第5話 異変
結局その後、グーシュとミルシャも幼女の捜索に参加したものの、周囲が完全に闇に包まれたものの、見つける事は出来なかった。
グーシュは先ほどの襲撃者との関連を疑い、住人にいろいろと尋ねたが、結局行方につながる手掛かりは分からず、夜も深くなり捜索が困難になった事で全員引き上げる事となった。
その後長の家で一拍することとなり、ようやく詳しい話を聞くことが出来た。
「……すると朝になったらいきなり消えていた……という訳か」
「へ、へへぇー! も、もうしわけありません! どうか、どうか責はワシだけがとりますので……」
腕組みして呟いたグーシュに、やせ細った老人が狼狽えたように膝を付いて平伏した。
区分上は帝都の住人とはいえ、山間部の小規模集落では、暮らしぶりはあまりよくない。
とはいえ、糞尿の買い取りや細々した農作物や狩猟採集による山の産物の販売など、帝都五十万の民の暮らしの一旦はこのような小規模集落の民によって支えられているのだ。
そんな事情は兎も角、実体としては各集落は貧しく、長と言えど何も分からない老人に過ぎない。
グーシュの評判も、ここまでは伝わっていない。
皇女が迎えに来た幼女を失踪させた責任をとらされると思ったようだ。
勿論グーシュにはそのつもりはない。
立ち上がって長に近づくと、自分も膝を付いて長の顔を上げさせた。
「長、顔を上げよ。責めてなどいない。こんなに遅くまで探してくれて、むしろ礼を言わねばならない。それにだ。見ず知らずの幼子を今日まで保護した優しき民に、どんな責を問えというのだ? ミルシャ、アレを」
「はっ、殿下。長どの、これは此度の礼金である。集落の者皆で分けるように。松明を用意した者にはその分多く与えよ」
そういってミルシャは、袋に入った千ラータ分の銀貨を長に渡した。
袋を受け取った長は、袋の中身が楕円形の銀貨だと知ると、露骨に狼狽えて再び平伏した。
千ラータと言えば、ラト大銀貨十枚に相当する大金だ。
帝都の一般家庭で一ラトあれば一か月暮らせる程度の金額なので、この集落ならば、各世帯が二か月程度は暮らせる金額だ。
幼女を予定通り引き取れた場合でもやる予定の金だったが、グーシュは特に気にせず与える事にした。
受け取れぬと頭を下げ続けた長は、グーシュとミルシャが繰り返し礼を言い続けて、やっと袋を受け取り、頭を下げ続けながら部屋から出て行った。
「ふぅ。謙虚も過ぎれば、あまりいい気がしないな」
「皇女殿下と会う事など、普通はありませんからね。このような場所や地方の民ならば、こんなものですよ」
ミルシャはそう言いながら、薄汚れた布に包まれた麦わらの寝台の上に、持ってきていた布を敷いた。
さすがにあの寝台そのままでは、グーシュが寝るのには厳しいものがあった。
とはいえ、長の前で敷いては、再び謝罪が始まってしまっただろう。
布を敷き終わると、グーシュは寝台横に立つミルシャを押し倒して、共に横になった。
ミルシャも慣れたもので、よどみない動きでされるままにしていた。
「あー、疲れた……」
呟きながら、ミルシャの胸に顔を埋めるグーシュ。
そんなグーシュの頭を、ミルシャは愛おしそうに撫でた。
「それはそうでしょう。昨晩は徹夜で星辰観察、今日は馬に乗っての移動に加え、例の襲撃とその後の捜索……今日はゆっくりお休みください」
「煮餅に肉が入っていたのが誤算だったな……お腹すいた」
捜索の後、集落の女集が炊き出しを用意してくれていたのだが、皇女に気を使ったのか、このような集落では貴重な森豚の肉と脂身がたっぷり入っていた。
もちろん肉嫌いのグーシュは、食べることが出来ない。
結果グーシュは懐にあった干し果実を食べるしかなくなり、夕飯抜きの憂き目にあっていた。
ミルシャも主のために辞退しようとしたのだが、住人がせっかく用意した事への気遣いと、例の透明の襲撃者への備えもあり、グーシュと女集の進めるままに食事をとった。
