16 終点の出発 #19

「実は二人だけに話しておきたいことがあって……」


 ここで二人だけに話しておこう。人生は予想もできなく成り行きに任せることも多いが、不幸が起こった分、幸運が起こることがあることは本に書いてあったということを思い出した。直感的に今がその好転のタイミングで、話すことにより確実なものになるかとも思う。


「六年前に起きたビジネスジェット機墜落事故のこと知っている?」


 華雲も気付くまで、そう時間がかからなかった。

「あ! そうだ思い出した! そうしたらひょっとして?」

「そう、あの時のパイロットは私の親なの」

「クラス分けで名前を見かけたときから気付いていたが……でも、いいのか? 私たちに打ち明けて。うやむやにしても良かったんじゃ」

「いずれ分かってしまうことだし、二人になら打ち明けても大丈夫だと思ったから」

 悠喜菜は腕を組んだと思ったら、左手の人差し指と親指を頬に当て、考え始めた。

「だとしたら普通は航空の道には進まないと思うが、どうして飛桜へ?」

 確かに中学二年生まで、航空の道に進む選択肢はなかった。きっかけをくれた人、その人がいたから今の私がここにいるようなものだ。

「あの時の事故が本当に操縦ミスなの? もし仕組まれて、起こるべくして起きたことだったら?」


「……じゃあ」


「断言はできないけどね」

 私は大きく深呼吸したあとにまた鞄を、今度は底の方へ手を伸ばし、或るテープを取り出した。

「ちょっとこれを聴いてほしい」

「何だこれ? かなり年季が入っているみたいだが」

「それはカセットテープだよゆきなちゃん。今となってはほとんど流通していないけどね」

「事故調査委員会からおじいが持ってきた……、いやほぼ盗んだに等しいけれどね。おじいがこのテープを回収したから、私と知り合いの人とでこの仮説を立てることができたの」

 二人に片耳ずつイヤホンを渡した。しばらくはカセットテープの内容に集中していた。このテープには事故が起こった破裂音の瞬間から、墜落までの機内での会話が録音されている。途中首をかしげたり、顔をこわばらせたりしながらテープが止まる最後まで聴いてくれた。


「これって、どういうこと?」


 それ以上華雲は、何も言えなくなった。驚くのも無理はない。私も初めて聴いた時と同じ反応だったから。

「知っている報道内容と全然違うな。愛寿羽の仮説が無い状態だと確かに一見普通の事故に思える。ただベテランのパイロットなら整備不良なんてすぐに見つけられるだろう。エンジンはなおさら確認をしているはず」

「フライト中に爆発した原因ってなんだろう?」

「それは分からないわ。もしかすると人為的だったかも知れないし、それとも単純に整備の見落としだったかも知れない。お父さんたちが務めているウイング・バード社とその会社に出資しているサクテーション社との間に何らかのトラブルがあったのでは無いかと思っているわ」

「なんだか裏がありそうな感じだね。ウイングバードって今はどうなっているの?」

「実はあの後倒産していて、今はもう無いよ」

 お父さんたちの事故を解明する以外に私にはもう一つ知りたいことがある。

「あと、あの時お父さんたちが極限状態の中『状況を楽しもう』と口にしていた真相も知りたい……。どうして、どんな気分だったのか」

二人からすると私が何を言っているのかは分からないだろう。もっと具体的な説明ができれば良いのだが、二人にとって今は事故の状況を整理するのに精一杯だろうから。

「別に焦らずゆっくりでいいんじゃね。自分の立っている軸さえしっかりしていれば、いつか見つけられるかもな。手伝うよ、私もテープを聴いてたら答えを知りたくなったから」

「もちろんあたしも一緒に答えを探してあげるよ。だって友だちでしょ!」

 白い歯を少し見せながら、初めて会ったときのような笑顔で華雲が笑った。そうか……、私は出会った段階では気付いていなかった、彼女の優しさに。どこか他人事の様に思っていた自分がいた。

 私はいつの日にか言われた言葉を思い出した。

『大丈夫、あんたがもし道を迷えば気が合う人、その人たちが一緒に悩み、笑いながらエンルート(経路)をしてくれる筈だから安心するべさ』

 そうかもしかするとこの二人がそうなのか。そう思えると心の荷がスッと軽くなる感覚がした。


「関係あるかどうか分からないが愛寿羽、入試のフライト試験で学年トップじゃなかった?」

 少しニヤついた表情を悠喜菜が浮かべる。しまった、華雲にはまだこのことを話していなかった。

「フライト学年一位‼」

 目を大きく開いて驚く。

「そういえばクラス分けの画面にちゃっかりと試験とかの順位が載っていたけど、どうしてだろう? ぶっちゃけあの情報はいらないしー。それにしてもフライト試験、メチャクチャ難しくなかった? あたしゲームでやったような感覚でやっていたら、途中でよく分からなくなって頭が真っ白になっちゃった。どうしたら一位で突破できたの?」

