3.黒猫と眠気とモヤモヤ
というわけで、俺は神星教の朝のお祈りに参加することにした。
そのことをアーシアさんに話したら笑顔で歓迎してくれた。
アーシアさんの仕事が終わるのを待って、三人で宿舎を出る。
宿舎から神殿までは徒歩十分ほどだ。
俺はアーシアさんとフィオーラの二人から、少し離れた位置を歩いている。
談笑しながら歩く姉妹の姿は仲睦まじそうだった。血は繋がっていなくても、二人の関係性は良好にしか見えなかった。
「にゃおーん」
どこからか、猫の鳴く声が聞こえた。異世界に猫……?
俺は周囲を見回す。気が付くと足下にそれはいた。柔らかそうな黒い毛並み。アーモンド形をした緑色の瞳。ピンと立った尻尾。見まごうことなき猫、黒猫だ。
「タカマル様、どうかされたのですか?」
「えーと、猫がいます。黒猫ですね」
「……そりゃ、猫くらいいるでしょ」
フィオーラが呆れた表情を見せる。
「タカマル様は、猫がお好きなんですか?」
「めっちゃ好きですね。親が猫アレルギーだから家では飼えなかったけど」
黒猫が俺の足元に頭や尻を擦り付けてきた。可愛いやつめ。俺は猫の頭をワシャワシャと撫でてやる。猫はそのまま腹を見せて寝転がった。アーシアさんが猫の側に屈み込むと、優しい手付きで腹を撫で始めた。
「にゃにゃおーん」
黒猫が嬉しそうな声を上げながら身悶えする。
俺とアーシアさんは目を細めながらその姿を見守る。
「もう、二人とも早く行くわよ」
さっきから、フィオーラは猫に近付こうとしない。
さてはこいつ……。
「お前、猫が苦手なのか?」
「は!? そ、そんなんじゃないし!」
図星か。分かりやすいヤツめ。
黒猫の腹を撫でながら、アーシアさんがクスクスと笑っている。
「ど、どちらかといえば犬の方が好きなだけよ! ペットは従順な方がいいでしょ!?」
「ふーん」
「その疑わしげな表情は何!? 姉さんもクスクス笑いをやめて!」
フィオーラが顔を真っ赤にしながら叫んだ。
「先に行ってるからね!」
俺とアーシアさんは黒猫に別れを告げて、フィオーラの後を追った。
☆ ☆ ☆ ☆
朝のお祈りを行う神殿の大聖堂は老弱男女でいっぱいだった。ラスティアの国教は伊達じゃない! ってヤツか。
異世界転移初日にロッシオさんのスキル鑑定を受けた聖堂も立派だったけど、ここはその比ではなかった。
余裕でウン千人は収容できそうだだっ広いスペースに整然と配された無数のベンチ。百メートルはありそうな天井を立派な円柱の林とアーチ状の構造物が支えている。壁に嵌った豪華なステンドグラスが朝の光を受けて七色に輝いていた。
俺達三人は入り口近くの空いてるベンチに揃って腰を下ろした。
正面の祭壇は舞台のように高い位置にある。その後方に天井近くまである女性の彫像が飾ってあった。エリシオンを象った彫像だ。
セイドルファーさんは双子の姉妹神とか言ってたけど、ぶっちゃけ、姉とはあまり似てない。
彫像のエリシオンはいかにも女神然とした荘厳とした佇まいでで、言っちゃ悪いが、セイドルファーさんはもっと俗っぽい。まぁ、伝説の記述や口承をもと作った彫像らしいので、本物とかけ離れたものになっている可能性はあるな。
祭壇の袖から司教のロッシオさんが現れた。老司教が中央の卓まで進み掌を掲げると、参列者が一斉に目を閉じ、胸の前で手を組んだ。
隣のフィオーラが肘鉄をかましてきたので、俺は慌てて周りと同じようにした。
しばらく、参列者全員でエリシオンに黙祷を捧げる。
……どうしよう、眠くなってきた。昨日は夜遅くまで読書してたしな。
「目を開けて下さい」
ロッシオさんの声。
黙祷は数分ほどで終了した。
良かった。もう少し続いたらマジで寝落ちしてたわ。
次はロッシオさんによるメッセージの時間だ。
ほとんどの人は星神教の経典を持参しているようだが、祭壇の前に現れた魔術的なディスプレイに経典の内容が表示されている。俺のような一見様への配慮のようだ。
ロッシオさんが参列者に伝えるのは、経典に記された女神エリシオンの教え。それを噛み砕いて、誰でも分かるようにしたものだ。
それにしても声のデカい爺さんだ。
千人規模を収容できる大聖堂の端々まで届きそうな声量は、ひょっとしなくても魔術を使って増幅したものなんだろう。マイクみたいな効果を持つ生活魔術があるのかもしれない。
参列者は老司教のメッセージをありがたそうに聞いていた。
俺にはその価値がイマイチ……いや、イマニイ、イマサンくらい分からなかった。
まぁ、俺は宗教に関してはノンポリなことに定評のあるニッポンジンだから仕方がない。
俺は間違っても欠伸だけはしないように必死こいて我慢した。眠気との戦いだ。
隣のフィオーラは澄ました顔でロッシオさんの言葉に耳を傾けている。アーシアさんはメッセージに感銘を受けたのか、水飲み鳥みたいに首を上下させていた。
俺はなんだか取り残されたような気分だった。
☆ ☆ ☆ ☆
お祈りは予定通りに進行し、つつがなく終了した。
「タカマル、今にも居眠りしそうだったわね」
神殿の外に出るなり、フィオーラがニヤニヤ笑いで言ってきた。
アーシアさんも少し困り顔だった。まさか、俺がありがたい説教の時間に寝落ちしかけるとは思ってなかったようだ。マジで
「昨日は夜遅くまで読書に勤しんでいたようだし、寝不足だったのかしらー?」
フィオーラが下から俺の顔をのぞき込み、おちょくってくる。サファイア色の右目が悪戯っぽい光をたたえている。
クソ、猫のときの仕返しだな。大人気ないキッズめ。
俺がフィオーラに何か言い返そうと思ったときだ。
風に乗って、食べ物の匂いが鼻に届いた。昨夜のブラウンシチューの匂いに似ていた。
「炊き出しですね」
神殿前の広場に、人の列ができていた。
アーシアさんとフィオーラ、神殿や宿舎に出入りしている人達と比べると、くたびれ、すり切れた雰囲気の人達が多かった。
アーシアさんとフィオーラは黙って列に並ぶ人達を見つめている。
「生活が苦しい方々への救済です。神星教の信仰活動の一つになります。私とフィオーラも当番制でお手伝いしているのですよ」
アーシアさんがそう説明してくれた。
「パンと温かいシチューやスープ、それに、長期保存ができる焼き菓子を支給しています」
給仕を担当しているシスター達も、列に並んでいる人達も慣れているのか、食べ物の受け渡しはスムーズに行われているように見えた。
「帰るわよ」
フィオーラは炊き出しの列から目を逸らすと、一人でさっさと宿舎の方に歩いていった。
「え、ちょっと待てよ」
「フィオーラ……」
俺は小さく妹の名前を呟くアーシアさんの顔を見る。
紫色の瞳が寂しそうに揺れていた。
それを見ていると胸の中が自分にもよく分からないモヤモヤしたものでいっぱいになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます