7 グライダーの試運転 #26

「さあ、話に区切りがついたところかな? 鳳君、今日のフライトの予定は?」

 さっきまで気配を感じさせなかった敷島先生が姿を現した。一体どこから話を聞いていたのだろう。

「こんにちは、今日は三本(フライト)の予定です。訓練エリアAの天候が悪くなるので、様子を伺いながらオペレーションしたいと思います」

「了解。フライトメンバーは?」

「桜ヶ丘と清滝、最後に僕、鳳の順番です」

「そしたらフライトプラン(飛行計画書)の送信とフライト準備をしておいて。滑走路の風が強いからしっかりとMETAR(現在の空港気象情報が英語の文字列で書かれたもの)、天気図を確認しておくように」

「わかりました! それじゃあ、僕ら自慢のヴァレンティン式TFUN―17E2(タイフーン)をエプロンまで出して」

「あと、柊木はいつも通り運航と天候状況を逐一報告お願い」

「……了解しました。それと敷島先生、空港長がお呼びです……。先日船堀先生とまた――」

「あーそれ以上は言わなくて良いよ、こちらで把握しているから。とはいえ一体誰が密告したんだ? あの人一回捕まると話長いから面倒だな。フライト時間に間に合えば良いが、とにかくいってくるから鳳君あとはお願い。くれぐれも気をつけるように」

「了解しました! どうかご武運を」

 先生は若干足早に格納庫をあとにしていったが、私たちは状況をいまいち飲み込めないでいた。

「そしたら一年生は上級生の動きを見ててね」

前に見学した時とは違う機体を出す様だ。この機体も白く長い翼が特徴で、年季が入っているのか所々塗装を上塗りしている箇所が目立っている。もう一つLogarisとの決定的な違いは、尾翼がT字の様に上部にある。

「えっと、これから機体出しをするさ。この子の翼は文字通り一七メートルと長いから、ラリアットを食らわないように注意するさ。鳳先輩、また油断して近づきますと食らいますさ」

「うるさいぞー、余計なお世話だぞ!」

「あの瞬間の先輩は本当にすごかった。悶絶どころじゃなかったのもね」

「翼が一七メートルでラリアット? 一体なんのこと」

 唇を軽くかみながら、疑心暗鬼な表情を浮かべながら華雲が聞いてくる。その疑問を抱く気持ちはよく分かる。いかんせん先輩の説明が足りなすぎるから。

「そしたら華雲ちゃん、両手を広げてその場で、右に回ってみて」

「こう?」

「そうすると、回転に対して右腕は後ろに下がるでしょ。機体でも同じようにコックピットを中心に回転させたら、後ろへ動くからその延長線に翼がちょうどお腹の高さまで来るから、『気をつけてね』って意味だと思うよ」

「流石あずちゃん、なるほどね。先輩もそこまで説明してほしいなー」

 一方できっとそこまで気を回す余裕がないことも分かる。なにせ先輩たちのキャラが濃いのでそれこそ部長が説明しようにも、見えないラリアットを受けているように思えるから。


「では、エプロン側のシャッター開放」

 鳳部長の掛け声で桜ヶ丘先輩がボタンを操作すると、背丈の何倍もある格納庫のシャッターが開いていく。光が差し込み、格納庫内に鎮座しているTFUNグライダーの午後の眠りを覚ます。機体を格納庫から出すために、翼端の左右に柊木先輩と桜ヶ丘先輩、機体のタイヤを動かすトーバー役の鳳部長、更に機体を引く清滝先輩の計四人が配置についた。

「はーい、みんなぶつからないように離れた場所にいてね」

 私たちは桜ヶ丘先輩の近くで動きを見ていた。

「前方よし、清滝、前進!」

 タイヤのゴムと格納庫のコンクリートからギュッと擦れる鈍い音が耳に入る。機体はゆっくりと前進を始めた。機体を引いている清滝先輩は動き出しのときそこ踏ん張っていたが、その後は周りを見渡せるほどの余裕ができているようにうかがえる。

「レフトウイング、衝突なしクリアー」

「ライトウイング、こっちも……大丈夫」

「ラジャー」

 そのまま機体を格納庫から出していき、正面に向かい風がくるように転回し、機体の前輪と主脚を白線の上に合わせ停止させる。

「清滝チョーク(車輪止め)セット」

「チョークセット」の合図と同時にトーバー役の部長がポジションを離れた。

 翼端を担当していた先輩たちは、操縦席へ向かい、機体が動き出さないように青いレバーをいっぱいに引きブレーキロックを行った。

「航空法に基づき飛行前点検を行う。各要員、本日はパターンAで準備せよ」

 先輩たちの一連の作業はまるでサーキットレースのビットにいる整備クルーのよう。機敏に動き、割り当てられた場所へ分かれる。その中で桜ヶ丘先輩は片手に持ち運び用消化器を、操縦席から斜め前四五度の翼端に重ならない位置の地面に置いた。

「難しく言っているけど、先生いわく『本来行うべき車の日常点検に似ている』って。車の免許を持っていないから分からないよね。とりあえず鳳先輩のところへ行こう」

 そう口にしている桜ヶ丘先輩の後をついてき、鳳先輩から指示を受ける。

「二稲木と竹柳は俺とエンジンの整備をしよう。高碕と今泉は桜ヶ丘と一緒に機体全体の外部点検をやってみよう。その他の人はドレイン(燃料タンクに溜まった水を抜く作業)と格納庫のシャッターをよろしく」

