8 グライダーの飛び方 #11
朝私は洗面台の大きな鏡の前で悪戦苦闘した。前髪はちゃんと右分けが出来るのに、てっぺんの髪が何度も櫛を通してもピョンと跳ね上がる。まるでそこだけが意思を持っているかのようだ。お父さんも確か襟足のクセが強くいつも伸びる前に切っていたっけ。私の場合どうしててっぺんにクセが遺伝したのだろう。いつもならスプレーを吹きかけて強制的に寝かせるが、今日に限ってどうしても上手くいかない。そうこうしているうちに、学校に行かなければいけない時間になってしまった。どうにもならないので仕方なくクセ毛を立たせたままバス停に向かう。
バス停で今泉さんを見かけ挨拶を交わすが、その間落ち着けなかった。今泉さんの視線が私から離れた隙に何回もクセ毛を引っ張っては下ろす。当然普段やっと固まる髪の毛がその程度で直ることがなく、ここは思い切って今泉さんに打ち明けることにした。
「あずちゃんの髪、普通だよ。むしろこっちの方が個性的で似合うじゃん」
拍子抜けした。てっきり『変だから直した方がいい』なんて言われることを覚悟していたぐらいだったから。そうか、人は私が思っているほど自分の変化に気づかないのか。東京に来てから人が多い為か視線を感じていたがどうやら思い込みだったようだ。明日から気にしない様にしよう。
「ねーねー、あたしの髪の毛は大丈夫かな? 今朝寝坊しちゃって、こうードッカーンだったから」
「大丈夫、特に変なところはないよ。今日も綺麗な赤髪だわ」
「ありがとう。おかげでお互いにバッチグーだね」
彼女は笑顔で親指を立てた。私もつられて少しだけ笑顔になれた。思えば東京に来てから初めて気持ちがストンと緩んだ。
エンジンが近くで唸った音が聞こえるとウインカー音が鳴りバスが停留場に入ってきた。外から車内の様子をうかがうとそれなりに人が乗っている。
「げ! 激混みじゃん」
◆
学校に着くとすぐにホームルームが始まった。この日は部活動見学についての説明があった。資料には多種多彩の部活名が載っていて、航空に関係のないいわゆる普通の学校と同じ部活もあった。そんな資料の中に強調されているわけではないが、二つの部の名前が目に入った。グライダー部と飛行部。どちらも飛行に関する部だと言うことは分かったが、果たして二つの部活は何が違うのだろう?
「それでは本日から二日間、部活動見学があるから是非とも行くように。皆さんしっかりと見学して悩み、選んでください。なにか分からないことがあったら相談に乗るよ。あと、印刷物一部を忘れたので取りに行ってきます、皆さんはそれまでご歓談ください。ウフフ」
見学は二日とも午後から放課後に行われるので、午後になるまでに何処を見て回ろうか自分の席で考えることにする。少しだけ開いている窓から強めの風が吹き込み、カーテンがゆらゆらと揺れはじめた。私は左手で頬づえをつき右頬で風を感じながら窓から外をぼうっと眺めた。
「グライダーってなんや? アレか鳥人間みたいなヤツか。俺は中学まで野球部だったかしよう分からんわ。せや、二稲木さんはわかるか?」
不意に幡ヶ谷君に質問された。自然へ溶け込んでいた意識が引き戻される。ほんの一瞬だけ邪魔されたことに対する不快感が頭をよぎったが、そんなことでいちいち腹を立てていてもしょうがない。
「一般にグライダーは翼が長いのが特徴で、動力・エンジン付きのグライダーはモーターグライダーって呼ばれているよ。動力・エンジンがない機体はピュアグライダーと呼ばれていて、一般的にはこっちの方が主流だよ」
「せやけどー動力を持たないピュアグライダーって、どないして飛ぶんや?」
「グライダーの前に長いロープを付けて飛行機で引っ張って貰いながら飛ぶ
「曳航をする方法と凧揚げみたく引っ張る方法な、なるほどありがとうな」
納得している幡ヶ谷君は今泉さんの接近に気づいたのか、そそくさとした様子で私の机から離れていった。
「お楽しみのところゴメンね」
「そういうわけでは……」
今泉さんの手にはビスケットの箱が見え、一つ取っては美味しそうに頬張る。昼ご飯の時間が近いのに今からお菓子を食べて大丈夫だろうか。私も喉の渇きを覚えまだ微かに冷たさを感じるウーロン茶を飲む。ふと黒板横の時計が視界に映りよく考えると授業時間中だということを思い出し、急いでキャップを閉め鞄にしまった。そんなことはお構いなしに彼女はどんどんと食べていく。
「部活は、どこを見に行く?」
カリカリとかじりながら今泉さんは話す。
「私はグライダー部と飛行部の違いが分からないから、放課後二つ回ってみようと思っているけどどう?」
「とりあえず気になるところは全部回ってみない?」
「そうだね」
「では、放課後レッツゴー」
可愛らしく今泉さんは微笑む。
「あとー、言いにくいんだけれど今は授業中だよ。そのお菓子もきっと先生に怒られるわ」
「あ、ヤバイついついお腹すいちゃって。あずちゃんも食べて共犯になろう!」
「いや結構です」
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