2.That should be many experience.

1 体力測定 #20

『おはようございます。今日は四月一五日木曜日、天気は晴れのち曇りです。花粉も少しずつ飛び始めてきました、お出かけの際はマスクを着用するといいでしょう。それでは今朝はこのニュースから——』


 引っ越しから数日経つが、まだ地上五八階の生活に慣れない。地に足が着かないような、ふわふわする感覚はまだ抜けずにいる。今日は体力測定があるので体操着を鞄の中にしまい込む。忘れ物をしないのが、私からの昔からのポリシーだ。ニュースを見ながら朝食を済ませ、まだ覚めない顔を洗い、制服に着替える。再度忘れ物がないかを確認してから部屋をあとにする。少しずつルイーティを覚えていくように自然に体が動いていく。これで生活に慣れたと高をくくったそのとき、鍵をかけ忘れたという重大なことに気がつきフロアの離れた廊下から一旦部屋に戻る。改めて部屋の鍵をかけ、気を取り直しエレベーターホールへと向かった。一連の動きを誰にも見られないだろうと信じて……。エレベーターホールの窓から地上を見下ろすと、電車がひっきりなしに八王子駅を発車している。


 相変わらず多くの人々が行き交うガードを通り、バス停の場所まで歩みを進める。途中でもうすでにバスの列に並んでいる華雲の姿が見えた。イヤホンをしている華雲の肩を優しく叩き、イヤホンを取ったタイミングで挨拶をする。

「おはよう。悠喜菜ちゃんはまだ来ていないの?」

「おっはよう! 今日ゆきなちゃんは中央線の武蔵小金井駅むさしこがねいえきでの遅延で遅れるかも」

 そういえば今朝のニュース番組で電車の遅延に関して、特に中央線の路線情報が出ていたのを思い出した。

「大丈夫! あたしたち電車組は、“遅延証”という魔法の紙があるからね。実際アレに何度救われたことか」

 まるで自分が遅刻しそうなのを遅延証で誤魔化しているように聞こえてならない。それは本来の使い方ではないのだけれど。


 中学生の頃……といっても最後の一年だけれど使っていた石北線は、動物とぶつかることによる遅れがしばしある。どういう訳か、そういう日に限って大事なテストや絶対に遅れてはいけない用事があるものだから堪らない。そんな日は諦めて追試を受けるしかなかった。確かこういうのをマーフィーの法則とか言うのだっけ。大事なときに限って、どうでも良い事件が起きるやつ。


『学園都市左回りひよどりトンネル経由、飛桜航空高校方面はあと二分で到着します。飛桜航空高校までの所要時間は約二〇分』


 電光掲示板の流れる文字をしばらく眺めていると、バスがやってきた。時刻表によるとバスは朝のピーク時、五分間隔で運送されているため、車内に座れないという人はいないようだ。


                 ※  ※  ※


「でさぁ、うちの弟がね、麦茶と天つゆを間違えちゃってさー」

「それは大変だったわね」

 華雲の弟の話で盛り上がりながら教室に入ると、遅れてくるはずだと思っていた悠喜菜がいた。彼女は私の前の席で窓を背にして脚を組んで座っている。朝のルーティーンかのように、教室に差し込む最高の朝日を浴びながら優雅に野菜生活のマンゴースムージーを飲んでいた。

「ゆきなちゃん登校早っ!」

 驚いた様子で華雲は声をかけた。

「お、おはよ! 電車が混むと思って早く出てきた。それにしても、ここの席は落ち着くな。まあ私の勝手な感情だけど」


 着いたときには疎らだった教室に、一人また一人と人が増えていくたび賑やかになる。柴崎先生が来るまでには、誰が何の話をしているか分からない程ガヤガヤしていた。

「皆さんおはようございます。本日は体力測定があります。さて昨日お知らせしていた体操着を忘れた人はいないね。ウフフ」

 先生が辺りをゆっくりと見渡す。

「アカン、先生! 肝心の体操服、忘れてまいました」

「仕方ないね。それじゃあ、誰かお友達に借りてください」

 幡ヶ谷君は何かあてがあるのか、パッと教室の後ろを振り向いた。彼は私に目線を合わせるなり両手を合わせ始めた。

「二稲木さん体操着貸してくれへんか?」

 え? 急にそんなことを言われても……。意表を突かれたような感覚でひどく驚いた。そもそも体操服のサイズも合わないし、何よりも種目が終わるごとにどこで着替えないといけないの?

「あー、そのー、それはちょっと……」

自分でも視線がさまよっているのがよく分かる。いい断りがないかと思考を巡らす。ちょうど悠喜菜が幡ヶ谷君の後ろにあたる位置にあるので、ニヤニヤとしている表情がよく見える。

このまま幡ヶ谷君が滑った空気で終わるかに思えたその時、右側から低い一声が教室に響いた。


「一緒に周ってくれるなら貸してあげるぞ」


 一瞬教室は静寂に包まれる。

「ええんか?」

「ああ、別にいいけど」

「ホンマに? 悪いな」

「遠慮すんなって。ほらサイズ感もちょうどいいじゃないか」

「ありがとうな。ホンマに感謝やわ」

「えー、それでは皆さんしっかりと全て周るように」

 ほとんどの人が教室を出て行き、私たち教室を出る準備をする。

「愛寿羽さーん、せっかくのチャンスだったのに勿体ないな」

 半ば残念そうな顔をしながら悠喜菜が話した。悠喜菜ちゃんならサイズ合うから適任だったのかも知れない。

「とりあえず行こうよ、ね? 早くしないと混んじゃうよ。それに今日は健康診断まで終わったら放課後になるから、早く帰りたいっていっていたでしょ?」

 幡ヶ谷君に対し特別他人の人より話したというわけでもないし、この前にもらった連絡先もそんなに頻繁に返しているわけでもない。彼は何か大きな勘違いをしているような気がしてならない。

「二人も早く行こうよ! もう混み始めるから」

「ごめん今行くよ、ほら悠喜菜ちゃんも早く準備して」

「はーい」


 体力測定には沢山の項目があるが、私にとってみると正直ほぼ全部が苦手。立ち幅跳びではお尻をついてしまい大幅減点、反復横飛びも上体起こしも途中でペースダウン。極めつけは、握力が弱いのに無理をして指がつってしまう始末だった。どうして人の個人差をランク分けをし、それに優劣をつけるのだろうか。私にはせいぜいできてシャトルランニングぐらい。ただ走るだけでいいもの。それに……。

「愛寿羽は体力あるのに、どうしてこうも運動音痴なんだ?」

「そうだよー、もっと高得点を狙えるんじゃない?」

 悠喜菜と華雲は不思議そうに私に質問する。

「実は私の筋繊維は……」

 続きを言いかけたが、言葉が詰まってしまった。「今はやめておこう、そのうち言うべき時はくるから」と心が囁いた様に聞こえた。

「うーんそうだね、今度筋力トレーニングをでもしてみようかな」

 ぎこちない笑顔を二人に向けながら答えた。

「まあ、最も個人差だからしょうがないな」

 ちらっと記録用紙がめくれ、二人の結果が見えた。悠喜菜の総合判定は予想通りS判定、華雲もA判定で意外と運動ができるようだ。その結果を基準にしてしまうと、もれなく他の人も運動音痴にされてしまいそうだが。結局私の総合判定はEで確定となった。今回とくにひどかったのはボール投げで、どう投げても五メートルしか飛ばず、私のボールだけがおかしいのか、まるで磁石のように地面に引き寄せられるようにして落下する。とにかく終わったことを振り返っても結果は変わらないので、これ以上考えるのはやめた。

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