第35回殺伐感情戦線 【電車】餌は私の中
毎朝電車に見かける女子高生がいる。同じ時間に同じ車両で同じ席でいつも見かける君。
君のパッツン前髪と背中まで濡鴉色の滑らかな黒髪が零れ落ちている。白磁のような滑らかな肌と線の細い顔と体の輪郭。幼さの残る顔の頬には、ほんのりと紅色に染まっている。
彼女が読んでいるのは、夢野久作の『ドグラ・マグラ』だ。
久しぶりに人間の姿を見た気がする。
だって、最近は異界人や妖怪がたくさんいるから。
特に、田舎なんかでは人よりも怪異の方が多いなんてことは現代ではざらにある。
もう、人間だけで生きている。生きていけるような世の中では無くなっているのだ。
現代は『普通』の人々もそういう異界に住んでいる生物が普通に見える時代だから。
今の時代は怪異が見えない方が珍しい時代になっているのだ。
今も私の周りには怪異が電車の中のあらゆる所に存在している。
それに、今私が乗っている電車は普通の電車ではない。
異界の電車だ。
周りの女の子や、都市伝説によると、この電車に乗っている乗客は一日に一人攫われるという。
言ってみれば、一種の神隠しだ。
でも、みんな気にしていない。
それが今の怪異と現代人の付き合い方だからだ。
人はいつか死ぬ。
いつか消える。
それは自然の摂理だ。
どれだけ立派な夢を持っていても。
どれだけ大きな目標を持っていようと。
人間死ぬときは死ぬ。
悲しみに暮れる時間は必要だ。
時間が心の整理に必要なのも確かだ。
後悔も、悔恨も、懺悔も人間には必要だ。その為の時間だ。
それらを受け止めるための時間だ。
でも、そんなものは亡者に憑りつかれた奴のやることだ。
現代人の多くは知っている。
人は死ぬ生き物だと。
他人の死にも、自分の死にも執着しない。
誰が消えても気にしない。
いや、考えないようにしている。
それが私たちの考え方。
いずれ、この子も消えてしまうのだろうか。
もしかしたら私の方が先に消えてしまうかもしれない。
そんなことを一々考えても仕方が無い。
私は今、この子のことを想えることが幸せなのだから。
それが一番の幸せなのだから。
それが何日も何日も続いた。
けれど、彼女は何一つとして変わらなかった。
周りの景色は、人々は変わっていくのに彼女だけは変わらなかった。
俯いた彼女の端正な顔を私はいつまでも眺めていたかった。
時々私は思う。
私は夢を見ているのではないのかと。
電車に乗っている私だけが現実の私で、会社に行って仕事をする私も、家に帰ってお風呂に入る私は本当はいないのではないのかと。
私が見ている「現実」は幻なのではないのかと。
―――――――――――――――――――
ある日、私は夜中まで仕事をして帰った。
その時もあの女子高生の姿を見た。
彼女は変わらない姿で本を読んでいた。
周りには誰もいない。
彼女と私だけ。
景色だけが流れる無の時間が過ぎていく。
スマホをいじるふりをして彼女の挙動の一つ一つを、表情の一つ一つを観察する。
文字を追う眼球の動き、呼吸をする度に揺れる胸と桜色の唇。
その一つ一つが私にとって輝かしい一瞬一瞬と化す。
宝石に囲まれたような空間と時間。
多分、外の景色が地獄絵図でも今の私は気づかないだろう。
視線が彼女の頭、胸、腰、足、つま先へと下がっていく。
彼女の姿が消え、漆黒世界へと誘われる。
目の前には彼女の姿。
「私はどうなったの?」
尋ねる私に彼女は冷淡な態度で答える。
「貴方は死んだ。私が殺した。私が貴方の魂を殺した。肉体を殺した。肉体は私のもの。魂も私のもの。貴方は気付いていない。私がどれほど貴方に恋焦がれていたのかを」
「え……?」
私の片想いだと思っていたのに。
「私はね、気付いていたんだ。貴方が私をちらちら見ていたのを。でも、私はそれよりずっと前から貴方のことを見ていたんだよ。ずっとね」
始めて彼女と目が合った。
なんて、綺麗な瞳なのだろう。
吸い込まれそうなくらい純粋な瞳。
私のことをずっとみていてくれていた。
憧れの女の子がこんな私を。
胸の奥が高まり、頬が緩んでいく。
「これから私達ずっといっしょなの?」
「そう。ずっと一緒。貴方の体は私のものになったから。私と一体化したから」
それじゃ、これからずっと一緒だね。
私たちは溶け合う。
「もう私、誰も食べないから。身体も魂も」
一つとなった私たちは今日も人々を乗せて走る。
人々は知らない。
精神も肉体も私たちの中にあるということを。
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