Prologue. 2 #2

「どうした? エンジンか?」

「左エンジンフレームアウト(停止)」

「了解、燃料漏れの可能性があるため、エンジンの再始動はしない。緊急時チェックリスト! APU作動、エンジン燃料ポンプ停止——」

 補助電源供給装置(APU)を使用する事でエンジン損失分の電源を賄える。

 ミスを犯さないよう利翼は、確実に手順がこなされているかを一つ一つリストに照らし合わせながら、指さし確認を行う。同時に美羽はエンジン停止の原因と適切な対処法を探るべく非常事態対処マニュアル(COM)を使い懸命に困難を乗り切ろうとあがく。

「チェックリストコンプリート。それで、フレームアウトの原因は?」

「調べてみたけれど、直接の原因が不明で、他にも油圧がどんどん落ちているわ。恐らくさっきの破裂音と一緒に配管が破損しているかも」

「なるほど了解。本当は外へ出て状況を確かめたいところだが……。とにかくもう一つのエンジン出力が安定する高度までドリフトダウンする。あとトランスポンダー(航空機に設置されている管制側で確認出来る識別番号を発信する装置)のスコークを緊急用七七〇〇にセット」

 対処をするため慌ただしくなっているコックピットへ電話の呼び鈴が鳴る。

『おい、無能め! なんとかしろ、これだから女パイロットはダメなんだ』

 客室に異常があるのかと思い美羽は電話に出るが乗客の男が罵声を浴びせてきた。

「黙ってください。何も出来ないくせに。命が惜しければ今すぐ席に着いてください」

『あ? おい誰に向かってものを……』

 美羽は何か言っているであろう男の話を無視し電話を切る。

 高い高度で飛行する飛行機は、片方のエンジン推力だけでは空気の密度の関係で速度が足りず最悪失速する恐れがある。そのため片方のエンジン出力だけでも安定して飛べる高度まで、緊急降下(ドリフトダウン)することが必要となる。一瞬油圧状況が脳裏をよぎり、ためらいながら美羽は自動操縦を解除するボタンに触れる。


「オートパイロット・ディスエンゲージ(自動操縦解除)。——あれ、なにこれ? 操縦桿がすでに凄く重たいんだけど」


 美羽はひどく困惑した。ジェット機は油圧で大きな動翼を、梃子の原理で動かすので、軽い力でも簡単に操縦ができるようになってる。ただ油圧の作業油が想定以上に抜けているので、その相当分を人力で動かす必要が障壁として立ち塞がった。それに加え左右のラダー(飛行機の向きを決める方向舵)制御も行わなければならない。

「いいよ、俺が操縦代わるから無線をお願い。I have control.」

「MAYDAY MAYDAY MAYDAY JA7135WN emergency descending to 7000ft due to right engine faller.(JA7153WN緊急事態発生左エンジン停止につき七〇〇〇フィートまで緊急降下中)」

 美羽は無線を使い状況を近くの管制へ報告し、緊急事態である事を宣言した。

『Roger, turn right heading 118.(了解、機首を一一九の方向に向けてください)』

 管制官の男性から続けて無線が入る。

『えー日本語でお伝えします。貴機は現在エンジントラブルということでー、間違いなかったでしょうか?』

「はい、あと油圧の作業油も抜けているようで、操縦が効きにくい状況となっています」

『了解しました。エマージェンシー着陸可能な空港は、この近くですと茨城いばらき、少し戻って羽田はねだです』

「距離的に近い茨城方面にしたいと思います」

『ラジャー。可能でしたら、無線周波数をセカンダリーに(緊急又は予備用に使用する周波数帯)に変更してください』


 一定であった風が、高度を下げながら航行しているが雲が無いのにも関わらず急に乱れ始める。ジェット機は晴天乱気流に突入してしまった。機体は左右の翼を軋ませながら激しく上下に揺らされ、利翼は重く暴れ狂う操縦桿を必死に抑えている。程なくして乱気流から抜け出す。先ほどの反動で、機体のエレベーター(機首を上下に振ることができる昇降舵)が下向きで固まりそのまま降下の姿勢になった。

「思ったよりも沈下が大きい」

 操縦桿を目一杯引いているが、油圧作業油が喪失しているため無情にも機首が下がり続ける。

「パワー・アイドル」

 降下による加速を止めるためエンジン出力を一杯まで絞る。

「油圧がほぼダメになっている。いくら操縦桿を引いてもビクともしなくなった。スピードブレーキ(減速装置)もエレベータートリム(飛行機後方にある姿勢安定を補助する小さな舵)も動かない」

「それにさっきの乱気流でトリムも降下側に当たってしまっているから、余計に機首が下がってしまうわ」

 この飛行機はトリム装置を使って動翼の小さな舵を動かし、操縦バランスを中立に保つことができる。しかし調整するすべもなく、速度を示す表示が少しずつ上限値である赤のラインに近づく。


『ピッピッピッピッピッピッピッピッ』


 速度が規定を超過し、コックピットには警報音が鳴り始めた。

「このままじゃオーバースピードで機体が空中分解してしまうわ」

「仕方ない。ラダーペダルをいっぱいに踏み、クロスコントロール(踏んだ足の反対側に操縦桿を倒す方法)でフォワードスリップをしよう」

 フォワードスリップとは、グライダーなどの小型旅客機が機体全体で抵抗力を増やし、降下率を大きくするように飛び、高度と速度の処理を行う飛行方法。ただし操縦がままならない状態での実行は困難を極める。それでも実行を決意する利翼の手には汗が滲む。

 機体は向きを変えることはできたものの、傾けることまでは難しかった。

「やっぱりダメだ、クロスコントロールをしても思うように機体が傾かない」

「そうね、これ以上無理をしてコントロールを失ったらそれこそ本末転倒になるかも知れないね」

「やむを得ない。フラップ(高揚力装置)を壊してでも速度を下げよう」

 冷静に状況判断しているようだが実際、利翼は焦りを隠しきれなくなった。フラップは通常離陸や着陸時に展開し、主翼の面積を広げることにより揚力(航空機を浮かせる力)を発生させ、低速飛行時にも安定した飛行が可能になる。展開の角度を増やすとより揚力が得られるがその分翼にかかる抵抗が増える。利翼はその特性を逆手に取り機体を減速させる。

「それはダメ。他の方法を考えましょう。予定よりも速い速度だと展開部分が破損するわ。いまフラップを壊すと、着陸距離禍長くなってしまうし、それにこの周辺には風に正対した一五〇〇メール以上の滑走路がある空港がないのよ」

「あぁ、分かってる。でも生き残るためにも、やるしかない。いいかい、たとえ機体を壊そうが、ケガをしようが、生きていれば正解になるんだ!」

 その判断が吉と出るか凶と出るかは誰にも分からない。夜のコックピットにプレッシャーだけがのし掛かる。それでも利翼は決して諦めない。決して。

「フラップ・セット一五!」

 フラップの展開する動作音が機内へ響くと同時に、コックピットでは展開を示すメーターが動く。油圧の少ない状況でもフラップは電気制御のため、問題なく作動した。

「よしいいぞ!」

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