「あれは実機と違って、方向ペダルを上手く使えば簡単だったわよ」

「いやー上手くいかないんだよなーそれが。でもゲーム感覚で試験やるなんてあれだな……」

「ゆきなちゃん“ゲーム”は強調しなくてもいいのに……。これでも一応頑張ったんだから……」

「悪かった、ほらそんなにふくれるなよ、突っついちゃうぞ」

 悠喜菜は人差し指で華雲の頬を突っつくと、フグのように萎んでいった。私は横目に今度やってみたいと思いながらも一旦話を戻す。

「でも実機はもっと難しいはずだよ。大気は常に安定しているとは限らないし、臨機応変に対応しないと駄目だよ」

「そうだよな……」

「あれ、悠喜菜ちゃんも筆記一位じゃなかった? それこそ凄いことだよ」

 フライト順の隣に筆記の順位もあったので、不意に悠喜菜が一位だったことを思い出した。

「まあ正直余裕だった」

「ゆきなちゃん、ゆきなちゃん。あたしなんか筆記は下から数えた方が早いよ」

「それはつまり、ほとんどドベって事か? いいよ、勉強は教えてあげるから」

「ゲッパから上がって行くなら教え甲斐ありそうだね」

「“ゲッパ”ってなんだ? ニュアンス的に最下位の“ドベ”と一緒だよな」

「ごめん。北海道弁で『最下位』って意味」

 不意に北海道弁がこぼれてしまった。ずっと隠そうと思っていたのが、つい油断してしまったようだ。

「なるほど、顔を赤くして恥ずかしがるなよ、愛寿羽」

 言った側からまた二人は笑いはじめた。

「もし二人とも笑いすぎだって!」

 頬を少し膨らませたが、次第につられて笑ってしまった。もう無理に自分を押さえつけて演じる必要がないことを悟った。同時に「家族以外の人と笑い合う」という昔からのひそかな願いが叶った。


 ふと頬を一筋の涙が頬を伝う。


 あれ? どうしたんだろう。楽しいはずなのに水がいっぱいに入ったコップからあふれ出るように涙がでてくる。

「あずちゃん、どうしたの?」

「なんだかすごく楽しいの。今まで目の色が青いせいで異端者扱いされるのに加えて、大好きなお父さんとお母さんを亡くしたことで皆にますます避けられ、いじめられ、一緒に笑ってくれる同い年や友だち、いなかったから……。それでもね、中学生に私に空の楽しみ方を教えてくれた恩人は居たけど……。だけど、だけど」

 自分の意思に反して、止めどなく涙が溢れる。

 悠喜菜は何も言わず静かに私を抱いた。華雲も私の頬にふれ、涙を拭ってくれた。深呼吸をして泣くのをやめようにも、呼吸が乱れ自分ではもう止められなくなった。

「今までずっと寂しい思いをして来たんだね。つらかったね。でも大丈夫! これからは、あたしたちがついているから」

「無理に自分の感情に逆らわずに、泣きたい時は泣くのが一番。だって女の子だろ」

「……うん、ありがとう」

 華雲も私に被さるようにして私を抱く。二人の鼓動が聞こえる。なんて暖かいのだろう。しばらくは、長年溜まっていた感情というバケツをひっくり返すようにして泣いた。過去にいじめられていたことで人に対し疑心暗鬼になっていた私に二人は、正面から受け入れてくれたのだから。この感情は、信用、嬉しさを超えた人間が持つ本当の『暖かさ』というものだろうか。

「大丈夫? もう平気?」

「ありがとう、おかげでだいぶ落ち着いた」

「よかった。このまま泣き止まなかったらどうしようかと……」

 ようやく落ち着きを取り戻したところで、ドヴォルザークの「新世界より 家路」のオルゴールが夜の空から耳に流れてきた。優しく包み込まれるようなトーンでゆっくりと音が刻まれる。

「そろそろ帰らないと。また明日会えるからね」

「二人も私のために、ありがとう」

 私たちは駅まで足を運んだ。改札付近へ着くと、華雲は腕時計の定期アプリを立ち上げ、悠喜菜は角の印刷が少しすれたICカードの定期券をポケットから取り出した。

「今どき珍しいね。カードタイプなんて」

「まあな、スマホにも電子決済機能はついているけど実態がある方が、何となく安心するから」

 華雲の方は高尾、悠喜菜の方は国分寺と書かれていた。

「華雲は高尾なのか、私と反対方向……」

 悠喜菜が物寂しそうな顔をした。

「でも朝は向かう方向は一緒じゃん」

 そっと華雲が微笑む。

「それもそうだな、それじゃあまた明日」

 これからここが友だちと別れるポイントかと思うと、確かに物寂しさで胸がきゅっと締め付けられる。私たちは手を振り合って別れる。改札口から二人が、見えなくなるまでそこにいた。姿が見えなくなるといよいよ私も帰路につく。なんだか今までとは違う嬉しさに気分が高揚し、気がつくとリズミカルに軽く飛ぶように歩いていた。

 

 今までの一日にこんなにも多くのことがあっただろうか。

 明日がこんなにも待ち遠しいと思えるなんて……。

 この縁は一生大切にしよう。


 この日は東京に来てから毎晩再生していたカセットテープを聴かなかった。そう、都会で心暖まるものをやっと見つけられたから。

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