第4話 未知との遭遇
投擲された短剣は、寸分たがわずグーシュの顔に向かって飛んでいった。
思わずのけぞろうとしたグーシュだったが、その必要は無かった。
短剣が空中で静止したのだ。
正確には、グーシュの目の前にいた、何か透明な存在に刺さったのだ。
さすがのグーシュも、それには唖然とした。
「一体何が……」
一瞬の驚愕の直後、すぐにミルシャの方を見たグーシュだが、すでに彼女は馬の背に居なかった。
ミルシャは、馬の背を足場に勢いよく跳躍して、空中で抜刀して斬りかかってきたのだ。
だが、グーシュは今度は驚かなかった。
信頼を込めて、ただ叫ぶ。
「好きにやれ! ミルシャ!」
グーシュが叫んだ時にはすでに、ミルシャは剣を一閃。
グーシュの目の前にいた、透明な何かに向けて剣を振り下ろしていた。
すると、剣先に何かが掠るような音が聞こえた。
「ちッ、浅い!」
ミルシャが吐き捨てるように言うのと、彼女の眼前の地面が爆ぜるのは同時だった。
何かが、勢いよく跳躍したのだ。
それを見たミルシャは即座にグーシュに寄り添うと、守りやすいように馬から降ろし、自分の背後と馬の間にグーシュを庇った。
グーシュはと言えば、ミルシャの背中に縋りつき、ぶるぶる震えていた。
「ミルシャ……一体なんだ!?」
思わず叫ぶグーシュに、ミルシャは周囲を警戒しながら答えた。
「無礼をお許しください。先ほど、グーシュ様の目の前に透明な揺らめきが一瞬見えまして。ラト家にいた同僚に聞いた事があったのです。南方蛮地の大森林には、身体を透明にして襲ってくる獣がいると……」
南方蛮地とは、大陸南部に広がる大森林及び、その周辺に点在する異民族、耳長族の住まう土地の事だ。
南方蛮地はその奥地で、中央山脈に隔てられた人跡未踏の魔境、大陸東部と繋がっていると言われており、人間が束になっても勝てないような狂暴異質な生物で溢れかえった死の土地だった。
しかし、耳長族だけはある程度の場所まで森に入り、豊富な動植物由来の物品を採取できることから、蛮地と接したラト公爵領は耳長族との交易によって栄えており、当然そこに行った事のある者の中には、ミルシャが聞いたような未知の獣の情報を知っている者もいた。
「それは興味深いな……しかし、よくそれだけの情報で攻撃出来たな」
「さすがの僕も躊躇しましたが、その獣は近づいていきなり人間の首をもぎ取ると聞いたので……何もしないでグーシュ様の首を食べられるよりは、動いた方がいいと判断しました」
ミルシャがすまなそうに説明している最中も、グーシュは震えるように身をよじりながら、ミルシャの背中にぴったりとくっついていた。
だが、不意にその動きが止まった。
「ミルシャ。その、透明の獣はまだいるか?」
いきなり震えと、何やらもぞもぞした動きが止まったことに、少し疑問に思いながらミルシャは目線で少し離れた木の枝を示した。
「あそこです。グーシュ様の目の前から飛び跳ねて、一気にあの木の枝まで飛んで、その上からこっちを伺っています」
「わかった。あそこだな」
そんなグーシュの言葉が聞こえた瞬間、ミルシャの右脇の下から乾いた破裂音のような轟音が響いた。
思わず顔をしかめながらも、ミルシャはその音を聞いて、さっきまで震えるふりをしてグーシュが何をしていたのかに気が付いた。
「
「正確には
薬式鉄弓とは、鉄でできた筒に火薬と鉄の塊を詰め、鉄筒の後ろに取り付けられた火打ち石で着火して鉄の塊を射出する兵器だ。
戦争の無い大陸では主力とは言い難い、比較的珍しい兵器だったが、こういう物が大好きなグーシュは、護身のため小型の短鉄弓を持ち出していたのだ。
そしてグーシュによる射撃の成果を、ミルシャは見た。
木の枝の上にいた透明の何かの一部が爆ぜて、破片のような何かが地面に落ちたのを。
そして、現れた恐ろしいモノに、思わずグーシュを抱き寄せた。
どんな達人にも負けないと自負していた剣が、思わず震えた。
それはグーシュも同様だったようで、ミルシャの腰にすがり付き、弾の入っていない鉄弓を震えながらそれに向けた。
気の上には、一見何もいないように見えた。
だが、目を凝らすと人間ほどの大きさの揺らめきが見える。
そして、揺らめきの上部。人間の顔がある辺りには、グーシュの射撃によってなのか、肉眼で見える顔があった。
死人のように白く、それでいて鉄弓の弾のせいなのか赤白い繊維が所々むき出しになり、血ではない、黒い液体を滴らせる、明らかに人間とは異質な生物の顔。
それが、憎々し気にグーシュとミルシャを睨みつけながら、宙に浮かぶように木の枝の上に立っていた。
恐怖に肝を潰した二人をよそに、その何かは身動き一つしない。
そして、数十秒ほどそうしていただろうか。
唐突に、その何かは見えていた顔を体で隠すと、再び跳躍した。
「きゃッ!……」
「殿下! 僕の後ろから絶対に離れないで! 僕と馬の間にいてください」
そのまま、生きた心地がしない状態で四半刻。
二人はひたすら周囲を警戒したまま、森の中で震えていたが、やがてミルシャが剣を収めた。
「殿下、気配はもうしないようです。もう、安心してください」
瞬間、グーシュはミルシャに抱き着いた。
ミルシャも、力いっぱいグーシュを抱きしめた。
強く、強く。
潰れんばかりに、二人は抱き合った。
「ミルシャごめん」
すると唐突に、グーシュが謝罪した。
ミルシャは、すこし力を弱めた。
あまりにも、力を込めすぎたのかと思ったのだ。
「怖かったけど、わらわちょっとワクワクした」
その言葉を聞いて、ミルシャは心底安堵した。
「ええ、ええ……大丈夫です。僕が絶対にお守りしますから……ああ、よかった。終わってしまうかと思いました」
今まで起きた命の危機と同じように、ミルシャは周囲に気を配りつつ、主を再び力いっぱい抱きしめた。
※
それから少しして、二人は馬を一頭その場に繋ぎ、もう一頭にミルシャが手綱を握るかたちで乗ると、駆け足で集落へと向かった。
「しかし殿下! さっきの奴は何なんでしょうか!」
薄暗くなった森の空気を裂きながら、ミルシャが叫んだ。
結局あの後、透明な何かの痕跡を探したものの、見つかったのは鉄弓で撃たれた際落ちた仮面だけだった。
仮面という事は先ほどのあれは、知恵を持った存在であるという事だ。
そうなると、ミルシャが透明の動物の情報を仕入れた先であり、未知の技術を保有するという噂もある耳長族とのつながりが深い、四大貴族の一つラト家の関与が疑われてくる。
ラト家と帝室の関係が悪いと言った噂は聞かないが、先ほどのグーシュの話を踏まえると事は違ってくる。
趣味の悪いラト家の人間が、透明になる方法を持った耳長族を手駒にして、逃げた少女を取り戻しに来たという可能性が生まれるのだ。
「さっぱり分からん! だが、先ほどミルシャが言った通り、透明になれる獣の特性を何らかの方法で使用できるようになった耳長族……というのが筋は通るのだろうな……」
ミルシャの腰にしがみつきながら、グーシュは答えた。
一応はミルシャの仮説に賛成のようだが、ミルシャはその声に疑問の色を感じ取った。
「何か違う見立てがおありですか?」
ミルシャが問うと、グーシュは一瞬迷ったように呻いた。
聞かれることを待っていたような、言いたくないような。
そんな相反する気持ちの入り混じった呻きだった。
「いや、またお前にはあきれられるかもしれんがな。さっきの仮面だ」
「仮面?」
「そう。見た所、この仮面は異常なのだ。鉄でも、木でも粘土でもない不可思議な材質で出来ている……」
グーシュが言った通り、先ほど拾った仮面は、目元に穴が開いているだけで顔面全体を覆う構造になった、黒一色ののっぺりとしたものだった。
空気穴すら無く、厚さも薄い代物だが、先ほどグーシュが言った通り見た事の無い材料で出来ていて、軽い。
鉄弓の弾丸が命中した確度が悪く、仮面ははじけ飛び、その下の透明な奴の顔面を保護する事は出来なかったようだが、驚くべきことに鉄弓の弾丸を受けても傷がついただけで大きな損傷が無いのだ。
皇族の甲冑でも、胸部の一番厚く、形状を工夫した箇所以外では鉄弓の弾丸をはじくことは難しい。
それを、こんな薄くのっぺりした構造で弾くこの仮面は、なるほどグーシュが疑問を持つにふさわしい異質な物体だった。
「南方蛮地の秘儀でしょうか?」
「いや、な。さっきの奴が、星辰から来た道の存在で……透明になる力も、この仮面の未知の材質も、その技術の産物だったら面白いな……と」
バツの悪そうなグーシュの言葉を気て、ミルシャは少し呆れた。
この可愛い愛する主は、未知の存在の襲撃の直後に、そんな事を考えていたらしい。
「……後程騎士団や衛兵にも報告しますが、ゆめゆめ今の事は言わないでくださいね」
ミルシャは強く注意した。時に主の行動が熱くなりすぎ、ややもすればミルシャ以外の人間から引かれかねない事を知っていたからだ。
「うーん、わかってはいるが……南方蛮地の耳長族が透明になる秘術で襲って来た……という話となら同じようなものではないか?」
「全然違いますよ。だって、星辰からの侵略者は存在しませんが、耳長族は存在するのですから」
ミルシャの言葉にも、グーシュは尚もブツブツと何やら言っていたが、それ以降は反論しては来なかった。
そうこうしていると、ようやく目的の集落が見えてきた。
だが、様子がおかしい。
「かがり火……いや、松明を持った人間が多数……」
「わらわ歓迎の民、という訳ではないようだな。あー、嫌な予感がするぞ。説話だと大概……」
馬で集落に入ると、集落の人々が集まってきた。
そして、兼ねてからの連絡もあって、人々がグーシュ達の前に平伏した。
「皆、出迎えありがとう。だがな、今はよいのだ。それよりも、単なる出迎えにしては様子が妙だな? まるで何かを探している様だが、何があった?」
グーシュの言葉に、集落の人々の顔が曇った。
この様子を見て、説話に詳しくないミルシャにも予想が付いた。
やはりと言うか、幼女は姿をくらましていた。
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