2 東京の新居 #5

 入り口に到着するとあらかじめ持っていたカードキーでその高層マンションのエントランスを抜ける。初めて見る大理石の床を踏みながら奥へ進むと、茶色と白色のバランスがとれたおしゃれなロビーへ着く。いかにも裕福層が住んでいるような高級感漂うその空間は、私のような人には場違いにすら思える。雰囲気に圧倒され少しキョロキョロしているとマンションを管理している男性のコンシェルジュに優しく声をかけられた。


「これはこれは、綺麗な碧眼をしたお嬢さんこんにちは、何かお困りでしょうか」

「あ、はい。すみませんこれを」


 おじいちゃんからあらかじめ渡されていた白い封筒を、鞄の奥底から取り出しその人へ手渡す。封筒の中身をよく見たわけではないが、たぶん契約書類が入っているのだろう。



 シワ一つない黒いスーツのコンシェルジュは胸ポケットに差し込まれた金色の眼鏡をかけ、その封筒の中の書類を凝視した。


「二稲木様ですね。お待ちしておりました、どうぞこちらへ」


 コンシェルジュに応接室のような場所に案内された。そこではカードキーの登録と入居に関しての説明あった。エレベーターやゴミ処理のルール、共用宅配ボックスでの荷物の受け取り方や場所等を一つ一つ丁寧に教えてくれた。


「また何かございましたら、遠慮なくお申し付けください」


 一通りの説明が終わった後、コンシェルジュが優しく言ってくれた。私もいくらか不安が和らいだ。


「いろいろありがとうございました。今後ともよろしくお願いします」


 深々とお礼をしてから荷物を手にエレベーターホールへと向かった。部屋の階数を確認している間に、エレベーターがやってきた。中へ乗り込み三〇階から最上階であろう六二階ボタンの中から五八階のボタンを押す。扉が閉まるとすぐに加速が始まり、やがて一の位がめまぐるしく回りだす。


 あっという間に五八階へ到着すると、先ほどの華やかなロビーとは打って変わって、ホテルの廊下のように落ち着いた雰囲気に変わった。部屋の番号を確認し、先ほど登録してもらったカードキーを玄関にかざす。認証に成功したかのような効果音とともに「ガチャッ」と解錠音が聞こえたので、期待を若干膨らませながら高級感溢れる玄関を開ける。部屋を確認すると間取りが3LDKとなっていた、一人暮らしをする私にとっては広すぎる間取りのようにも思える。家具を置ききったとしてもまだ余裕がありそうだ。日光が白い壁に反射していてとても明るい。


 昼過ぎに家具や家電が届く予定なので、まだ何も無いリビングで昼ご飯用にとっておいたおにぎりを食べながらひと息ついた。午後一時近くに、玄関の呼び鈴が鳴った。


「こんにちは、お届け物です」


 あらかじめ北海道の実家を出る前に注文しておいた家電や家具が届いた。本来であれば、実家から使える家具は引っ越し業者に頼む予定だったが、距離のコストと帰省したときに前のを使えるようにと、インターネット通販にて最低限生活に必要な家具などを揃えてくれた。


 配置を特に考えていなかったので、適当において貰ってから自分で直そう。


「これで全部です。ところで学生さんなのにこれまたエライところに一人暮らしを始めましたね。もしかしてお父さんどっかの企業の社長さん?」


「余計なお世話です。こちらにも事情があるので」と言いたいところではあるが堪える。これ以降に会うかわからない人に、いちいち自身を語っていたらキリがないと思った。それに私をよく思わない人だって沢山いるかも知れない。そう考えると誰を信じればいいか分からない。


「本日はありがとうございました」


 私が素っ気なく言うと、業者の人はそれ以上聞くことはなくさっと帰っていった。

それからは色々な場所へ向かい、住民登録など必要な手続きを全て行い、終わる頃にはすっかり陽が落ちていた。一通り生活に足りない物がないかチェックしていたメモ書きを見ながらマンション下にある複合施設のスーパーで買い物をする。



 本来であれば入学前日でバタバタするのではなく、もっと余裕のある春休み中に準備をする予定だった。だが出発直前、母方のおじいちゃんが六年前の事件を解明しようと色々な機関を調査しているうちに理由もなく投獄され、そこで病死した知らせを耳にした。葬儀等で大幅に予定が狂ってしまった。



 そう、結局手がかりはおろか何も分からないまま起きた出来事。全て、全部が最悪だ。



 そんなやり場のない気持ちを切り替え、今はとにかく平凡な高校生を演じることにしよう。事件の真相解明と将来の目標のために今日、今この瞬間を精一杯生きなければならないと自分に誓ったのだから。


 新生活を始めて十数時間経つが全く落ち着かない。一人でちゃんと生活できる様々な不安と希望が入り混じる。



 時計を見ると既に午後一一時を回っていた。明日の学校に備え寝る支度をし、目覚ましを確認、まだおろしたての匂いがするベットの布団へ入り部屋の明かりを消す。暗闇の中で六年前の事故で機内の会話が記録された“ブラックボックス”と呼ばれるカセットテープの未だに一番謎が残るパートを再生する。このテープは死んだおじいちゃんが命をかけ入手したもの。



『それじゃあファイナルオペレーションをおっぱじめよう! 今この状況を最後まで楽しもうじゃないか!』



 お父さんはどうして緊迫した状況下でこんな言葉を口にしたのだろうか。そもそもあの事故は本当にお父さんたちの操縦ミスなの? 私は真相を知りたい。だから少しでもヒントを得られたらと思い、かつてお母さんと何かの研究を一緒にしていた関係者が務めている学校へと入学することに決めた。

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