778HSお疲れ様です』

「飛んでいると時間が経つの、早かったでしょう? いいね、何か思い出した表情をしているね」

「そうですね、久々にこのたぎる感じを味わいました。ありがとございます!」

 空に上がった直後に感じていた、体の奥から沸き立つような感覚がたまらなく好き。


 エプロンまで機体を進めていくと、給油スペースからホースをだらーんと伸ばしながら、数人が準備をしているのが視界に入った。

「パーキングブレーキ・セット、チェックリストを出して」

「了解しました」

 私はエンジンを止めるためのチェックリストをこなし、エンジンを停止させた。

「スイッチ・オールオフ」

 機内から両手をクロスさせ、エプロンに待機している部員に合図を送った。

「この様子だと、ソロフライトは早く出来そうだね」

 そう口にしながら先生は訓練ノートを渡してくれた。

「でも二稲木は物事がハッキリしないと納得いかないタイプだから、あんまり考えすぎないようにね」

「なんだか昔同じことを言われた気がします。何故でしょうか、先生と乗っているとピュアグライダーで訓練していたのを思い出します」

「そうか、きっと先生の知り合いかもね。ほら、航空の世界は案外狭いって言わない?」

 先生はポケットに手を入れた。

「ちなみにその人ヘビースモーカーでしょ?」

「そうですねこまめにタバコを吸っていた気がします」

「だろうねー。さて今後も予習と今日のフライトの復習をしっかりこなしてください」

「はい、今日はありがとうございました」

 こうして私のモーターグライダーでの初フライトは、一時間三〇分ほどの飛行でハ合ったが、とても有意義な時間になった。


 飛桜ここに来てよかった、おかげで空はやっぱりいつだって楽しいところだという、大事なことを改めて思い出すことができた。

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