23:死せるものの仮面の暴露
クィクヒール大学のあちこちでも大会の話が出た。どうやらその日講義のなかった学生や、講義はあったが諦めた学生がけっこうな数いたらしかった。
信じられないようなものを見たという彼らの話が人から人へ伝わりまたたく間に学内全体に蔓延した。
仮面をかぶってはいたもののそうした話をあちこちで耳に挟むたびロハノは飛び上がり、不審がる学生には、自分はもう末期の病に侵されており先は長くなくこれはその徴候のひとつなのだと涙ながらに訴えてごまかすのだった。
その話を信じるものはいなかったが、いきなり泣き出す教授とあの素晴らしい演技者とを結びつけるほどの想像力の持ち主はそうそういなかったため、とりあえずのところ正体を明かさずには済んでいた。
優勝の手紙を受け取ってから数日後、いつものように教職員食堂で炭化寸前にまで炙られたと見える黒焦げのトーストをかじっていると、目の前にブルーノが座った。
「知ってますか。あのサーカスで優勝した人の話」
ロハノは吹き出した。
「え。なんですかそれは。サーカス? 優勝? ちょっとわたしの専門ではなさそうですね。わたしが今まで見聞きした中にそのような単語は一度も出てきませんでした」
「おや。知らないんですか。すごく評判なんですよ。学生も教職員も何かにつけてその話をしていますのに」
「わたしは最近冬眠から起き出したばかりなのでね」ロハノは水を一口ごくりとまるで毒でも飲むように飲んだ。
「流行りの話題にはついていけませんや」
「毎年優勝をぎりぎりで逃していた魔物使いがついに優勝を果たしたのですがね、この人の演技もさることながら、そのパートナーがぶっ飛んでいたのですって」
「ぶっ飛ぶとはなんですか。クスリでもやっておったのですか」
「なんでもすさまじい幻術を観客全員にかけたとのことで、まあそれだけ広く対象をとって魔法を唱えられただけでも見事なもんですが、この幻術というのもまるで現実としか思えぬほどに質の高いものだったそうで」
「は。なるほど。そいつはすごい。わたしには絶対無理ですね。むり」
「あなたでもそう思うのですか」
「思うおもう。わたしにできるのはせいぜい、お腹が空いた時、目の前にある石をパンと思い込んでかじるくらいのもんでして」
「それは魔術と関係ないじゃないですか」ブルーノは呆れたようにロハノを見た。
「これこれ。何の話をしているのかね。わたしも混ぜてくれんか」
なめくじの体液のようにぬらぬらした声色で話しかけてきたものを見るとデーデンスクだった。
「あっ。いや。その。大した話じゃありませんで。そうだよなあブルーノくん」
「あのサーカスの話ですよ。いやもうすごい評判で」
「おい」
「おお、それか。実を言うとだな、わたしも見に行ったのだよ」
「げえ」ロハノはむせた。「えげ」
「副学長に誘われたんだがな」
「かは」ロハノは吐血した。
「そうでしたか! ……あれ。しかし、あの日はお二方とも講義があったような」
「ブルーノ君。ここでの仕事は気に入ってるだろう。余計な詮索はせんことだ」デーデンスクは顔をしかめた。
「おや。わたしに何か用かね?」噂をすれば、副学長が天井から落ちてきた。
「いつからそこにいたのですか」そう言ってロハノは死んだ。
「呼ばれた気がしたのでな」
「これはこれは副学長。あのサーカスの話をしていまして」デーデンスクが文脈を教える。
「おお。あれか。あれはすごかったな。特に優勝者の演技が素晴らしかったな。ま。魔法によるごまかしの幻術とは言えな」
「ごまかしでしょうか。見た人は全員現実としか思えぬとの感想を」
魔法への反感が露骨である副学長の言葉を聞きとがめたらしく、ブルーノが反論した。
「いやいや。あれは幻術だよブルーノ君。わたしくらいともなれば直感で幻術を見破れてしまうのだ。なあデーデンスク君」
「ええ。もちろんですとも。あれは幻術でした。わたしは美女についていったところを騙されて豚にされトロール人形に捕まった挙げ句三枚におろされ日干しになるという幻を見ましたが、ま、そんなことになるのもあれが幻だったからで。本当ならわたしのような教授が欲に目がくらむなどといったことは決してなく」
「そうだ。そうに決まっているぞ」副学長は何度もうなずいた。
「わたしも神の位を剥奪されたのち薄暗く狭いところでみすぼらしい小屋に住んで一生を終えるという幻を見たが、そもそも定命の者どもなぞと違って不死であるこのわたしがそんな目にあうはずはないのだ。幻だ幻術だごまかしだ騙りだ詐欺だ」
「そうおっしゃる割にはずいぶんとお気になさるようで」生き返ったロハノが小声でぶつぶつと言った。
「……しかし」
副学長はロハノをじろじろと見た。普通のやつにそうされるのだって快くはないのに副学長のようなものがするのでなおさら気分は害されるのだった。
「その服。な。その服だよ」
「あげませんよ」ロハノは身を引いた。
