第3話 不思議な幼女

 鍛錬を終えたミルシャが部屋に戻ると、意外な事にグーシュはすでに起きていた。

 何やら書類の束を熱心に読みふけっているので、ミルシャはいつものように果物とルーリアトの主食である雑穀の餅をグーシュに食べさせてやった。


 本来ならもう一つの主食である肉類や、味付けである塩漬けの脂身が食卓に並ぶのだが、グーシュは偏食で果物と餅しか口に出来ないのだ。


「ほら殿下、森桃ですよ。あーん」


「んぐ……もぐもぐ……あ、そーだミルシャ」


「はい?」


「わらわ昼から出かけるからな」


 わらわと言っても、主が出かけるならば、当然お付き騎士のミルシャもついていかなければならない。

 グーシュと昼寝でもしたいと思っていたミルシャだったが、そうはいかないようだ。

 少し落ち込んだミルシャだったが、セミックに言われた事を思い出す。

 これも鍛錬だ。

 そう思いなおした。


「それで殿下。どこに行かれるんですか?」


「ちょっと可哀想な幼女を救いにな」





 グーシュが読み込んでいた書類は、帝都近郊で保護された、とある幼女に関するものだった。

 その集落は馬車で帝都から数刻程掛かる山にあり、十世帯程度の小規模な集落だ。


 その集落で一か月ほど前、全裸で山をさまよっている五、六歳の幼女が保護された。

 幼女は言葉を喋れず、というよりむしろ知らないと言った様子で、集落の住人は身元や事情を知ることも出来ず、途方に暮れて帝都の衛兵詰め所に届け出をしたのだ。


 とはいってもたった一人の幼女にわざわざ人手が割かれることは無く、引き取るか孤児院に預けるようにという通達が行われるだけ、のはずだった。

 ところがそこで、好奇心旺盛な皇女様の目に、この件が留まったのだ。


 グーシュは衛兵や行政に根回しを行い、幼女を自分が保護する手はずを整えた。

 そして今日、ちょうどそれに関する許可書類が届いたというわけだった。


 そんな訳で、グーシュは意気揚々と昼頃出かけた。

 本来皇族が外出するならば、帝国建国以来伝統の金属甲冑に身を包み、専用の馬車で出かけるのが普通だ。


 だがグーシュは身軽な平服で、しかも自分で馬に乗って出かけるのを好んだ。

 さすがにいつもはミルシャの後ろに乗るのだが、今日は人を迎えに行くということで、ミルシャとグーシュで一頭ずつ分かれて乗っていく。


「いつもなら僕の後ろに乗るのに、ご自分で乗るなんて珍しいですね」


「帰りは子供を乗せなくてはならんからな。一頭に三人では馬も辛いだろう。とはいえ寂しいな……いつもなら、この手でミルシャのデカい乳を揉めるのに……」


「またそんな下品な事を言って……」


「わらわが揉んでデカくしてやったのにその言い方は無いだろうが!」


「この胸、剣振るうのに邪魔なんですよ! そんな恩着せがましく……」


「な、なにおう! わらわの胸が平たいのにそんな事を言うなんて……そんな子に育てた覚えはないぞ!」


「じゃあ好き嫌い止めて肉を食べてくださいよ!」


「嫌だ! 肉嫌い。臭いんだもん!」


 並んで馬に乗りながらぎゃあぎゃあと騒ぐ主従を、道行く人々が暖かい目で見ていた。

 民衆に優しく、気さくなグーシュは人気があった。

 グーシュ自身、飾らない自分をあえて見せる事で、民と自分との間に垣根を作らないよう意識していた。

 そのため、人々にとってお付き騎士と戯れるグーシュは日常風景だった。

 この騒がしく、愛すべき皇女を見ることで、人々は帝国の安定を実感していたのだ。


 そうして騒がしく賑やかな時間が数刻過ぎたころには、風景は帝都の街並みから山の木々に覆われたものへと変わっていた。


 ここまでくれば集落まではあと僅かだ。

 ミルシャは周囲に気を配りながら、グーシュに先行して進んでいく。

 そしてグーシュはと言えば、帝都の街中からずっと喋り続けていた。

 話題はやはり、昨夜の光についてだ。

 一睡もしていないのに、よくも話が尽きないものだとミルシャは感心していた。


「それでだ、星見官の爺様の見立てでは、昨夜の光はやはり月の背後で何かが光ったからだと言うんだ。爺様の仮設では、星は爆発することがあるらしいから、それではないかと言うのだが……」


「はぁ……」


 ミルシャはどうにも、この主の言う星空に浮かぶ星々や月などが全て球体だという考えに馴染めなかった。

 空で瞬くあの光が球体ならば、なぜ落ちてこないのか。

 ましてや、今立っているルーリアト大陸自体が球体の上にあるのだという。

 球の上にある陸地が、なぜ滑り降りないのか。

 疑問は尽きない。

 如何に大好きで愛する可愛い主の言う事でも、こればかりはすんなりと納得することが出来なかった。


 ミルシャとしては、さして七神教会の信仰に熱心という訳では無かったが、海獣住まう海の上に、人間と陸の獣が住まう場所としてこの大陸が女神ハイタによって用意されたという説法の方がすんなり来るのだ。


