7 担任の先生 #10

 再び自分の席で静かさを取り戻した頃、前の扉から今度は先生が教室に入ってきた。先生は左手に持っていた名簿を教卓に広げた。


「みなさん席についてください。どうも皆さん一—D担任の柴崎しばざき 未恵みえです。オバハンですがどうか末永くよろしくお願いします」



 教室が深い沈黙に包まれた。黒板で文字を書いている先生を除き、物音一つしなくなった。ふと窓の外から飛行機のエンジンの轟音が教室内に響く。一通り書き終えた先生が説明を始めようと深く息を吸い込んだ。

 さっき連絡先を交換した幡ヶ谷君が、ガサガサ音を立て始めた。後ろの席からだと、教室全体が見渡せるので、彼が必死に鞄の中の何かを探している姿が視界に入った。


「あの席は……、えーっと幡ヶ谷君は何をしているのですか?」


「アカン、先生! 急に鼻血が出てきてしまいました」


 当の本人は必死にティッシュペーパーを探してパニック状態だが、教室は笑い声であふれた。


「熟年相手に興奮するなよ」


「あなた鼻血出してまで自分をアピールしなくてもいいのよ。それと、『熟年』とか言った人はこのあと申告するように。ウフフ」


 ティッシュペーパーを周りの人から調達出来た彼は鼻を押さえて事なきを得ていた。


「はい、ヨロシクお願いしますわ、先生」


「はい、よろしくね。それでは今から学年バッジと技能バッジを配ります」


 学年バッジは分かるが、技能バッジ? 柴崎先生はそのまま言葉を続けた。


「この技能バッジは、ここの学校オリジナルルールで一本線は君たちが訓練生や、学習生徒だと言う意味。二本線は昔航空機関士という意味だけど、この学校ではソロフライト達成者もしくは勉学や課外活動において一定以上の評価に値する人がもらえます。ちなみに三本線は私たち教員と、四本線は校長とか空港理事長とかの意味です」


「ソロフライトもしくは勉学で二本線?」


「あくまでも学習意欲向上のためです。さて、誰が最初に二本線が入ったバッジを獲得できるのかが毎年恒例行事になっていますよ。最後に生徒手帳を渡します出席番号順に取りに来てください。ウフフ」


 オリエンテーションが終わると、一年生は下校の時刻となった。ひとまずさっきまでに貰った大量のプリントと教科書を順に整理する。


「そういえば、あずちゃんってどこに住んでいるの? あたしは中央線の八王子駅から二つ隣の終点 高尾駅たかおえきが最寄りだよ」


「私は……あの高い建物よ」


 私は目立って見える高い建物を指さした。今改めて思えば学校からでも頭の部分が見えるようだ。


「ん? どれどれ?」


 これではまるで灯台もと暗しみたいだ。仕方がないので今泉さんの頭を軽くその方向へと向けた。


「へー、ずいぶん高いじゃん」


 落ち着いた口調で今泉さんは山のようになっている教科書を鞄にしまいながら、特に気に留めていない素振りをしている。


「え? 本当に? タワーマンションで一人暮らし⁉」


 目を大きく見開きながら私に聞いてくる。なんだろう、このデジャブ感は——そうだ運送屋さんのおじさんも同じ事を喋っていたっけ。北海道から来たばかりの私はありのままの状況を受け入れるしかできないが、改めてそんなに凄いのだろうか? 私からすると東京都民ってだけで十分凄いのに。


「色々あって一人暮らしする事にしたんだよ。ただ偶然場所の位置が高いってだけで……」


「ねー今度遊びに行ってもいい? あたしの家からもあの建物は見えるけど反対側から家は見えるのかなー、なんて考えていた頃もあったから」


「別に来るのは構わないよ、ただ今は必要最低限のものしかないけれどいいかな? 勿論他の人には内緒だよ」


 人差し指を唇に当てながら今泉さんにお願いした。改めて一考してみると来客を想定したソファーやちょっとした皿などが一切なかった。


「すっきりしている方がいいかなー。別に……、あたしの部屋が汚いとかそういうわけじゃないからね」


 今泉さんは目を泳がせながら話した。


「あ、ごめん。今日はこれから用事があるから先に帰るね、また明日!」


 今泉さんは両手を合わせ、申し訳なさそうな表情を浮かべた。私は「気にしなくていいよ」と伝えると笑顔で教室を後にしていった。


 バス停には既に多くの生徒が人数を成していた。新しい友達同士で楽しそうに話す人、まだ緊張しているのか足をピンと張らせ立っている人、スマホを凝視し地味に列を抜かしていることに気づかない人、それぞれの思い思いの感情を背負っている。半ドンで帰れるのは一年生だけなので若干安心しながら集団に溶け込んだ。


 私は改めて新居についてどういう経緯でこうなったのか大体推測できている。かつて中学二年生の頃、ある事件に巻き込まれそれをきっかけにおじいちゃんが過保護になってしまったからだと思う。半分事故のようなところもあったけれど。


『愛寿羽、住むところならちゃんとした場所探してあげるから。心配しないで』


 そう言ってくれて、八王子駅周辺に中古販売されていたどこかの物件を購入してくれたところまでは知っていたが——。その当時条件として二階以上、セキュリティー万全でなお且つ、学校へ向かうバス停がそんなに遠くない場所とリクエストしていた。いや、いくらセキュリティーだのなんだのって言うけれど地上五八階の高さはちょっとやり過ぎでは……と思ったが内心はとてもホッとしていた。さすがに忍者や空飛ぶ変態でもない限り、外部からの五八階へは上がれまい。

 

 そんなことを考えながらマンション付近まで戻り、改めて地上からてっぺんまで見ようとしたが、途中から首が痛くなったのでやめた。帰る前に複合施設のスーパーで晩ごはんと朝食の食材を買いに行く。今回は足りない食器や小物類を買い揃えた。そういえばここは雨に濡れず、わざわざ離れたところにも行くことがなく買い物が出来る。すごく便利な反面慣れてしまうと、例え徒歩数分の場所にスーパーがある実家の買い物が億劫になってしまいそう。特に雪が降ってしまうとますます家から出たくなくなってしまうだろう。

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