第2話 一方、古場が転移する予定の異世界では

 一方、古場が転移する予定の異世界では、オリンピックで女子百メートルの決勝が行われていた。

「遂にやりました! 日本代表、木庭良子(きにわりょうこ)選手、9秒99、女性初の一〇秒を切る快挙で、東京オリンピックを制し優勝です! 日本人初のオリンピック短距離走で金メダル、金メダルです! 日の丸を掲げ場内を歓喜のウイニングランです!」

 アナウンサーの興奮した声がテレビから流れている。

 木庭良子のオリンピックの勝利者インタビューが流れ出した。

 ショートカットに切りそろえられた髪に大きな瞳、美人というよりは、可愛らしい美少女であり、体にぴったりとフィットしたランニングユニホームからは、スレンダーながら鍛えられた腹筋としなやかな筋肉が見て取れ、大学四年生という若さに似合わず全身からは自信が溢れ出ている。

「応援してくださったみなさん、ありがとう! ここで、みなさんに伝えたいことがあります。百メートルで一〇秒を切るまではと、爆発しそうな感情をずーっと押さえて頑張ってきました」

 会場の大型モニターや、テレビの前の群集が固唾を飲んで次の言葉を待っている。

 突然、木庭選手は怒気をはらんだ口調に変わる。

「高野連の頭の固いくそ爺ども! これで男女の体力の差に遜色ないことが証明されたぞ! 即刻、高校野球に女性が参加できるよう規約を改正し女性に甲子園を開放しろ!」


 この発言は、後に高校野球球界だけではなく、スポーツ界、さらには政財界を巻き込み議論され、オリンピックの翌年の四月一日から高校野球で女性選手が甲子園を目指すことができるように規約が改正されたのだ。


 ◇◇◇

 

ここは天翔女子学園、宗教系の高校でありながら、スポーツ界に幾多の有能な選手を輩出した女子高であり、指導者や設備も充実したアスリート養成学校である。

 東京オリンピック金メダリスト木庭良子もこの学校の出身者であり、大学を卒業後、この学校の教員として就職することが決まっている。ちなみに、指導する部活動は陸上部と野球部である。

「こちらが、今度新しく野球部の監督になる古場哲也監督です。監督一言お願いします」

 俺は、隣に立つジャージ姿で小柄なショートカットの女性に促されたところで、意識が覚醒し自分がどこで何をしているのかまったくわからないまま一歩前に出た。

「えーっと、古場哲也です。よろしく」

 目の前には、野球のユニフォームを着た六人の女子高生が並んで立っている。周りを見回すと、緑の防球ネットに囲まれ、足元にはホームベース、女の子たち越しにマウンドが見える。どうやら野球のグラウンドのようだ。

(これが、野球の女神様が言っていた異世界なのか?)

 目の前の女の子たちは俺には興味を示さず、隣の女性に質問を浴びせだした。

「木庭先生、金メダルの時の優勝インタビューすごく感動しました。先生のおかげで甲子園が目指せます」

「木庭先生、どうして野球部の顧問なんですか。陸上はどうするんですか?」

「先生が野球を指導するんですか?」

 次から次へと質問が飛ぶ。それにしても、この隣の女性がオリンピックの金メダリスト?

 俺の頭の中はすでに情報処理ができずにパンク状態である。

 隣に立つ木庭先生が質問に答えだした。

「私は、小学校、中学校では野球をしていたのよ。高校では試合に出られないから陸上に鞍替えしたけど……。野球でもなかなかの選手だったのよ。それに未練もあったし……、でも、私だけでは心もとないので、古場先生をお招きしたの」

 その瞬間、記憶が蘇った。いや蘇ったというより、脳内に記憶がロードされた感じだ。

 俺は、アメリカでこの木庭良子さんと知り合い、彼女のスランプの原因を分析して、立ち直るきっかけを与えていたのだ。

「この古場監督は私の恩師に当たる人なの。アメリカに留学していて、スポーツ学全般に精通しているのよ。スポーツ医学を始め、スポーツ力学とか、スポーツ心理学とか、あとフィジカルトレーナーとか」

 俺のロードされた記憶では、異世界に来る前に俺の持っていた経歴がさらに上方向に上書き修正されている。これが女神の加護なのか? 実力が伴っていればいいんだけど……。女の子たちが好奇の目で俺を見ている。よし、試してみるか。

「よし、みんな。ここにいるのは、全員スポーツ推薦で入学してくる生徒なんだな。実力が見たいからノックしてみようか。軽く準備体操をしてサードの定位置についてくれ」

「みんな、先生が来る前に準備体操を終えています。すぐにお願いします」

 生徒たちはみんなサードの定位置に走っていく。

 おっ、みんなの目の色が変わっている。ほんとに野球が好きなんだ。それとも俺の実力が知りたいのか? なぜか肩から掛けていたバットケースからノックバット抜き取り、バッターボックスに立つ。

「簡単な打球だから、その場でしっかり腰を落として取ってくれ。取ったらこのネットに向かって投げ返してくれ」

「「「はい!」」」元気な返事が返ってきた。


 俺は、生徒たちに向かってノックを始めた。

 このノックバットはちょっとした夢のアイテムだった。いや、俺の実力が上がったのか? とにかく、思ったところに打球が打てるのだ。

 女の子だと思ってちょっと舐めていたが、しっかりと腰を落とし、流れるように捕球した後のスローイングまで完璧に一連の動作でこなしている。特に見ているだけでも、筋肉のしなやかさ、各関節の可動域の広さ、その無駄のない動きは驚愕に値する。

 これが、野球の女神が言っていた女性特有の優位性が上書きされている状態か!

「監督、すごい。すべての打球が全く同じところにバウンドしている」

 地面についた打球の後をみて驚いている女の子たち。

 この子たち、野球もよく知っているぞ。俺は確かに狙って同じバウンドになるよう打っている。それに気が付き、そのことがどのくらい技術が必要なのかも理解している。

「よく気が付いたな。じゃあ、同じ打球を打つから、前に出て一つ前のバウンドで取ってみてくれ」

 女の子たちは、腰を落としたままスッと前に出て、ショートバンドで打球を処理していく。

 驚いた。初動に重さを感じさせない。センスの塊じゃないか。

「よし、集合!」

 みんな戻ってきて、俺の前に並ぶ。

「みんなの実力は大体わかった。まだ、本格的な練習はできないから、今日はここまでにしよう。これから、春の大会の地区予選を見に行こうと思っているんだが、みんなも付いてくるか?」

 とにかくこの世界の高校野球のレベルを知らないことには話にならないと呼びかけてみた。

「「「「はい!」」」」」

 再び元気な声が返ってくるのだ。

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