13 久しぶりの初フライト #32

 機体がぶる、ぶると震えだした途端エンジンに勢いがつき、回転計を一瞬大きく上昇させた。先生はすぐにスロットルを絞り一〇〇〇回転に合わせてくれた。

「オイル、アビオニックスと計器スイッチ、フリケンシーを飛桜にセット、スコーク一二〇〇確認」

 よく分からない項目は、先生に手伝って貰いながら手順を進めていく。ゆっくりやれば、どうってことはない。ところがそれが空へ上がるとそれは別物になるということは知っている。

「地上滑走前チェックリスト・コンプリート」

「ラジャー。JA277HS——」

 敷島先生は無線を使いタワーと通話を行う。英語だということは分かったが、まだ具体的な内容を勉強していないので指示の理解までは出来なかった。それでも何とかRWY15に向かうと言うことだけ分かった。

「どっちの滑走路に向かうか聞き取れた?」

「RWY15だったと思います」

「正解。Taxing down RWY15」

 先生は無線機を戻すと私に言う。

「よし、訓練生だし、操縦桿を下げたままでパワーを入れて、自分でタキシングしてみようか。ラダーペダルが重いから頑張って」

「はい?」思わず変な声で反応してしまった。

 車を運転したことよりも、ソアリング倶楽部でも地上滑走したこともないのに、いきなり制御を任されたことに一瞬戸惑った。ところがふと冷静にただ走らせるだけで、余計なことを考えなくて良いということを悟る。頭の中でイメージを膨らませながら、ゆっくりと誘導路へ進路を向けた。タイヤをセンターラインからずらさないよう踏みながら進むが、ペダルが非常に重く、調整するたびに、機体はゆらゆらとぎこちなく左右に振れる。どうも思うようにまっすぐ進めない。

「自転車に乗るとき、地面を見ながら走る?」

「いえ、遠くを見ます」

「それと同じだよ。あとは足をあまり極端に動かさないで」

 すぐに先生の言葉の意味が分かった。確かに遠くを見れば自ずとバランスが合ってくるじゃないか。


 末端まで到達する頃にはすっかりラインの上をずらさず走れるようになった。

「上手い、上手い」

 滑走路は二五〇〇メートル×四五メートルと一般的に旅客機が就航する空港と同じ規模となっている。普段飛行機の小さな窓から滑走路を眺めると横幅のサイズ感がいまいち分からなかったが、いざ小さなモーターグライダーで進んでいくと、滑走路がとてつもなく大きいということを思い知らされた。

 チェックリスト通り離陸準備を済ませると、先生は再び無線を入れた。直後離陸許可をもらい、離陸を宣言する。

「二稲木さんはグライダーを操縦したことある?」

 何の前触れもなく聞かれる。特に隠すようなことはないが、ひけらかすものでもないのでいつも穏便に答えることにしている。

「中学生の頃半年間、一週間ピュアグライダーに乗っていました。でも——」

「ラジャー。離陸は先生がやりますからね。I have」

『モーターグライダーは初めて』と伝えたかったが、考えている内容がそのまま後流を伝って流されてしまった。


 先生がスロットルを押しながらパワーを上げていくと、エンジンがうなりを上げる。大きすぎる滑走路のせいか、景色がゆっくりと、流れはじめる。

「前進、スタビライズ(エンジン回転が安定しているか)確認。それじゃ、フルパワー Take off」

 速度計がゆっくりと上昇を始める。景色がより一層早く流れると思いきや、気がつくとタイヤの走行音が消え、外の風が機内の隙間から流れ込む音が機内に響く。揚力という見えない力によって体が持ち上げられる。この何ともいえない瞬間がたまらない。やがて速度計が緑の安全ゾーンを示したのでそのまま上昇姿勢をとった。横の窓から見下ろすと、グライダーのエプロン、飛行部のエプロンや学校がだんだんと、まるでジオラマのように小さくなっていく。校庭ではサッカーの試合をしていてボールを追いかけている人たち、野球場では二人組でボールを投げ合って練習していて、色々な人で校庭というキャンバスを彩っているのが眼下に広がった。

「さて、いま道路と平行に飛んでいて、あの道の前方がカーブになっているが見えるかな?」

「確かに緩いカーブがこちらの進路に重なっています」

「あそこを目標にして、超えたら右旋回でトラフィックパターンに入るよ」

「ラジャー」

 トラフィックパターンは滑走路の周りを、長方形で囲うように設定されている。基本的滑走路周辺の有視界方式で飛ぶ機体はお互いに衝突を防止のため、決められたパターンに沿って飛んで行かなければならない。計器飛行方式の飛行は三年生になれば教わるようだ。

「ちょうど超えたね、ではライトサイド・クリア」

 さっきまで視界に入りきらなかった滑走路は、端から端まで見渡せるようになった。滑走路に対し学校は小さなミニチュアのよう。いつものバス停、毎日バスが上り下りする坂道と学校入り口の交差点、大通りなど見慣れた場所が上空からだとまた違った見え方で目に飛び込んでくる。

 この時間は機体が飛んでいなかったのでもう一度右へ九〇度旋回を行う。滑走路と平行に学校を見下ろすよう飛行していき、ある程度パターンから離れると先生は無線を入れる。雑音が多くやっぱり上手く聞き取れない。まるで宇宙のなにかと交信しているのではないのか、と思うぐらい音が割れている。加えてエンジンの音が余計に、無線の音声を聞こえにくくした。

