殺伐感情戦線第七十一回 【恩讐】 紅葉の森の満開の下

 蒼穹は紅色に染まり、頭上には紅葉が雪の如く降り注ぐ。


 地面は血赤に染まり、小鳥の囀りと草木が揺らぐ音が耳を撫でる。

 腰と同じ高さに構えた両手には、握り慣れた二尺七寸の相棒の重みがかかる。

 心なしかいつもよりも重い気がする。


 陽光で煌めく剣先の向こう側、視線の先には刀を担ぐような構えをした少女が一人。しかし、彼女に隙は無い。

 もし、あるとしたら私は既に斬りかかっていただろう。


 静謐でいて、その実落ちて来る葉も斬り伏せんとする覇気と殺意が空間を充たす。


 息継ぎすらも聞こえぬ無の時間が過ぎていく。


 想いを馳せる時間は刹那も無い。言葉を交わす必要すら私達の間には無い。

 信じるのは鍛え抜いた己の剣技のみ。


 ただただ、目の前の敵に集中するのみ。

 心を空にせよ。


 風の囁きが前髪を揺らす。


 ゆっくりと互いに弧を描き隙を窺う。

 手に汗が滲み、滑らぬように力を入れる。


 沈みゆく夕日が紅葉並木を己の輝きで燃やした。


 瞬間、朱音の瞳孔が開き、先行をかけた。

 猪突猛進の勢いで迫り、刀を振り下ろした。


 ――単純かつ隙の無い攻撃。


「ぐっ……」


 右足を踏み出し、間一髪受けきるが、その衝撃に体勢を崩してしまう。


 道場にいた時よりもずっと上達をしている。

 最後の稽古試合の時よりもずっと…………。


 距離を取り、体勢を立て直す。

 追撃は無い。


 再び静寂が訪れる。

 まるで、洞窟の中にいるような気分になる。


 もう、私の知っている彼女は戻って来ない。

 死んだ。

 そう、死んだのだ。


 せめて、せめて私の手でその血に穢れた魂を、心を浄土に……。


 再び、鬼人の如き斬撃が来る。

 その気迫たるや。


 左方に踏み込み、下方から切り上げる。

 軌道がずれた所を斬り返す。


 ――一閃。


 火花の瞬き。

 その瞬間は人生のようで……。


 一瞬で煌めき、一瞬で散る。

 その姿は桜のようでもある。

 美しき日々はあっという間に過ぎていく。


 いつの間に私たちはすれ違ってしまったのだろう。


 その挙動の一つ一つ。

 剣技の一つ一つに彼女の性格が出ている。


 大胆に見えて繊細な剣捌き。

 私達が年少の頃に学び合った剣技。

 互いに剣を極め、姉妹の契りを交わし、国の発展に貢献しようと誓い合ったはずなのに……。


 よもや、そんな想い出は幻だったのかと思ってしまう。


 私は、本当は貴女と闘いたくなんか無かった。

 これが宿命だというのなら。

 これが運命だというのなら。


 私はそれに立ち向かわねばならない。

 それが私の責務。せめてもの報いとなるのなら。


 鬼人の如き剛剣が再び襲い掛かる。

 そう何度も受けていられるような技ではない。


「!?」


 薙ぎ払い。


 剛剣が襲い掛かる。

 辛うじて受け止め、足さばきを利用して一回転。

 腸に一撃をくらわせる。


 紅の袴が更に赤く染まる。


 跪いた朱音を見下ろす。

 見上げる瞳は今にも襲い掛かってきそうな猛獣の如き眼光で見てくる。


 紅葉が彼女の頭に積もっていく。


「もう、止めよう。私達姉妹でしょ」

「そんなの、そんなの関係ないよ。彩ねぇが私の言うこと聞かないから。私とこの国を変えようって言ったのに。約束をしたのに」

「確かにした。だが、貴女は道を踏み外した。だから、私は正さねばならない。私は姉だから。貴女の姉だから……」


「そんなの…………。そんなのもう昔の話。私は己の道を進むだけ」

「忘れたの? 姉妹の契りをしたあの日のことを」

「覚えてる。だからこそ、私はこの道を進んだ。彩ねぇだって分かっているはず。この国はもう終わり。この国に未来は無いの」


「そんなこと……」

「無いって言える? 今のこの国の状況を見て。今が改革の時なのよ。革命の時なのよ。分かるはず。今の日ノ丸に武士道は要らない。人情なんかこの国を滅ぼすだけ」


「それでも、それでも私は守る。守ると決めたから」

「そんなの死地に行くようなものよ」

「分かってる。でも、死ぬと分かっていてもやらなければならないことがあるのよ。

「そう……。やっぱり、分かってくれないのね。彩ねぇはいつもそう」


「いつも?」

「そう。いつも。最初の時も。数年前、会った時も。全部。私はね、ずっと、ずっと彩ねぇのことが嫌いだったのよ。綺麗な服を着て。地主の娘だからって可愛い髪飾りをして。道場にいた時も誰よりも強くて。男子と闘っても強い女の子で。数年前に会った時も、新選組に抜擢されていて。ずっと私とは全然違う存在になっていて」

「あの時から朱音は人斬りをしていたの?」

「ええ。していた。だって、それが私の存在証明だったから。私は世直しの為にしているの。分かる?」

「そう」


 この子が壊れたのは私のせい。

 だから、これは私の責任。


「彩ねぇは最後まで分かってくれなかったね」

「貴方もね」


 刀を朱音の首に沿う。


「最後に聞きたいことがあるの……」

「なに?」

「私と一緒にいた時間は楽しかった?」


 何も言わずに微笑みを私に向ける。


 そよ風が吹き、髪を撫でていく。


 目を決して逸らさない。

 これは私への戒めだから。

 私はこの目で必ず見届ける。

 それが私の責務だから。


 腕に力を入れ、払う。

 ゴトリ、と地面に頭が重い音を立てる。


 目に浮かぶのは幼子の心象風景。

 朱音と共にここで遊んだ頃のこと。


 死に場所を彼女は探していたのかもしれない。

 彼女が探していたのは私で、自分。


 それは私も同じ。


 かけっこをして遊んだ。

 笑い合って。


 あれはきっと、嘘じゃない。

 少なくともあの思い出だけは偽物ではない。


「許せ」


 頭を風呂敷で包み、両手で抱き締める。


 後ろに結んでいるゴムは紅葉と同じ深紅色。

 姉妹の契りを時にお揃いで買ったもの。


 ――永遠を誓ったあの日。


 赤くて透明な綺麗な髪飾り。

 瞼の裏に浮かぶのはいつの日かの思い出。


 ――――――――――――――――――


「朱音、これあげる」

「彩ねぇ、これって……」

「ゴム。お揃い。可愛いでしょ?」

「うん。とても可愛い」

「姉妹の契りの印よ」

「印?」

「そう。印。私達は永遠に姉妹だから。ずっと一緒だから」


 ――――――――――――――――――


 思い出は想いの中に。

 楓は人の思い出を鮮やかに描き出す。

 記憶の中にある一番輝いていた時を。

 心は時間を超越する。


 私も直ぐに…………貴女の元へ。
























































  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あがにゃん殺伐感情百合短編集 阿賀沢 隼尾 @okhamu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