「日帰りの予定でしたからね……もうしわけありませんが我慢してください」
「なあに、これくらいなんともない。ただ、口づけは今日はやめておこう」
ミルシャの表情にヒビが入ったが、致し方無い事であった。
グーシュの肉への拒否感は強い。
濃厚な獣臭こそ肉の美味さというのが大陸の常識だったが、その匂いがグーシュが肉を食べられない要因だった。
当然、集落が奮発して用意した煮餅の肉は、匂いの強い上物だった。
口をゆすいで、磨き布で歯を拭いたくらいでは、到底取り切れぬ匂いがした。
「もうしわけありません……」
「謝るな……さあ、今日はもう寝よう」
「はい、グーシュ殿下」
ミルシャは一旦グーシュを横にどけると、起き上がって蝋燭の火を消し、グーシュに寄り添って横になった。
温暖な大陸では、庶民は寝る際、何もかけないのが一般的だった。
とはいえ、普段柔らかい寝台に虫糸の布をかけてい寝ている身には辛いものがある。
ミルシャはその分、グーシュをしっかりと抱きしめた。
数秒程そうした後、ミルシャは腕の力を緩め、グーシュを身から離した。
そして暗闇の中、グーシュに話しかける。
「……寝る前にいいですか殿下」
「…………なんだミルシャ?」
「いえ、集落の者に熱心にいろいろ聞いていたので、もしかしたら殿下なら、女の子の行方について何か推察が付いているのではないかと……」
聞かれたグーシュは、しばらく迷ったようなそぶりを見せた。
珍しい事に、ミルシャは少し戸惑った。
「殿下?」
「いや、な。これを言うと、また説話の読みすぎと言われると思って、黙っていたのだがな」
上目にミルシャの顔を見るグーシュに、ミルシャは強い罪悪感を覚えた。
普段あれこれ説教をしていても、この顔にはとんと弱かった。
「そんな事……小言は言いますが、別に怒っているわけではありませんし……どうか、殿下の思った事をおっしゃってください」
闇の中で、グーシュは薄く笑みを浮かべた。
今のミルシャの言葉を覚えておけば、また何かあった時ミルシャを説得する材料に仕えるからだ。グーシュは、好奇心を全力で満たすためには、ミルシャに限らず細かい伝手や言質を集めるのに余念が無かった。
「とは言っても、大したことでは無いのだ。行方の事は何も分からんしな。ただ、例の幼女の様子を聞いていて、気が付いたのだ」
「様子? 確か言葉も分からず、何も聞けなかったはずでは?」
「いやな。それが聞いてみると、妙な話を聞けてな」
「妙?」
「例の幼女の世話をしていたのは、集落で一番若い夫婦だったらしいのだがな。その夫婦に聞くと、幼女が来てから不思議な出来事が起きていたそうなのだ」
夫婦が語るところによれば、最初に幼女を見つけたのは若い夫婦の夫だった。
山の中を薄汚れた裸の幼女が歩いているのを見つけ、若い夫は慌てて集落に連れ帰った。
長に報告し、子供のいない夫婦が預かる事になり、水で体を洗ってやったところ、幼女は薄汚れていたものの、まったく怪我や傷が無かったと言うのだ。
まるで初めて外に出たような色白で、柔らかい肌の幼女が山中を歩いたのにだ。
「確かに妙ですね。山を裸で歩けば、僕でも多少なりとも傷つきます」
「そうだ。そのくせ、泥や土で汚れていたと言うのが気にかかる。まるで、わざと汚して山に置いたかのようだ。だが、まだあるぞ」
幼女は口が聞けず、食も細かった。
事情を聞こうと夫婦や長が話を聞いたが、言葉自体を知らないかの様だった。
しかし、夫婦は気が付いた。
事情を鑑みれば仕方のない事なのかもしれないが、幼女は異常なまでに集落の住人の話声に敏感だった。
年齢からすれば考えられない程、真剣な眼差しで見える範囲の住人の動きを凝視していた。
それは数日して歩けるようになると顕著になり、集落で会話をする人間を見つけては、まるで聞き耳を立てるように幼女は近づいて行ったという。
「言葉の分からぬ子どもが、しかし言葉に敏感だった?」