「どうした? きょとんとした顔をして」

「無線はどうやったら聞き取れるようになりますか?」

「これに関してはイメージトレーニングもできないから慣れかな。先生も最初は聞き取れなかったから慌てなくて大丈夫。今度清滝君が座学でやってくれるからね。はい、もう一度クリアニングターン」

 旋回を続けるうちに現在位置がどこなのかはっきりと分からなくなったので、チャート図を広げ、飛んでいる位置を探し出す。

「外を見てみて。左側前方にそびえているのが富士山。大きく見えるけれど、実際距離は結構あるんだよ。チャートを眺めるのも良いけれど、実際の風景を覚えた方が楽しいだろう」

 敷島先生は指をさしながら地形とその成り立ちや飛行エリアの目標を説明してくれた。

「次は五〇〇〇フィートまで上昇をしてみようか、先生が操縦するからチェックリストを読み上げるだけでいいよ」

 ここでもチェックリストを確実に読み上げる。先生が、頷くと操縦桿を引き上昇姿勢をとった。高度計の針がゆっくりと回転していく。地上を走る豆粒のような車や、犬を散歩している人などがより一層小さくなっていく。目標高度の手前で姿勢を戻し始めると、ぴったり五〇〇〇フィートになった。

「そしたら今度は左旋回、針路三三〇で訓練エリアAに向かうからね。エリアの範囲と場所はチャート図を確認してね」

 指示通り、チャート図と風景を照らし合わせながら自分の位置と場所の一致を確認する。向かう先には確かに『訓練エリアA』と、線が一緒に書き込まれている。

「先生、湖が見えてきました」

「あそこに見える湖は奥多摩湖おくたまこだから、そろそろ訓練エリアだね」

 訓練エリアは騒音と万が一に備え、市街地から少し離れた山部に設けられている。学校がある街中とは変わって緑が生い茂っている。

「あのダムを越えたら訓練エリア到着の目印だよ」

 ちょうど湖の始まりに当たるような場所にダムがある。ここでふと、フライトタイムを示す計器に目を向けると一五分と表示されていた。

「まずは直線飛行をしてみようか。You have control」

「I have control」

 この決まり文句は、操縦桿をお互いが握っているであろうと思い込むことを防止するために発する重要な宣言である。間違っても誰も操縦桿を握っていない状況を作ってはいけない、と座学でも厳しめに教えられた。

 とはいえ初めて動力付きグライダーの操縦桿を握る。すぐにピュアとはまた感覚が違うことが手から伝わる。この機体も軽い力で操縦できることに変わりないが、まるで操縦桿で押さえるように操縦しているみたい。計器を見ながら飛行するほど、特に上下を修正する動きがだんだんと大きくなるため、なるべく外の見え幅で飛ぶよう以前にアドバイスされたことを思い出した。

「特に上下にフゴイド(縦方向に周期的に生じる動揺)もなく上手いね。そしたら今度は右旋回してみようか。まずはクリアニングからライトサイド・クリアー」

 旋回前に他機が進路上を飛行していないか、確認するためクリアニングをする。右へ操縦桿を倒すと、旋回をしているのにも関わらず、無意識に機首が下がっていく。ピュアと全く異なる挙動を示したため困惑した。

「それはジャイロプリセッションといって、プロペラ機独特の現象だよ。そうだね、回転している地球ゴマの先っぽを細い場所に置いたら、コマ自体が回転するでしょ?」

 地球ゴマ、地球ゴマ……。

「すみません、地球ゴマって何ですか?」

「おっと失礼、ある意味ジェネレーションギャップだったね。ようは自転車が倒れず走る仕組みって言えばいいかな? 手に回転している車輪を持った状態で、傾けると回転方向九〇度遅れた方向に力が働く。ということは?」

 この機体のプロペラは右回転なので、九〇度先へ力が掛かるのであれば、反対に操縦桿を引けばいいという思考に至り、すぐに実践した。

「いいね。機体の傾き等を示す、姿勢指示器は安定したけれど、これを見て、今度は機体が滑っている稼働かを示す計器がずれているね」

 滑り計のズレはラダーの踏み過ぎ、もしくはバンク角(機体の傾き)が弱い等の旋回中に機体が釣り合っていないときにズレが生じる。このままだと体が外側に引っ張られるなどの不快な横揺れを発生させる。速度が低い状態で機体を滑らせると、翼端付近空気の流れが悪くなり最悪失速を招いてしまう。今回の場合右旋回に対し、バンク角が浅いため操縦桿をもう少し右に倒し機体を傾けバランスをとる。何回か踏み直してから、中立になる場所を探した。

「理屈派だね二稲木さんは。先生も白黒ハッキリしたいタイプだから、よく独りで悩んじゃうんだよ。でもほら力を抜いて、力んでいたら思ったような操縦ができないぞ」

「はい、分かりました」

 知らないうちに手に汗が滲んでいた。一刻も早く上手くなりたいという焦りに支配されそうだった。

「操縦自体、上手いから慌てる必要はないからね。全部ここ上空で学ぶのではなく、地上の準備があってこその訓練だから、地上で出来ることをしっかりやるように。操縦は座学に比例して上手くなるものだから」

 先生は私の訓練ノートを取り出すと、ペンをノックしさらさらと書き込んだ。横目でみようとするが、ちょうどキャノピーから反射してくる光によって、内容をうかがうことはできなかった。書き終わった先生はパタッとそのノートを閉じた。

「今度は少し降下しながら八王子の市街地に行ってみるよ。操縦は先生がやります。レフトサイド・クリアー」

 スロットルを絞り、左旋回しながら街の方へ機首を向けた。

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