第四話 黒い炎の鉤爪使い
「今日も楽しかったなあ、パトリック!」
「はい、オクタヴィアン様。素晴らしい時間を過ごせました」
行きつけの酒場の一つで、いつものように横暴な飲み方をした帰り道。
夜の店の多い繁華街を過ぎて、二人は、
小道に面した民家の住民たちは、既に眠りについているのだろう。大通りならば魔法灯が街灯として設置されているが、この辺りにはそれもなく、静かで暗い夜となっている。
とはいえ、真っ暗闇というわけではなかった。今夜は雲ひとつない快晴であり、星や月といった自然の明かりが、二人の姿を照らし出していた。
「……ん?」
上機嫌で歩いていたオクタヴィアンの顔が、フッと曇る。彼らの通行を妨害するかのように、前方に立っている人影が見えてきたのだ。
頭のてっぺんから足の先まで黒で包まれた、いかにも怪しげな人物だった。
「誰だか知らんが、邪魔だ! おい、どけ!」
「おさがりください、オクタヴィアン様!」
悠長に怒鳴るオクタヴィアンとは対照的に、パトリックは、
「おい、パトリック。お前は何を……」
「よくご覧なさい、オクタヴィアン様」
従者の騎士に言われて、改めてオクタヴィアンは、立ちはだかる不審者を観察する。
ぴったりと体にフィットした黒装束と、顔に巻きつけた黒い布。肌色が見えるのは両目の周りだけであり、そこから覗くのは、美しいまでに青い瞳。
ここでオクタヴィアンは、相手が女性であることに気が付いた。よく見れば、胸も膨らんでいるし、手脚も男性にしては華奢なのだ。
「ほう……」
オクタヴィアンの顔に、好色の笑みが浮かぶ。だが、それはすぐに消えて、怯えの表情に変わることとなった。
なぜならば。
ジロジロ眺めるうちに視界に入ってきたのは、黒ずくめの女が両手に装備している、黒い鉤爪。闇夜に紛れやすい、暗殺者の武器だった。
――――――――――――
昼間は大道芸人として演芸場の舞台に立ち、夜は殺し屋としてサウザの街を駆け巡るモノク・ロー。
暗殺者スタイルの時には、炎のような赤髪も、顔と一緒に黒い布で覆い隠していた。また、一応は弱炎魔法カリディラを発動できるものの、その威力は弱いため――モノク本人の認識としては点火に使える程度であり火打ち石以下――、裏の仕事において用いることは滅多にない。
それでも『黒い炎の鉤爪使い』と呼ばれるのが、夜の彼女の姿だった。
そのモノクが今、冷たい言葉を口にしながら、二人の男に歩み寄る。
「貴様たち……。自分がどれだけ恨みを買っているか、わかっていないようだな」
「ひっ……!」
恐怖の声を上げながら、
一方、パトリックは、
「
と叫びながら、果敢にも、モノクに向かって斬り掛かっていく。
騎士剣と鉤爪ならば騎士剣の方が有利、と考えたのだろう。剣の間合いに入った瞬間、彼は得物を振り下ろしてきた。
しかしモノクは冷静に、両手の鉤爪を重ねて、これを受け止める。同時に右脚で、パトリックの
「ぐふっ?」
蹴り飛ばされて、苦悶の表情を浮かべるパトリック。そこには、疑問の色も混じっていた。
剣と剣での戦いしか想定していない彼の頭には、腕よりも脚の方がリーチが長い、という考えは、全く思い浮かばなかったのかもしれない。
民家の塀に背中から激突して、その場にパトリックが崩れ落ちている間に。
一陣の風のような素早さで、モノクはオクタヴィアンの目の前に迫っていた。
恐怖と混乱で硬直する男に対して、
「貴様が俺の標的だ」
と、モノクは告げたのだが……。
はたして、その言葉は、オクタヴィアンの耳に届いたのだろうか。
なにしろモノクは、立ち止まることなく、駆け抜けていたのだから。
両手の鉤爪で、彼の喉笛を切り裂きながら。
――――――――――――
「オクタヴィアン様!」
パトリックは、叫ぶことしか出来なかった。
立ち上がった彼が目にしたのは、
これでは騎士失格だ。
だが、悔やんでいる暇はなかった。
風を切るような異音と共に、何かが目の前に飛んできたのだ!
「くっ!」
咄嗟に両腕で顔をガードするが、続いて訪れたのは、右腕に二箇所、左腕に一箇所の小さな痛み。
顔から離して確認すると、右に二本、左に一本、黒いナイフが刺さっていた。どうやら今の一瞬で、三本まとめて投げつけられたらしい。
……などと状況把握のために目線を切ったのが、命取りだった。再び前方に視線を向けた時には、すぐ目の前に、黒装束の女が立っていたのだから。
ナイフの投擲は彼の注意を逸らすためだった、と理解できたが、もう遅い。
「貴様も俺の標的だ」
という宣告と共に、鉤爪で喉を切られて。
パトリックは、まるで
こうして、標的の二人が息絶えた今。
「依頼は実行された。これで完全に……」
モノクの呟きを耳にする者は、もはや誰もいなかった。
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