第9話 全権大使、決定

  帝都は騒がしかった。

 帝都は城壁の無い、開かれた街だ。

 統一戦争後に造成された人工都市のため、商業的な優位性を優先させたためだ。

 当然の如く噂や情報が入ってくるのも早い。

 その早い情報の中には当然のようにルニ子爵領に海向こうからの使者が来た、という物が含まれていた。


 それというのもあの夜、騒ぎと喧騒に包まれていたルニの街は、子爵の判断で外出禁止が宣言されたが、それよりも早く街を脱出した者たちがいたのだ。


 その多くが商人で、不穏な空気を特有の嗅覚で感じ取っての行動だった。

 荷を多く積んだ彼らの歩みは当然遅く、早馬を走らせる子爵の部下が追い抜いたが、彼らは危機管理だけではなく情報への貪欲さも併せ持っていた。

 

 帝都への約五日の行程を、いくら軍馬といえど休まず走れるわけもない。

 商人たちは商隊の一部を街道の駅に先回りさせ、飼い葉や食事、替えの馬を準備して待ち受けた。

 

 気が動転していた上に疲労していた子爵の部下は口が軽くなっていた。

 もっとも、子爵に口止めされていなかった彼にしてみれば機密漏洩に当たることではなかったし、異国の軍勢がいるのだ。

 民間人に注意を喚起するという意味合いもあって、詳細を商人達に伝えた。


 あとは早かった。

 馬や手紙鳥によって海向こうからの使者来る、という情報は早馬より早く帝都に届き、使者が届いた頃にはすでに重臣による会議が行われていた。


 そして、その会議にはグーシュを始めとする皇族も出席していた。





「では、交渉官とその護衛、及び子爵領への増援を派遣することとする」


 重臣会議が行われる帝城の会議場に、ルイガの声が響いた。

 

 会議場は場を和ませる為に部屋の中央に四角い泉があり、出席者はその周りの座椅子に座るようになっている。

 涼し気な部屋は確かに装飾としては優れているが、正直会議しやすいとは言い難い。

 とはいえ熱くなった主席者が殴り合いになるのを防ぐ、という本当の目的からすると理には叶っている。

 もっとも、現在の会議場はその真逆の空気だった。


 というのも、情報が足りな過ぎた。

 あるはずの無い、海向こうからの使者とその軍勢という情報は確かに衝撃的だったが、現状では他に何もわからない。

 噂話が広まった段階で急ぎ子爵領に斥候を出したが、その者たちが戻るのは不眠不休の強行軍でも八日以上かかる。手紙鳥を使えばもっと早く付く可能性もあるが、いくら早くとも到着率が五割を切る通信手段を取ることは躊躇われた。

 ルーリアトには、小鳥を狙う肉食の飛翔生物がいくらでもいるのだ。

 

 結果、殴り合いどころか先程の決定が粛々と決まるだけだった。


 国家の一大事という事で、皇帝候補として出席していたグーシュとしては、この思わぬ機会に是が非でも自分自身で海向こうの人間と会いたかった。


 この思わぬ知らせを聞いたグーシュの胸からは、ここ数年胸にあった鬱屈した思いが消え去っていた。

 無いとあきらめていた未知と非日常が向こうからやって来たのだ。

 興奮しないわけが無かった。

 とはいえ、それでも即座に声をあげないだけの分別はあった。

 ここで手をあげれば、もはや皇太子派の一派はグーシュに容赦しないだろう。

 そうなれば、ミルシャの安全など当然保障されるはずもない。

 三年前のような幸運と容赦は、望むべくも無かった。


(落ち着けわらわ……海向こうからの使者は逃げは……せんだろうな? いや、遠くから来ておいて帝都にも来ずに引き返したりはせんだろう……しかしやはり最初に会いたい……後からでは官司共の決めたしょうもない取り決めが足を引っ張るやもしれん……いかんいかん、ミルシャのためにも、ここは落ち着かねば)


 もう兄や官司に楯突くことはしない、そう決めていたグーシュは落ち着こうと努めていた。

 その時だった。

 皇帝の背後に官司が現れ、何事か耳打ちする。

 すると皇帝はチラリ、とグーシュの方を見た。

 静かにしていろ、という意思を込めてのものだったが、グーシュには通じなかった。

 

「皆、聞いてくれ。たった今早馬の第二陣が届いた」


 会議場がどよめきに包まれる。

 それを皇帝は手を上げて静めた。


「父上、何か新しい情報が?」


 ルイガの問に、皇帝は重苦しく答えた。


「海向こうからの使者は薬式鉄弓装備の歩兵約二千、さらに据え置きの薬式鉄弓を装備した仕組み不明の鉄の箱で覆われた自走する破城槌が約二百台」


 今度は困惑が広がった。

 相手の軍勢があまりにも訳の分からないものだったからだ。


 薬式鉄弓は大陸ではもっぱら、歩兵や並の騎士では勝てないような達人を倒すため、いわゆる火消し役としてごく少数の薬式鉄弓隊が指揮官直轄で用いられるに過ぎない。

 それが二千、その上それを装備した仕組み不明の破城槌二百など、理解に苦しむ他ない。


 そんな困惑を打ち破り叫ぶ者がいた。

 帝都駐留騎士団の幹部の一人だ。


「陛下! 破城槌をそんなに大量に持ち込んだ時点で使者などではありますまい! これは侵略軍が使者を装って時間を稼いでいるのです! 一刻も早く奴らを叩き出す準備をすべきです、全軍に出撃命令を!」


 そうだ、という声が他の騎士からもあがる。

 その声にグーシュは思わず声を上げそうになった。


 本当に破城槌なのかまだわからない。

 まったく異なる文化文明の、しかも我々の常識外の軍の編成を見て、なぜその意図を図れるのか……。


(いかんいかん、堪らえよう。また連中に睨まれる……ミルシャの下着のことでも考えよう)


 グーシュが煩悩によって自らの衝動を抑えていると、ルイガが将軍たちを諌めた。


「決めつけるな! 先に手を出しては相手に大義名分を与えると分からぬか。ましてや相手は、言っていることが正しければはるか彼方の者たちだ。南方蛮地の者共より遠くのことを、あれだけの情報で計るなど拙速に過ぎるぞ」


 ルイガの言葉に将軍たちは黙り、官司達はほぉっと感心の声を上げる。

 グーシュも正直感心していた。兄も成長している。ここは自分は出しゃばらず、様子を見るべきかもしれない。


「ルイガの言うとおりだ。それに、情報はまだあるぞ」


 皇帝の言葉に場が静まる。すると皇帝は、再びグーシュをちらりと見た。


「敵の使節団の代表は……王族もかくや、という甲冑を身に着けた者だそうだ」


 会議場が騒然とする。なおも皇帝は続けた。


「しかも相手方はその意味をきちんとわかっているようだ。を交渉担当として派遣してほしいと主張しているそうだ」


 帝国の外交慣例では、使節の代表が身につけている物で使節の格が決まる。

 そして豪奢な全身金属甲冑は王族クラスを示す。

 王族クラスの甲冑を身に着けた者が使節団の代表者なら、当然帝国からも甲冑を身に着けた者、すなわち皇族が出席する必要がある。

 しかも相手が、その慣例を理解った上でそう言ってきていると言う事は、皇族が出向かなければこちらの慣例を拒む口実にされかねない。


(……ああ、これなら、わらわが行く口実に……)


 グーシュの思考が再び揺れ動いた瞬間、ルイガの目に一瞬怯えにもにた色がよぎった。


「……遠方の相手の言うことなど聞く必要はありますまい。とはいえ格は考慮してここは貴族会議議長を……」


(兄上……日和ったな……海向こうとの交渉に自分が行く可能性を一瞬考えた……)


 そこまで瞬時に考えた瞬間、ほとんど反射的にグーシュは声を上げた。

 あれほど心配していたミルシャの顔よりも、その瞬間は未知への好奇心が勝ったのだ。


「お待ちを兄上!」


 会議場の視線が一気にグーシュに集中する。

 多くの驚きと、皇太子派の怒りに満ちた視線だ。

 いや、皇帝からの諦めたような視線が一つ……。


 ずっと我慢していた。

 大切なミルシャの為ならなんの問題も無いと思っていた。

 しかしこのザマだ。

 自分の中で”海向こうからの使者”に会うための道筋が見えた瞬間、悩むこと無く口を開いていた。

 グーシュは静かに、自分の性分に対して怒りと諦めにも似た感情を抱いた。

 

 未知。


 やはりそれへの渇望と好奇心の前には、全てを投げうってでも……。

そんな思考すら瞬く間に消え、グーシュは続けた。


「相手は想像以上にこちらの文化や情報を熟知しています。しかしこちらは向こうのことを知らない。そんな中、相手はわざわざこちらの外交慣例を守ってくれているのです。無論何らかの罠かもしれません。ですが皇族を呼び出そうとする意図は不明ですが、これを拒否しては今後の交渉でこちらの慣例や法令を破る口実にされかねません」


「だ、だが……」


 言い淀むルイガに、慌てたように交渉院の官司が助け舟を出す。


「しかしポスティ殿下、意図も分からぬ未知の使節団のもとにどなたが行かれるのですか? 陛下や皇太子殿下は論外ですし、他家に嫁いでいる姉君のヨイティ様は実質的に皇族ではない。まさか、そのような危険な所に貴方様が……」


 瞬間その官司にルイガが「馬鹿者が!」と叱責をする。

 ああ、あの官司は帝都に来たばかりで第三皇女がどういう女か知らなかったのだ。

 グーシュリャリャポスティが未知の軍勢如きに怯むと思っていたのだ。

 

「わらわが行く、当然だろう」


 交渉院の官司が口をあんぐりと開けた。

 ルイガや周りの顔を見回して、自分が失態を犯した事を悟り、何か言おうと必死に口をパクパクと動かすが、何も言葉が出ない。

 そしてその様子を見ていた皇帝が、諦めたような雰囲気で口を開いた。


「良いだろう。グーシュリャリャポスティ。お主に海向こうからの使節団との初期交渉における全権を与える。ただし協定や条約などの国家間の約定を定める際、その内容を相互友好の推進や交渉に関する取り決めといった戦端回避に関する事柄に極力限定する、よいな」


 要は突発的な戦闘の回避と交渉の継続に関する事以外は決めてくるな、ということだ。

 外交素人の皇族を派遣するのだ、当然だろうとグーシュは納得した。


「父上! 」


 しかしここでルイガが食い下がってきた。鬼気迫る形相で皇帝に迫る。


「グーシュをやるにしても全権を与えるなど! 交渉院の者を同行させ、正式な事柄はこちらに持ち帰らせて決めるべきです! 」


「……ルイガよ。帝国が、それも遠く海向こうからの使者に対し、いちいち交渉中に『本国に聞いてから』などと繰り返す中途半端な交渉が出来ると思うか?」


「しかし、こいつは……! 」


「ならば」


 皇帝の発する空気にルイガは言葉を詰まらせた。


「お主が行くか、ルイガ。皇太子であるお主であるならば、条件抜きの全権を余は与えるぞ」


 これは皇帝の助け舟だった。

 ここで即答すれば、限定された全権を与えると言ったグーシュより皇太子は信用や実力が上だと、皇帝が明言することになったからだ。

 無論皇太子のルイガが赴くことに危険は伴うが、こじれたこの場を乗り切るためには仕方ないと判断したのだろう

 しかし、ルイガは即答出来なかった。

 得体の知れない二千人の軍勢への恐れが頭をよぎったからだ。


 「なあに、兄上。父上の冗談を真に受けなさるな。大事な帝国の未来を危険に晒すわけに行かないでしょう。こんな危ない橋はわらわの様な放蕩娘がちょうどいい」


 そう言ってグーシュが声を上げて笑うと、ぎこち無くではあるが場の空気が和らいだ。

 ルイガ皇太子を除いて……。


(助け舟を出したつもりだったが……逆効果だったか? )


「決まりだな。相手方の要請に対してグーシュリャリャポスティに全権を与えて派遣することとする。騎士団長! 第三皇女の護衛と子爵領の援軍の編成を行え、規模はそなたに一任する」


「はっ!」


「グーシュは急ぎ準備の上、明朝出立せよ。向こうの動きも気になるからな。交渉院はすぐに先触れを出せ! 万が一に備え早馬は複数出すのだ、よいな」


 皇帝の指示を最後に、こうして会議は閉幕した。

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