紺碧空のグライド・パス ——Azure skies of Glide Pass——

ぎだ 輝雪

Prologue. Prepared for everything.

Prologue. 1 #1

 航空人こうくうじんから見える空と言うのは、見かけによらず案外狭いものだろう。ほら、きっとあの蒼天の向こうでまた会えるから。


Prologue. Prepared for everything.


 まだ微かに冬の寒さが残るこの季節。気流に目立った乱れもなく、夜間を飛行するパイロットにとっては、この上なく良い天候コンディション。オレンジ色の灯火がエプロン(駐機場)に駐機している大小様々な飛行機をぼんやり静かに照らしている。遠い国の国籍を持つ大型旅客機や偶然ここへ飛んできた小型機の数々——それぞれがそれぞれのプランを持って旅をしてきた飛行機たちが、ひと時の夜の静寂に翼を休めている。空港ターミナルから離れたエプロンの一角が灯火ではっきりと照らされている。灯りの下、一機の小型プライベートジェット機周辺に数人が集まっている。そのジェット機に二稲木にいなぎ 利翼としお美羽みうの二人が向かう。


 二人は夫婦でパイロット派遣会社ウイング・バードの社員として政治家や、有名企業の社長、スポーツ選手など様々なお客を送り届けている。今夜は一晩、小学三年生になる一人娘の愛寿羽あずはと美羽の父を留守番させ出勤している。


 先にジェット機に搭乗した美羽は、コックピットの右席に座りで電源投入やルートの最終調整などの出発準備を進める。利翼は懐中電灯を片手にエンジン内部やギア(車輪)に異常が無いか点検を行う。飛行機自体は最大で一〇人乗りでそこまでの大きさではないため手早くチェックしていく。こうしていつものように二人で役割を分担しながら効率よく準備を進める。出発予定時刻が近づくなか一人の乗客がコックピットへと入ってくる。

「まだ出発しないのかね。明日は重役会議があるから急いでくれないか?」

 ワイシャツのボタンがはち切れそうなほど大きなお腹の会社執行役員のような乗客が慌てた様子で美羽に出発を促す。

「あと一〇分で出発出来る見込みです」

「いいからできるだけ早くしろ! 少しでも遅れたらお前らの会社にクレームを入れるぞ」

 この手の理不尽な客は一定数相手にしたことがあるため冷静に対処する。

「はい、なるべく早くしますので、席に座ってベルトを締めていただけますか?」

 乗客の男は不機嫌な様子でコクピットから出て行く途中大きな音を立てながら扉を閉じる。すれ違うように利翼がコクピットに入ってきた。

「何かあった?」

「いいえ特に。乗客がどうしても急ぎで飛ばなければ、明日の予定に間に合わないそう」

 美羽は乗客人数や重量の情報を確認できるタブレット端末を中指で操作しながら答える。

「ルートの調整は出来ていますので、あとは機長のあなたが出発を宣言して貰えれば出発できます」

「了解、ありがとう」

 利翼と美羽はフライトバッグから白手袋を取り出し着用する。


『JA7135WN Passenger all on board? (JA7135WN乗客は全員搭乗済みですか?)』


 空港管制官からの無線が利翼たちの乗っているジェット機に届く。このフライトの搭乗人数は乗客乗務員併せて七人、乗客の全てがウイング・バード社の出資に関わる重要な企業。下手な接客や対応次第で社運が大きく変わるのだが……。

 利翼が出発の為に飛行機のドアを閉める。

「おい何やってんだ。あと一人がまだだぞ! ほんとに気が利かないなー。出発が遅れているが速度を上げれば間に合うだろ」

 先ほどの乗客の喉号が客室に響く。どうやら空港の出発ロビーで忘れ物をした乗客がいるようだ。利翼は分からないぐらいにため息をつきながら乗客の搭乗を待つ。美羽も遅延することを管制官に伝える。待機している間にも駐機料が発生することや、フライトプランがずれることを乗客側は知るよしもない。

 そのうちもう一人の乗客が、遅れたことを棚に上げ、偉そうに「待機ご苦労」と口にしながら機内に乗り込んだ。

 コクピットに戻ってきた利翼はため息を漏らしながら、白手袋を直し計器スイッチを押していく。


「お待たせしましたJA7315WN(飛行機の識別記号)出発可能です」

「出発ブリーフィング」

 利翼がそう宣言をすると二人でわずか三分もかからずエンジンを始動させる。ジェット機は約三〇〇キロメートルの区間を一時間ほどで飛ぶ予定。エンジンを少しだけふかすと、機体は動き出し滑らかなに地上滑走を始める。


