第2話 夜が明けて

 一夜明けて。

 結局あの後星見官せいけんかんの老人のところに行ったグーシュは、歩きながらグーシュに服を着せて息も絶え絶えなミルシャをよそに、老人と朝まで輝いた月の現象について語り合った。


 星見官は、正式名を帝室星見官といい、星辰の運航を観測し、天候や暦に役立てるための役職だ。


 グーシュはその星見官の老人と仲が良く、しばしばこうして星辰観測中の老人を訪れては、様々な事を語り合っていた。

 本来なら皇族が下位官吏と語らうなどあり得ない事だが、グーシュは民衆や下位官吏と身近で語らうことを好んだ。

 幼いころから城を抜け出し、街に繰り出しては民と接していたグーシュならではだ。

 老人も多分に漏れず、グーシュを孫のように可愛がり、質問に事細かに答え、菓子や茶を出してもてなしていた。


 とはいえ、星辰の事など興味も知識もないミルシャにとっては拷問のような時間だった。

 楽しそうなグーシュを見るのは好きなのだが、手が出せないのでは好ましい時間とは言えない。ましてや深夜だ。

 興味のない話題が早朝鍛錬の直前まで続くとあってはなおさらだった。

 そうして、熱く語る主の背後で眠気と昂った体を押さえながら佇む事を、ミルシャは朝まで強いられたのだ。


 結局鍛錬の開始時間ぎりぎりになった頃、老人の業務が終わったことでようやくミルシャは解放された。

 そのまま星見場でグーシュと別れたミルシャは、城の中庭にある砂を撒いた、騎士や衛兵の鍛錬場に走る羽目になったのだ。


 ミルシャがたどり着くと、そこではすでに同僚のお付き騎士達が二人一組で模擬戦を行っていた。

 お付き騎士の鍛錬は、防具を身に着けずに、重い木刀を用いる危険なものだ。

 もちろん時には怪我や、死ぬことすらある。


 それでも、実戦に近い形式での鍛錬をお付き騎士は重視していた。

 ただでさえ女騎士は他の騎士や兵士から甘く見られるのだ。

 防具を付けて鍛錬する一般騎士を軽くいなせるよう、彼女たちは自らに過酷な訓練を課していた。


 たどり着いたミルシャが見ると、いつものように数人の同僚が青あざを作って座り込んでいた。


「おはようございます! すみません遅れました!」


 ミルシャはそんな同僚たちに頭を下げながら鍛錬に参加する。

 座り込んだ同僚達が、遅れたミルシャに声を掛けてきた。


「遅いぞミルシャ! お前のせいで俺たちがセミックの相手をしたんだぞ!」


 お付き騎士屈指の突きの達人、カナバが叫んだ。

 

「僕なんか見ろよ。額にコブが出来たんだぞ。うちのお嬢に嫌味言われるだろが!」


 最も重い斬撃を放つと言われ、ミルシャに負けず劣らず主と仲がいいエザージュが恨みがましく言った。

 

「わ、我は平気だった。うちの坊ちゃん怪我すると、泣くから、降参した」


 武勇では劣るものの、指揮官としての適性が高いルライがなぜかドヤ顔で言った。

 怪我してないなら休むなよ、とミルシャは一瞬思ったが、一応先輩だ。

 頭を下げながら、ミルシャは一番奥で一人素振りをしているそのお付き騎士の元へと向かった。


 他の同僚相手には負けなしのミルシャが、唯一勝ったことのないお付き騎士最強の女。

 グーシュの兄、皇太子ルイガリャリャカスティのお付き騎士を務める、セミックだ。


 凛々しさを超えて、恐怖すら感じるほどのキツイ目つき。

 ミルシャの様に短い髪形の多いお付き騎士にあって、腰まである長い髪を後頭部でまとめた独特の髪形。

 グーシュとミルシャより五歳年上の、若干二十三歳にして武勇と知略双方に優れ、並み居る年上のお付き騎士を押さえ、最強のお付き騎士と呼ばれる女騎士の勇だ。


「遅かったなミルシャ。寝坊か?」


 重い木刀を振り続けていたにも関わらず、息一つ切らさずにセミックが言った。

 素振りの前には、先ほどの三人の相手をしたにも関わらず、汗すらかいていない。


 鍛錬を終えるとすぐに汗だくになるミルシャとしては、うらやましい限りだ。


「すいません……ちょっと、その……」


「ふふ、お熱いことだな」


 笑みを浮かべ、囃すセミックにミルシャは顔を赤くした。

 お付き騎士は大概主と関係を持つものではあるが、面と向かって言われるとミルシャは照れる性質だった。


 平気でヤッただ、舐めただの言い合う同僚が、ミルシャは不思議でならない。


「血は廻ったようだな。さあ、やろうか。やはりお前で無くては体が温まらん」


 獰猛な笑みを浮かべると、セミックは大上段に木刀を構えた。

 対するミルシャは、頭の奥から湧き出してくる眠気に耐えながら、木刀を両手で顔の右側上方に構え、腰を深めに落とし対峙した。


 ミルシャは、慎重に打ち込む隙を探した。

 しかし、鋭い眼光と微動だにしないセミックには、隙を見いだせなかった。


 このままにらみ合いを続けるべきか。

 迷いながらセミックを睨みつけていたミルシャは、不意にこみ上げてきたあくびに半ば押し出されるように剣を振り下ろした。


 あくびをかみ殺す隙を、セミックは絶対に見逃さないだろう。

 ならば、不意に訪れたあくびによる脱力を、斬撃に利用することにしたのだ。

 セミックの攻撃を先に受けるよりは、その方がマシだと判断したのだ。


 実際、ミルシャの振り下ろした木刀は会心の速度で振り下ろされた。

 周囲で見ていた同僚たちの一部は、動きを見切れないほどだった。


 だが。


 先に振り下ろしたにも関わらず、先に木刀を受けたのはミルシャだった。

 振り下ろした会心の速度の木刀は、セミックの木刀で打たれた衝撃であえなく地面に落ちていた。


 ミルシャはあきらめず、すかさず体術による対抗を試みた。

 弾かれた勢いを生かし、前のめりになり一気に間合いを詰めようとする。

 