「いらんいらん。そうでなくてだな、確かあの幻術使いもこれと似たような服を着ていた気がするのだよ」
「あ。衣替えの季節です」
ロハノは素早く上着を脱ぎくしゃくしゃに丸めて見えないように椅子の下に押し込んだ。
「わたしもこれからは流行を気にしようと思います。付和雷同。右にならえ」
「あ。そう言えばそうでしたな。ロハノ君のような服をあの演技者も着ていた」デーデンスクも同調する。ロハノの額にははや冷や汗が流れ出す。
「色なんてのはあやふやなものでしてね」ロハノはブルーノに向き直りべらべらと喋った。
「同じ虹を世界人口全部に見せたって何色が見えたかを訊くと答えは一致しないのですよ。ね。人の思考形成の履歴によって色の見え方なんてのは千差万別それこそ十人十色だからわたしのこの上着も皆さんには白には見えるかも知れませんがわたしにとってはむしろマゼンタのシアンのクロムの」
「いや! 絶対に白だったぞ。しかも同じような白衣」副学長がきっぱりと言った。
「白衣白衣とおっしゃいますがね、正確には魔術的細工が施された立派なローブであります。正しい名前で呼んでもらえないもんですから、毎夜毎夜この上着が悲しみに暮れて泣き明かすその声がわたしの安眠を妨害するのですよ。これ以上わたしの頭をぱっぱらぱあにしたくないなら皆さんこれからは白衣ではなくぜひローブと呼んでくださいローブローブろーぶ」
「そうですな。本当にこれにそっくりな服をあの人も身につけておりました」デーデンスクが力を込めて言う。
「人人人って言っても本当に人かどうかわからんでしょ。話によるとその人は仮面つけてたそうじゃないですか。本当のところはヒューマンじゃなくエルフかドワーフかノームかマーフォークかドリヤードかサテュロスかマーメイドかいやもしかしたらリザードマンという可能性だって」
「あ。いたいた! おーい!」
パンドクラの声だった。ロハノは血圧が即死のレベルにまで急上昇するのを感じた。
「あっ。君は優勝した魔物使いの」ロハノを除く三人が仰天する。ロハノは死にかけるのに忙しくそれどころではない。
「あの。もしあの。よろしければサインを……」
「ああはいはい。サインね。いくらでもしますよもちろん」パンドクラはブルーノ、ル・ゲ、デーデンスクの三人にサインをしてやった。
「ロハノ君、どうして知り合いだと言ってくれなかったんだ」副学長が問い詰めた。
「え。知り合い」ロハノはうろんな目つきでパンドクラを見た。そして首を振る。
「わたしこんなひとしらないよ」
「えーっ」パンドクラが笑った。
「笑われているが」デーデンスクもロハノをにらむ。「やはりあのサーカスに出ていたのは」
「あー。あー。皆さん、この人を責めないであげてくださいっ」ロハノはパンドクラに駆け寄って口をふさぎながら叫んだ。
「この人はわたしのことを死んだ自分の兄だと思いこんで事あるごとわたしにつきまとってはさも自分の兄に接するがごとく話かけてくる狂気の人であり」
「わたしに兄なんかいない……ぐ」否定しかけたパンドクラの口にロハノは手当り次第にものを突っ込んで命取りの言質が飛び出るのを決死の思いで防いだ。
「そうそうそういった偽の記憶を作り上げる心の空洞にはこうしていろんなものを詰め込んでやるのが特効薬であり唯一無二の治療法でありましてつまりは鍋いっぱいに煮込んだカレールーが無意識の氷山をかき氷へと」
ロハノはあることないこと喋りまくりながらじりじりと入り口のほうへと後退していった。
そうして憮然として動かぬ三人の目の届かぬところまでどうにか彼女を引きずることに成功した。
「この。この。なんで大学まで来んの。ばか。あんたばか」
「仮面があったし。バレないかなと。ね。あははははは」
「副学長みたいなのは人の都合悪いことを探すのを生きがいとしているふしがあるんだから、ちょっとした小細工はあっけなく看破されちまうの」
「いやね。渡したいものがあって。あの<窓破りの飛竜>はたまに手紙を落としちゃうことがあって」
「致命的欠陥じゃないの」ロハノは呆れた。
「これは大事なものだから直接に渡そうと思ったの。はい」
「ちゃんとすみませんわたしは亡くした兄を想うあまり半狂乱でしたこの中年教授とは何の関係もありません顔も知りません名前も職業も年齢も性別もわかりませんと三人に説明してくださいましね……どうも」
ロハノは差し出されたものを受け取った。封筒だった。
開けると書状が入っており、どうか頼むから来年も出てくれと文面にあった。筆跡からその必死さが伝わってきた。
「すさまじい数の問い合わせがあったんだって。あの魔術師は誰だ、ってね」パンドクラはにやりと笑った。
「すっかり注目を奪われちゃった。優勝できたのはあなたの力のおかげだよ、ロハノ」
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