 滑走路まで機体を進め、管制官から離陸許可を受ける。

「離陸許可確認」

「ラジャー、テイクオフ」

 スロットルレバーと操縦桿を握っていた利翼がレバーを押し倒し加速させる。滑走路脇のライトが流れる間隔を狭めながら流れていく。あっという間に一〇〇〇メートルも滑走し、ギアからはリズムよくセンターライトを踏む独特な音がコックピットに響きわたる。

「V1(万が一離陸時エンジンが停止しこの速度に到達していた際、離陸を継続しなければいけない)、ローテーション(機首引き上げ)」

 ここで操縦桿をゆっくりやさしく引く。タイヤから伝わる振動がやがてなくなり、そのまま翼へと役割が切り替わる。

「V2(安全に離陸が続けられる速度)、美羽はギア(車輪)をお願い」

「ギア・アップ」

 普段と何ら変わらない手順をこなす。まだ離陸したばかで目標の高度である三万フィートまでは上昇の姿勢のまま飛行していく。夜なのにも関わらず、月明かりで飛行機の影が形を変えながら地表に映っている。

「雲一つなく、満月がきれいにみえるよ」

「愛寿羽にも見せてあげたいね。そうだ写真を撮って送ってあげよう。女の子だから喜ぶかも」

 美羽はスマホを窓へ構え写真を数枚撮り、その中のいくつかをメールに送信する。程なくして、愛寿羽からネット回線の電話がかかってきた。

『キレイなお月様の写真ありがとう。ねーねー今お父さんたちはどこら辺を飛んでいるの?』

「ちょうど今は静岡の海の上かな」

『静岡だとふじさんのところだね』

「よく分かったね。将来は空のガイドさんかな?」

『えへへ、でもわたしお父さんとお母さんとおなじパイロットになりたい』

「学校はどう?」

『うーん、あんまり楽しくない。勉強はそこそこだけど、みんなに“碧い目はキライ”っていじめられるの』

「そっかー。でもめげずに学校へちゃんと行っているのはエライ! 愛寿羽、世界には色々な人がいるんだよ、肌の黒い人や真っ白な人、髪が金色の人、緑の目をした人だっているんだ。だからそんな小さい世界しか知らない人達は相手にしなくていい。それに愛寿羽はお父さんたちの大事な、大事な自慢の娘。迷子になってもすぐに見つけ出せるし、日本人で愛寿羽みたいに綺麗な碧い目の人なんてめったにいないでしょ」

 電話口で少し間が開く。

『元気がでたよ、ありがとう!』

「あずは、今日の宿題を早くやっちゃいなさい。分からないことあったら、おじちゃんに教えて貰うのよ。あと夜更かししたらダメよ。お父さん、あずはをお願い」

『おじいに任せなされ。あずはちゃん、お母さんたちは忙しいから、明日帰ってきたらまたゆっくり話そう』

『うん分かった。早く帰ってきてね。お父さん、お母さんだいすき!』

 通話が終わると、機内の二人はお互いに顔を見合わせクスッと笑った。

「そういえばいつか、愛寿羽に空からモーンガータ(月明かりが水面に道のようになって映る)を見るって約束したな。早くあの凄い風景を見せてあげたいなー。それにしてもいい夜だ」

 水平飛行のまましばらく流れる時間の中で煮詰まった本音を利翼は口にした。

「でも本当にブラックだよな、うちの会社。一ヶ月に決められている上限一〇〇時間のフライト乗務(航空法で定められている乗務時間)をゆうに超えて働かされるから」

「ほらあなたって人は。余裕ができるといつもこうだから」

「さーて、あと一五分程で降下するから、着陸させたらさっさと家に帰るとしよう。この先も順調だしな。フライトログを書くから、操縦を頼む。You have. (操縦を任せます)」

「I have.(私が操縦します)」

 操縦を代わった利翼は鞄からフライトログと呼ばれる運航を記録する冊子を取り出した。これは飛行するたびに書かなければならないため、面倒くさそうにボールペンをノックした。


「そういえば、フライターの開発はどう?」

「今のところ順調で、もうすぐテスト段階に移行予定よ」

「早く一般に普及したらいいのに。そしたらこんな記録を書くなんて煩わしいことをしなくて済むからな」

「もう少しだけ待って頂戴、あとは実用化テストをするだけだから」

「いいよ、気長に待つから。えーっと日付は二〇二六年……」


 そのとき残りの距離が半分以下になった地点で『バン』という鼓膜が破けるような破裂音とともに、左エンジンの回転数表示が急激に低下し始めた。ほんの一〇数秒足らずで回転数がゼロにまで落ちた。

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