第36回殺伐感情戦線 【血】 血の糸

「や、やめて下さい。お姉様」

「ふふふ。いいではないか。いいではないか」


 馬乗りになったお姉様の恍惚とした表情と、小さく開かれている桜色の唇から覗いている純白の犬歯が煌めく。


「あっ……」


 首筋に痛みが走る。

 と、同時に柔らかい感触が首筋を包み込む。


「んっ……ああっ…………」


 私の血液が彼女の唇へと吸い込まれていく。


 想起する地獄の光景。

 燃え盛る業火と、鮮血が宙を乱舞し、地と世界を紅く染める。

 耳を幾ら塞いでも聞こえてくる悲鳴と嗚咽の演奏会。

 モノクロ世界の中にはっきりと目に焼き付いている。


『猟犬部隊』に殺される人々や辱めを受ける少女や女の姿。

 涙を流しても流しても村に燃え広まった炎は消すことは出来ず、記憶にいつまでもいつまでも傷跡を残し続ける。


 この魂まで刻まれた憎しみと痛みの記憶は、決して私の体から消されることは無い。

 決して癒える事の無い傷は、復讐と言う名の炎と化し、私の魂を永遠に燃やし続ける。


「お姉様、お姉様」


 名前を呼ばれて我に返る。

 私は復讐に燃えているけれど、別に殺したいわけじゃない。


 恋情と復讐心が複雑に絡み合う。


 高揚感で心臓の鼓動が速くなる。

 私達は抱き合い、全てを受け入れる。


 体も、心も全て。


 貴方が私を支配したように、私は貴方を支配する。憎しみという名の愛情で貴方の魂を受け入れよう。


 私は彼女に殺された。

 家族も、友人も、仲間も、言葉も、思考も、私自身も何もかも。


 彼女の父親は猟犬部隊と言う特殊部隊に所属していて、私は彼らに全てを奪われ、殺された。


 彼女は何も知らない。

 これは私だけが抱く私だけの感情。


「お姉様、もっと、もっと」


 吸血される時の快感は、セックスする時と同じ位と言われている。

 それくらいドーパミンが出るということらしい。


 最高の快楽の中、愛と狂気が絡み合い、渦巻く。


 憎悪と愛情は両立する。

 憎しみこそ、最上の愛情で恋情だ。


 お姉様の金色の絹のような滑らかな髪が、私の体に絡み合う。


「これでミーネも吸血鬼の仲間入りね」

「はい。私、お姉様の眷属になれてとても嬉しいです」


 吸血鬼である『姉』は、一人を『妹』として眷属にしなければならない。

 それがこの国に新しく制定された吸血鬼制度の一つだ。


 現代、世界中で吸血鬼が蔓延っている。

 それは、吸血ウイルス。別名、ヴァンパイアウイルス(以下略:VV)の性だ。

 VVは世界の男性を拒絶した。


 VVは女性のみに感染し、感染者は繁殖機能を失う。

 つまり、人類は一方的に吸血鬼化の道を辿ることになったのだ。


 しかし、むやみやたらに吸血鬼化させてはいけない。

 そこで政府が考えたのが、『姉妹計画』だ。


 吸血鬼の眷属とその従者は家族よりも強いつながりと絆を持つという。

 政府はそれを利用し、吸血鬼制度を作り上げたのだ。


 そう。


 だから、私たちは家族よりも強い絆で繋がっている。

 時間と空間を越えた赤い糸によって私たちは繋がっている。


 吸血鬼となった私は、お姉さまの首に齧り付いた。


「お姉さま、もっと、もっと私を感じて下さい」


 私は彼女に全て奪われた。

 これでもう何も失うものは何も無い。


 私達は素肌を晒し、抱擁し合い、互いの愛を確かめる。


 人を好きになる気持ちも、憎む気持ちも良く似ている。

 憎しみは恋で、恋は憎しみだ。


 その人の全てを壊し、奪いたいという気持ちはどちらも良く似ている。


 それが愛なのだと私は思う。


 私たちはお互いを血と言う鎖で縛り合う。

 私たちが締め付け合う鎖は互いの首を絞めつけ合う。


「お姉さま、知っていますか?」

 優しく彼女の耳に語りかける。

「私、貴方のお父様の所属していた『猟犬部隊』に村を襲われたんです」

「え?」


 ああ。

 その顔だ。


 不意を突かれた時の表情。

 愛する恋人の顔から、恐怖へ、驚愕へと変える時の表情が堪らない。


「貴方のお父様に村を焼かれ、仲間を虐殺されたんです。知ってますよね。私、シュガーナ族の末裔なんですよ。唯一の生き残りなんです」


 ぽかんと口を開けたまま動かない。

 当然だ。

 いきなりこんなことを言われたら驚かない方がおかしい。


「私を憎んでいるの?」

「はい」

「そ、そっか……」


 彼女は裸で抱き合ったまま悲しそうな表情を浮かべる。


 もっと、私を憎め。

 殺したいほど恨め。


「それじゃ、なぜ私の『妹』になったの」

「もっと、私を知って欲しいからです。それに、私はお姉さまのことが好きなんです」

「それってどういう……」


 純粋な瞳で問いかけてくる。

 そんなあなたを私は滅茶苦茶にしてやりたい。

 子どもが虫の四肢を引き裂くように、純粋で精錬された殺意と破壊衝動が胸の奥から湧き上がる。


「分からないですか。私はお姉さまを殺したいほど憎んでいるんですよ。でも、同時に恋もしている。お姉さま、恋と復讐心って似ていると思いませんか」


 そう。

 この想いは紛れもない本物だ。

 これを人は愛と呼ぶのだろう。


 私の体、心、魂のすべてが彼女に奪われたように、彼女の全てを私は奪いたい。

 この欲動を抑えることは出来ない。


 血の鎖に結ばれた私たちは永遠に結ばれる。

 この理から逃れることは出来ない。


「私はね、お姉さま。貴方と一緒にいたいだけなんです。貴方を想う気持ちだけは本物ですから。お姉さまは、お姉さまは私を想ってくれないんですか」

「いいえ。違うわ。そうじゃないの」


 横にふるふると首を振る。


「貴方が私に何を求めているのか私には分からないだけ。お父様が貴方にした行為は決して許されない行為だわ。もちろん、謝っても赦してくれないことは分かっているわ。それは私の罪であって罰でもある。貴方は私に裁きを下す権利があるわ。同時に、私は貴方に罰を受けなければならない。ねぇ、私はどうすればいいの?」


「私と一緒にいてください。ずっと。永遠に。それが私がお姉さまに下す罰です」


 そう。

 これが彼女に下された贖罪。


 紅い制約が貴方と私を縛り、過去に対する意識がお姉さまの心を蝕む。

 お姉さまは私と一緒にいればいるほど、彼女は罪の意識に苛まれることになる。


 過去と現在と未来。

 私たちは時間を越えて結ばれた紅い絆によって結ばれている。


 私たちは赤い糸で結ばれているんだ。







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