 エンジンカバーが鳳部長により外されると、エンジンの燃料供給管、バッテリの取り付け具合や緩みがないかを手で直接確かめる。更に長い棒を取り出し、エンジンオイルの点検等を進める。竹柳君が進んで作業をしたため、私はじっと見ているだけになってしまった。

「手際いいね竹柳」

「父が車の整備の仕事をしているので、なんとなく分かります」

「なるほど、これからが楽しみだ」

 周りを見渡すと、悠喜菜とボードを持った華雲が機体後方で、桜ヶ丘先輩に付き添いながら動翼の点検をしている。直後桜ヶ丘先輩は背伸びをしながら腕を伸ばし、ヒラヒラと掴めそうで掴めない『REMOVE BEFORE FLIGHT(飛行前に除去せよ)』のタグを追っていた。

「ねーねー背が高い悠喜菜っち、あれをお願いできる?」

「了解です」

 すっと腕を上げた悠喜菜は、いとも簡単にそのタグを取り外した。

『REMOVE BEFORE FLIGHT(飛行前に除去せよ)』と書かれたタグは、付けることによって、駐機中の機体の小さな空気を取り入れる穴に虫や異物が入るのを防ぐ役割や、壊れやすい繊細な部品に対し視覚的な注意喚起を促している。他にも外し忘れにより、付けたまま飛んでしまう事故を防ぐために布地部分が、あえて目立つよう赤色で風に靡いてもわかりやすいよう工夫されている。

「鳳先輩外部点検異常なしです」

「了解ありがとう桜ヶ丘、こっちもエンジンは正常だった。そしたら一年生で俺の隣に乗ってみたい人いる? とはいえタキシングしたり、飛んだりはせずその場でエンジンを回すだけだが」

 私を含め一瞬躊躇した。何となくお互いに譲り合いの視線を向け合っていた。

「では自分いいですか?」

 竹柳君は一番早く手を挙げた。その表情はとても興味深そう。

「オッケー、じゃあ竹柳は俺の右側に座って。桜ヶ丘プロペラ手回し一二周お願い。他の人は清滝がいる消化器の後ろにいるように」

「スイッチ・オールオフを確認」の合図と指さしで安全を確認した。

 エプロンにはカチン、カチンとプロペラを回転方向に手回しする音が響く。それはどこか爪を切るような音にも似ている。

「あれは簡単に説明すると、エンジンの圧縮比の確認と各部が引っかかりなく、正常に動作するかを確認しているさ。今日のところはシリンダーの数×三で一二回なのさ」

 その間機内の部長は準備を進めいている。座席後部から“キャノピー”と呼ばれる、卵を縦半分に切った様な透明の円蓋を閉めロックをかけた。

 一二周回した後、桜ヶ丘先輩はコックピットの二人へ見えるよう親指を立て、準備完了の合図を送った。

「俺ら消火要員も確認しているさ、衝突防止灯をつけてスポイラーも展開したからもうすぐ——」

「コンタクト!」

『コンタクト』

 プロペラがゆっくり二、三周回りだすと、エンジンに点火するや勢い付くよう一気に回り始めた。それと同時に機体の後流により後方の草がゆらゆらと揺れ動く。この時点では飛ばないと分かっていても、ワクワクが止まらない。


 途中左右の翼のライトを点灯させ、光っているかを確認したり機内では無線で通話をしている姿が視界に映ったりと、私が知らない動作もあるがそれでも着実に項目が進んでいるようだった。

「コックピットでは今何をしているか分からないって顔だね。一連の点検項目は今度詳しく教えるよ」

 それから一〇分が経過する間に最大出力で回転させ記録を取り始めた。辺りには空気を切るような音が響く。やがて後ろで揺らいでいた無数の綿毛が空へ舞い上がっていった。続けて出力を絞りアイドル状態での記録も取られた。やがて首元でそろえた指を横に振りながら、合図をこちら側に送り始めた。それはまるで首切りをするような動作に見えた。

「さてこれから一年生の諸君には斬首の儀式をするさ」

 一瞬先輩が何を言っているのかが分からなかった。華雲と悠喜菜に聞こえたのかは分からないが、先輩の冗談に動じなかった。

「は? 斬首刑はあんただけで十分でしょ。ホントにもう、念のために補足するけどあれは、エンジンカットの合図。ウソを教えた罪として有斗は消化器を片付けておいて」

「面白いジョークだと思ったのにさ」

「さすがにそれはブラックジョークすぎるでしょうが」

「時に空の厳しさを教えるのも僕らの役目さ」

 返答を求めるようにして肩に触れる。桜ヶ丘先輩は即座に振り返り、その手を避けた。

「やめて、触らないで! 滑ったギャグの恥ずかしさでそのまま死ね!」

 桜ヶ丘先輩は軽蔑した眼差しを向けた。直後に頬を膨らませ、あさっての方向へ顔を向けた。

 エンジンが止まると間もなく全てのライトも消灯された。エプロンにはまた元の静けさに戻った。

「スイッチ・オールオフ」

『オールオフ』

 完全に機内のスイッチが切られ安全を確認すると、桜ヶ丘先輩が機体へ近づいた。私たちも一緒に鳳部長へ近づく。

「よし、異常なし。一年生はこの後部室で座学だね、清滝あとはよろしく。……って何かあった?」

「いいえ! なんでもないですさ!」

「了解、俺は運航室へ試運転の報告をしてくる」


「くそっー、楓め! 今度覚えておくのさ」

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