 空に浮かぶ太陽や星々は、大陸を照らすために神々が用意してくれた照明と言うのが、教会の教えだ。

 なぜか落ちてこない、光る球体が浮かんでいるという考えよりは、合理的に感じられた。


 幸いと言うべきか、教会の教えに反しても別段弾圧されるわけでは無いため、グーシュや星見官の老人の様に、素っ頓狂な珍説を主張する者達もいた。


 彼らの主張は常人には理解が難しいものだったが、空の星の中にはこの世界と同じように海や大陸があるという主張もあり、その主張を利用して書かれた説話が今大人気なのだ。

 その説話こそ、グーシュが大事に持っている「対決! 騎士団対星辰より来たりし侵略者」なのだ。

 空の星から侵略者がやって来て、騎士団と戦うという斬新すぎる設定のその説話は、若い者の間で大人気だ。

 それによって、ただでさえ新しい物好きのグーシュは、以前に増して星辰に夢中だった。


(まあ、こうしてグーシュ様が楽しそうにしてくれているのなら、それでいいか。それにしても、そのあたり自由なのは、ボスロ帝に感謝だなあ)


 ミルシャは心の中で初代帝に感謝した。

 彼が教会の過激派を皆殺しにしなければ、今頃好奇心の塊かつ意地っ張りな可愛い主は、首を刎ねられていたであろうからだ。


 尚も続くグーシュの星の話題。

 しかし、ミルシャは肝心な事を確認するため、その話題を遮った。


「話の途中で申し訳ありませんが、そもそも殿下はその幼女をどうするつもりですか? まさか、ご自分で育てるつもりですか……?」


 話を遮られたグーシュは一瞬不機嫌そうな顔をしたが、ミルシャの質問を聞くと待ってましたとばかりに語り出した。


「それも考えたが、わらわが大変な境遇の子供を育てることが出来るとは思えん。そもそも、わらわの好奇心でその幼女の生活を台無しにするわけにはいかん。わらわが後ろ盾になって一旦孤児院に入れて、普通に暮らせるようになったら養子の口でも探してやるつもりだ」


 想像以上にまともな答えが返ってきたことに、ミルシャは驚いてグーシュの方を振り返った。


「なんだ、その想像よりまともな答えだ、みたいな顔は」


「い、いえ。そんな事は……すこしあります。もう少し突拍子もない事をするのかと……そもそも、どうしてその幼女に興味を抱かれたのですか?」


 ミルシャの問いに、グーシュは民衆が思いもしないような邪悪な笑みを浮かべた。

 好奇心旺盛で親しみやすい放蕩皇女の顔ではない。

 謀略を企む、政争に身を置く皇族の顔だ。


「帝都近くの山で、素っ裸の幼女。普通に考えて、あまりに不可解な状況だ」


「そう、ですね。帝都に近いとは言っても、下手をすれば狂暴な動物もいますし、こんな所に五歳そこらの子供がいるのは変ですが……」


「だが、昔の記録に似たような事件が乗っていてな。王国時代の記録だが、こんな事件があったそうだ。とある子供趣味の変体貴族が、領民の子供をさらって屋敷に監禁し、酷い事をしていたらしい。おやつ上げないとかそんな次元ではないぞ。もっとえげつない事だ」


「分かってますよ」


 唐突に子ども扱いしたグーシュにむくれながら、ミルシャは話しに耳を傾けた。


「親が反発すると秘密裏に殺していたため、領民は貴族を恐れて口をつぐんでいたそうなのだが、ある日一人の少女が同情した使用人に逃がされ、屋敷から脱出したらしいのだ。そして、全裸の幼女が彷徨っていた不可解な事件をきっかけに、貴族の悪事は明るみに出て、処罰された……というものだ」


 話だけ聞くと、喋れないという点は違うものの、確かに状況としては似ていた。

 ただ、それでも証拠も何もない、こじつけ同然の話だった。


「まさか、その古い記録との類似性だけで、この近くに変体貴族の秘密の屋敷があると判断したので?」


「わらわもさすがに、そこまで単純な考えではないさ。あくまで、類似性から可能性を考えただけだ。それにだ。可哀そうな子供を助けられるのは確実だし、それでいてうまくいけばどこかの貴族や金持ちの弱みを握れるかもしれん。楽し……いや、関わっても損は無い案件だと判断したのだ」


「一瞬本音が聞こえましたが……それにしても貴族の弱みですか……」


 グーシュは、皇帝の座や地位にはあまりこだわらない主義なのだが、変に政治的な手札を求める悪癖があった。


「嫌な顔をするなミルシャ。”剣はいくらあっても困らんぞ”」


「確かにそうですがね。”腕は二本しかない。良い剣は重い”とも言いますよ。さらに言うと、”童も刃を持てば斬られる”とも……兄上の件もありますし、あまり下手な事はなさらないでください」


 心配したミルシャが、思わず皇太子について言及した途端、グーシュの顔色が変わった。

 それを見て、ミルシャは悟った。

 やはり、あの事を気にしているのだと。

 もう、三年になると言うのに。

 主は。


 そしてミルシャは、グーシュを真っすぐに見つめた。

 そして、気が付いた。


「分かったよ、ミルシャ。だがな、わらわにも考えがあるのだ。どのみち、丸腰では身も守れんのだ。お前の事も……な」


「……殿下、すいません」


「え? ミルシャ……?」 


 気まずい話題に対するグーシュの言葉への返事は、なぜか謝罪だった。

 グーシュが言葉の流れに疑問を感じた次の瞬間。

 懐から取り出した短剣を、ミルシャはグーシュ目掛けて投擲した。



 

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