第5話 よし、みんな練習に入るぞ

「よし、みんな練習に入るぞ。まずは柔軟からだ。それぞれ組になって始めてくれ。緒方は木庭さんと組んでくれ」

 推薦組は、みんな俺の知っている感じで柔軟体操を始める。格技組、バレエと体操組はだいぶ柔軟体操の仕方が違うな。陸上組は野球組と同じ感じだな。それにしても、みんなの関節の可動域と柔らかさは特筆ものだ。早く信頼関係を築いてあの肌に触れたい。どんな筋肉をしているのか楽しみだ。俺はフィジカルトレーナーとして興味があるだけだ。

 俺はメモを取り終えると、

「次はランニングを始めよう。前の人が一塁に到達したらスタートしてベースを回れ。一塁が分からない人はいるか?」

「大丈夫です」

 よかった最低限のルールは知っているようだ。

「それじゃ、始めよう一人五周な」

 俺が手を叩くとひとりひとりスタートしていく。

「野球のルールは、スカウトした私が責任を持って教えたけど、細かいセオリーはまだまだですよ」

 木庭さんが俺に教えてくれる。

「大丈夫。セオリーは実践の中で覚える方が早いです。早く練習試合ができるようになりたいですね。選手も試合の方が大きく伸びます」

「長距離は走らないんですね? 」

「そうですね。もともと野球では短い距離しか走りませんし、女性の方が持久力は高いですから。それにメジャーでもあまり走りませんよ。その代り筋トレはよくやっていますが」

 ベースランニングの合間も、俺は全員を見てメモを取り続ける。

「なるほど、これが女性特有の走りですか。重力がまるで無いような立ち上がりから、一気に加速し五歩で最高速度に達してその後スピードが落ちることなくベースを一周してくる」

「どう、凄いでしょ。女性全員とはいかないけど、アスリートは大体あんな感じで走るわよ。男性のように、馬力で体を引っ張ってきて、後半最高速度に達する走り方とずいぶん違うでしょ」

 木庭さん、そのとおりです。

「さっきも言ったけど、野球って短い距離を全力で走ることがほとんどだから、すぐに最高速度に達する走り方は有利ですね。百メートルが同じタイムの男子なら、塁間では女子の方が一歩は確実に早い」

「でっしょ。まったく高野連だけはそんなこともわからず男尊女卑を振りかざして」

「そういえば、金メダルのインタビュー、ビデオで見ましたよ。すごい発言ですよね」

「えへへ、私はすべての野球少女の代弁をしただけです」

 後は、キャッチボールを始める。二人一組で二〇メートルほど距離を取って投げ合う肩を温めるための一般的なキャッチボールだ。

キャッチボールは奥が深い。おいおい、いろんなキャッチボールの仕方をするとして、始めはボールの握り方を教える。

 親指はボールの中心に持っていき、指の腹ではなく爪の横で支えるようにする。

 こうすることで、滑りを抑えられたきれいなバックスピンのボールが投げられる。

 あとは、肘から吊り上げられるようにしっかり上がってきて、肘と手のひらが正面に向いて投げられると相手の胸元にしっかり投げられる。

 みんな、物覚えがいい。真面目なのか。それとも女性特有のセンサーが働いているのか? 女性は人に対する様様なセンサーが働くはずだ。

「よし、ノックを始める。推薦組は一塁側、スカウト組は三塁側に集合、推薦組のノックは木庭さんお願いします」

 スカウト組のノックは、緩い同じ場所にバウンドする取りやすい打球を打つ。体の動きをみるためだ。まだまだぎこちないが初心者にしては筋がいい。

 一時間ほど同じことを繰り返すと、一旦休憩を入れる。

「思ったより、野球って簡単ね」黒田が言ってくれる。

 取りやすい球を打っているからね。本番はこれからだ。

「よし、休憩は終わりだ。マウンドを中心に輪になってくれ」

「どうするんですか?」木庭さんが訪ねてくる。

「ノックするんだよ」俺は込み上げる笑いをかみ殺しながら言った。

(前代未聞のノックだな。この魔法のノックバットのおかげだ)

「これから、キャッチャーフライを打ち上げる。名前を呼ぶから順番に取ってくれ」

「緒方」

 俺は、マウンド付近から、二〇メートル以上上がる高い打球を打ち上げた。

持論だが、取りやすい打球はライナーや強い打球、取りにくい打球は、高く上がるフライや、当たり損ねの打球と考えている。理由は、風やグランド状態など色々な条件に左右されやすいのと、待っている間に色々頭で考えてしまう。そこに緊張があるからだ。その点ライナーや強いごろは条件反射で取れることも多い。

 みんな、ふらふらと打球を追いながら、グラブに当ててボールを落としている。

 狙いどおりだ。

 自分に近づけば近づくほど落下の加速で速度が速くなり、落下地点のすそ野が広がるのだ。こんな打球はめったに見ないだろう。

 この打球になれることで、空間認知能力がさらに磨かれ、ボールの回転や風から落下地点を読むスキルが自然に上がっていく。軟式ではできないが、硬式では、ボールの縫い目が赤いため、打球にしても投球にしても縫い目でボールの回転が目視できるのだ。そこまで集中できればの話だが……。 この子たちは甲子園を目指すのだからこれぐらいの集中は出来て当然だ。

 昼からの練習はバッティング練習だ。野球を楽しむことも大事だからな。

 バッティングゲージを用意して、一人一〇球ずつ正面からトスした緩いた球を思いっきり打ってもらう。一人は控えに残し、残りは各ポジションをローテで守ってもらう。

 硬式バットは重い。一キロ弱もある。中学から高校に上がって一番戸惑う所だ。推薦組もバットの重さに戸惑っている。

 スイングが波打っている子も多い。

 いろいろ工夫を始める子もいるが力を入れれば入れるほど、今度はバットとボールが当たらない。この辺が男子と差が出るところか。筋トレをするしかないか。

 でも、体の動かし方が自分のタイプと違う子も多い。自分の力を出しにくい体の使い方をしている。まずここを改善してからだな。

 あと、バットの振り出しの初動の速さをどうするかだが……。ドーピングという言葉が一瞬頭の中に浮んだ。当然、アメリカでスポーツを学んでいたのでそれらの知識は豊富である。しかし、俺はすぐさまそれを否定する。女の子らしい筋肉でなんとかするしかない。

 瞬発力重視の初動負荷に重点を置く筋トレをメニュー加えることにした。このトレーニングは筋肉量を増やすのでなくリラックス状態から筋肉の「伸張」→「短縮」を繰り返すことで瞬発力を上げていく。女性のしなやかな筋肉にはあっていると直感が言っている。

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