「それに、夫婦以外の住人も言っていたが、幼女の近くにいると、何かに見られているような気配を感じたとか、屋根が軋む音がした、近づくと足音誰もいない場所からした……そんな話が聞けた」
「それは、まさか奴が?」
姿なき襲撃者がこの集落にいた可能性を聞き、思わずミルシャは辺りを見回した。
勿論、今も警戒していたし、懐には短刀が。すぐ傍らには剣を用意してある。
だが、夜の闇でアレに襲われれば、ひとたまりもない。
そんなミルシャの様子を見て、グーシュは両手で思い切り乳房を揉みしだいた。
「きゃあっ!」
「狼狽えるな。この状況で狼狽えても仕方が無い。襲われたらその時考えよう。変に気を張っても無駄だ。身体を休める事だけ考えろ」
こういう時、妙に気が太いグーシュに驚きながら、ミルシャは頷いた。
確かにグーシュの言う通り、本気で透明な襲撃者が襲ってくれば、ひとたまりもない。あそこで引き返しても、結局は市街地前で夜になっていた事を考えると、今こうして屋内にいる現状は最適解と言えた。であれば、変に狼狽えても仕方が無い。
「はい、殿下」
「うむ。あと、妙な事はまだあるぞ。ほとんど飯を食べない。厠にもほとんど行かない。夜中にどこかに抜け出すことがあった。そして極めつけだったのが……ものの名前を聞いてきたそうなのだ」
「名前、ですか?」
「そうだ。動き回れるようになると、身の回りや集落にある物を指さして、それの名前を聞いて回っていたそうだ。その頃にはたどたどしく喋れるようになったらしいのだが、口を開くと聞いてくるのは、言葉に関する事だったそうだ」
「肝心の、素性については……」
「当然だんまりだ。そして、今日の突然の失踪……わらわはこの一連の行動を見て、ふと思い当たったのだ」
グーシュはちらりとミルシャを見て、もったいぶった。
こういう時、言うべきことは決まっていた。
「それは一体何なんですか?」
努めて興味深げにミルシャは言った。
「学書で、耳長族と初めて会った学者の話を読んだのだが、その学者が耳長族の言葉を学ぶ過程にそっくりなのだ。会話を聞き、指を指して単語を聞き、徐々に会話の要素を掴んでいく。つまりはあの幼女は、わらわ達の言語を知らないどこかから言語を収集するために派遣された、尖兵なのだ」
話を聞いていて、ミルシャはゾッとした。
月の発光現象と、先ほどの透明な怪物。
あれらがもし、グーシュの言う通り星辰からの侵略者だったとしたら。
普段笑い飛ばしていたグーシュの愛読書の展開が、不意に恐ろしい物に感じられた。
火を噴く鉄の騎兵。人を殺す歯車騎士。空を覆う巨大な空中城。
あの下手な挿絵が、ミルシャの臓腑を冷やした。
「……怖くなると体温が高くなって黙るところ、変わらないな」
「いや、その……」
お付き騎士が恐怖した事を言い当てられ、ミルシャは赤面した。
形ある者、敵意ある人間には強いミルシャだったが、どうにも未知のモノに対しては身がすくんでしまう性分だった。
対してグーシュは未知に強く、憧れすら抱いていた。
「話は終わりだミルシャ。所詮は説話好きの妄言に過ぎない。幼女は事情があって自分で出て行っただけかもしれぬし、透明な襲撃者も南方蛮地の獣がどこかから逃げ出しただけかもしれない。残念だが、未知の正体は大概単純なモノだ。安心しろミルシャ」
主に慰められ、ミルシャは自分を恥じた。
思わず、涙ぐんでしまう。
「すいません、殿下」
「謝るなミルシャ。悪いと思ったら、せいぜいわらわが寒くないように、力いっぱい抱きしめてくれ」
グーシュの気遣いに感激しながら、ミルシャは投擲用の短刀を枕の下に忍ばせて、グーシュをギュッと抱きしめた。
恐怖を和らげるように。
絶対に守り切れるように。
結局夜は無事に明けて、早朝に二人は帝都への帰路に着いた。
つないだ馬も無事で、幼女の行方以外は何事も無く、二人は帝都に戻る事が出来た。
しかし、これは異変の始まりに過ぎなかった。
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