12 私、もう一度飛ぶよ。 #31
ここまで天候に目立った変化はなく、順調に華雲のフライトまで進む。清滝先輩による座学も二時間分終えると、そのまま終日自習になった。どうやら次週の間、他の先輩たちも後方で各々作業や勉強をしているようだった。私のフライト時間が近づくにつれて、徐々に気分が高ぶる。もう少しで空を飛べる。そう言い聞かせながら、貰ったチェックリストの紙を何回も読み返す。ゆっくりと感じる時間を少しでも紛らわそうと、ちょうどフライトから帰ってきた竹柳君に感想を聞いてみることにした。
「初フライトどうだった、揺れた?」
「結構楽しかった。揺れはしなかったけど、最後の滑空着陸は正直ビビった」
なぜか彼は視線を逸らしながら話している。ふと教室の明かりで額の汗が反射しているのが目に映った。心なしか顔が青くなっているようにも見えなくもない。
「なるほど……」
あまり話を膨らますことができなかった。まあ、四〇秒消化できたからまだ良い方か。そういえば悠喜菜はフライトの後どこへ行ったのだろうか。せっかく感想を聞こうとしたのに……。もしかして酔っているとか……でも悠喜菜に限ってそんなことはあるのだろうか。結局また席に戻り、もうしばらくチェックリストを眺めることにした。
午後三時、ゆっくりとした時間が流れるなか、鳳先輩と桜ヶ丘先輩は机に伏せ完全に寝ているようだ。そんな中教室に設置してある……ただ置いてあるだけの無線機から声が響く。
『Hachioji Tower JA2778HS approaching RWY15, REQ engine cut landing』
『Roger cleared to landing RWY 15. Report when restart engine』
『Report restart engine JA2778HS』
机に伏せていた鳳先輩は飛び起きた。
「合図だね、次は二稲木のフライトだけど心の準備は大丈夫?」
さっきまで寝ていたのを誤魔化すかのように何回も顔を拭った。頬にシワが付いていて目も少し赤い。桜ヶ丘先輩は依然気持ちよさそうに寝ている。
「私は大丈夫です」
緊張とワクワクで心拍数が上がっているのを感じる。
「よし上出来。チャート図は今泉から借りるんだぞ、一年生の分は一週間で用意する」
私は先輩が何で疲れたのかと思い尋ねてみた。もしかすると来年私たちも経験するのではないかと若干予習も兼ねて。
「いやー昨日の夜、戦闘機のゲーム……じゃなかった勉強をやっていたから疲れちゃって。二稲木もやっているか、戦闘機のゲーム?」
少し困惑しながら「まだ寝ぼけているのが分かりました」と苦笑いをしながら答える。
眠そうに目をこすりながら鳳先輩は一緒に、フライトに必要なセットを確認してくれた。訓練ノート、ログブックと以前受けた航空身体検査を元に発行された訓練許可書をファイルに入れ、格納庫まで歩き始める。教室を出る間際、桜ヶ丘先輩が笑顔で手を振ってくれた。
「愛寿羽っち Have a nice flight」
「行ってきます先輩!」
部活棟から格納庫までは直結している。格納庫からエプロンへ出る途中、グライダーの機内は隙間風の影響で盛大に髪が乱れることを思い出し、いつも付けている紐の髪飾りを外した。これは小さい頃にお父さんから貰ったもので、誰かが私を見つけられるようにと毎日付けていて、今は私にとってのお守り。それで後ろ髪を一つに結んだ。
私、もう一度飛ぶよ。お父さん、お母さん
機体が戻るまで少し時間があった。今一度忘れ物がないかを確認し、身支度を整えエプロンへ踏み出した。
私の周りに雲が一つなく、気が遠くなるような蒼天の空からうらうらと日が差す。水平線に向かって伸びるアスファルト脇、草原のあっちこっちから鳥のさえずりが聞こえる。その方向へ二羽の鳥がメモ前を飛び去っていった。普段は鳥たちの楽園そのものなのだろう。
もうしばらくすると遠くの方でプロペラの音がかすかに耳に響いてきた。程なく誘導路を走行する機体がやってきた。段々と音圧を上げながら、格納庫に反響するエンジン音がたまらなく良い。
所定のスポットに駐機し、華雲が機内からエンジンカットの合図を出す。カランカランとプロペラから動力がなくなると、一瞬でまた元の長閑さに戻った。
「手順があやふやな箇所があるみたいだから、次回までにしっかりとできるようにしてくださいね」
「分かりました! 次のフライトもよろしくお願いします」
白いグローブをはいたままの先生はベルトを外しササッと降りるとそのまま格納庫へ行ってしまった。一方華雲も先生の動作を真似するように、へそ付近に位置している丸いバックルを回す。最初に肩のベルトが外れた。が、腰のベルトが外れずあくせくする。
「うにゃー、外れないよ。もしかしてあたしずっとこのまま? 別にいいけれどね」
それは大いに困る!
「もっと回してみて」
私は若干焦りながら華雲に指示する。どうやらコツがいるようで、バックルを回した後にすべて同じような力加減で引き抜くと上手くいくみたい。
「やったーとれたよ、ありがとう」
ハプニングが起きながらも、私は華雲が降りるのと入れ替わる形で左席に搭乗した。
「華雲ちゃん初フライトどうだった?」
「グライダー最高だったよ、あずちゃん! 本当最高!」
手の甲を口元にあてながら満面の笑みで答えた。どうやら華雲も空を飛ぶ愉しさを知ったようだ。
「そういえば直線飛行が難しかったかな。しょっちゅう高度がずれちゃって」
「今泉さん、イメージトレーニングをしっかりすれば早く慣れるよ」
「先生! いつの間に」
笑顔で軽く頷いた敷島先生は何事も無かったように、機内へ乗り込んだ。
「それでは時間だから二稲木さん、いってみよう。今泉さんは離れていてください」
先生の手によってキャノピーが閉められる。始めに腰のベルトをしっかりと締め、両肩のベルトを伸ばし真ん中のバックルに差し込む。リュックの紐を伸ばす要領で簡単に調整が完了した。
「今日は空に憧れるための慣熟飛行だから、とにかく飛ぶことを楽しんで」
「はい、分かりました。先生これもお願いします」
真新しい訓練ノートを渡した。あらかじめ名前を書くだけで特に何もしなくていいと言われた。中身は訓練の内容を振り返りができるように、ページが工夫されている。見開きの左側にはこの日行った訓練内容を書き込むことができ、右側には先生からのアドバイス、自分の振り返りを記入する欄がある。機内には先生がそれをめくる音が響く。
「じゃあ訓練ということで、チェックリストを出来るところまでやってみてください」
「はい! キャノピー・ロック、マスター・オン、アンチライト・オン、燃料残量確認、プロペラコントロールモードAUTO3000 STOPプロップ・グリーン——」
私はゆっくりではあるがチェックを、見落としたり忘れたいしないよう指差し確認をしながら一つ一つ丁寧にこなした。
「燃料ポンプスイッチ、イグニッション——。始動準備完了しました」
「では、エンジンをかけてみよう。スロットルは二周したぐらいが丁度いいはず」
スロットルは車のアクセルに当たる用語。しかしこの機体は少しへんてこな仕組みをしている。先端部の赤いボタンを押すとロックが外れ、更に奥深くまで押し込むことでパワーを上げられる。加えてノブを回すことで微調整が可能になっている。つまり、離陸や着陸の上下の際に押し込み、そのほかでは回すだけで良いらしい。もっとも使ってみないことには何とも感覚が分からないが。
「プロペラサイドクリアー、コンタクト!」
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