 だがセミックの速度は圧倒的だった。

 重心を下げ、セミックに向かって加速しようとした瞬間には、セミックの木刀がミルシャの顎の当たりに向けられていた。

 走り込もうとした自分の勢いと、セミックによる木刀を突き出す威力。

 その両方を顎に受けたミルシャは、木刀と同じようにあえなく地面に倒れ伏した。

 揺れる脳みそは、立ち上がるための力を完全に奪っていた。

 完敗だった。


「僕に先制して、さらにあの速度。ミルシャ、腕を上げたな」


 ぼやける意識の中、セミックの声が聞こえた。

 必死に意識を覚醒させようとするミルシャに、近寄ってきた仲間が桶で水をぶっかけた。

 少し生ぬるい水が顔面を濡らし、鼻に入った水がもたらした痛みが、意識を覚醒させた。


「げぼ! げぼへッ! あー、なんだあの速度……先輩、どうすれば先輩に打ち込めるんですか?」


 また、勝てなかった。

 今日は体調の面で万全に程遠かったとは言え、それでもセミックの強さは隔絶していた。

 起き上がりながらミルシャはその秘訣を訊ねるが、セミックは不敵に笑うだけだ。


「ミルシャ~。残念だったな」


 そんなミルシャに、周囲のお付き騎士の女達が話しかけてくる。

 どうやら、ミルシャとセミックが睨みあっている内に、周囲の鍛錬は終わっていたようだった。


「俺から言わせればお前もセミックも、差がよくわからんくらい凄いよ」


「けどさ、なんでお前先に打ち込んだ? セミックに隙があったようにも見えなかったが?」


 その質問にミルシャは狼狽えた。

 まさかあくびが出そうになったので慌てた、とは言えなかったのだ。

 だがそんなミルシャの思惑など、セミックはお見通しだった。


「ミルシャ。主の求めに応じるのはいいが、それを引きずるようではまだまだだ。一晩中抱かれても、平然とするくらいでなくてはいけないぞ。あくびが出るようではまだ青いな」


「んな!」


 セミックの言葉に、周囲のお付き騎士から笑い声が上がる。


「なーんだ、寝不足か。俺の主様は淡泊だから、逆にうらやましいよ」


「え? お前のところはそうなの? うちのサクレ様なんて毎晩だよ。今日も腰がいてえよ」


「僕は舌がヒリヒリするよ。うちのお嬢様は舐めさせ……」


 瞬く間に始まった猥談の中、仏頂面のミルシャの濡れた頭を、セミックは軽く撫でた。


「もっともっと基礎体力だな。特に足腰だ。剣にも夜伽にも無駄にならない。励めよ、ミルシャ」


 そう言ってセミックは鍛錬場を後にする。


「あれ、先輩もう行くんですか? 朝食みんなで食べましょうよ?」


 ミルシャが呼びかけると、セミックは振り向いて不敵な笑みを浮かべた。


「昨夜気絶させたルイガ様を起こさねばならないのでな」


 そういって去っていくセミックは、去り際に自分の腰をパシッと叩いた。そんなセミックを、ミルシャ達は見送った。

 筋肉に覆われた偉丈夫である、ルイガ皇太子を思い浮かべながら。


「あの殿下を……すっげ……」


 全員の隠さぬ本音だった。

 そしてミルシャは、自分も部屋で熟睡しているグーシュを起こさなければならないことを思い出した。

 慌てて主の元へ走っていくミルシャを見送ったお付き騎士達は、和気あいあいとその場で朝食を食べ始めた。

 その様子は、まるで女学生の様に仲睦まじい。


 お付き騎士は赤ん坊の頃から身分関係なく集められ、厳しい剣術や学問、礼節の教育を受ける。

 そうして鍛らえた彼女たちは、基本的に同じ年の皇族の者に付き従い、寝食を共にしながら護衛と身辺の世話を務める。


 その仕事は生涯続く。


 仕える皇族が皇帝になっても、貴族に結婚しても、戦場に行ってもだ。

 そのため王国時代は主と恋愛関係になることが推奨され、幾人かのお付は王太子や王女を生み、王の愛人となったという。


 無論今ではそのような事は無い。

 生涯仕えるのは変わらないが、結婚もすれば家を持つことも出来る。

 多忙な仕事ではあるが、衣食住から結婚相手まで帝国に世話してもらえるため、上流階級に憧れる民衆にとっては人気の役職でもあった。


 そんな彼女たちは、主こそ違えど強い同胞意識で結ばれていた。

 冗談を言い合い、じゃれあい、困ったことがあれば支えあった。


 だが、それは彼女たちだけの場合だ。

 例えば、仕える主が対立していれば……。

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