21:安全装置のローブ

 毎年出場しているにも関わらず、パンドクラの登場に観客は狂喜した。


 決してマンネリに陥らず、毎度予想だにしない興奮を味わわせてくれることを知っていたからだ。


 緊張のあまり精神が死人のそれと相違ないような状態異常下に置かれていたロハノにもそのことはわかった。


 彼女は多くの人間が名前と図鑑の挿絵でしか知らぬままに一生を終えてしまうような希少な魔物を次々と繰り出し、会場いっぱいに動き跳ね駆け飛びまわらせた。


 不死鳥が飛翔とともに舞い上げた火焔は天井近くで炸裂して無数の火の粉にわかたれ、地面のある場所にはところかまわず降りていったが、不思議と熱くはなく、熱狂する観客も一時、その幻想的な光景に胸打たれ息を呑み、恍惚が漏らすため息のみが会場を満たすのだった。


 惜しげなくパンドクラは神話や伝説の主役たちを登場させた。例年よりもずっと張り切っているようだと毎年通い詰めのファンは思ったにちがいない。


 彼女は卓越した腕前を誇っていたから、その地方のひとつの洞窟にいるのを見かけたら他の洞窟全部にも間違いなく生息していると言われるほどありふれている<鍾乳窟の灰なめくじ>でさえも、見るもの全員の前頭葉に焼き付きその後一生をかけて振り返り反芻し続けるような鮮烈な記憶を刻みつけるに足る絢爛に仕立て上げることができるはずだった。


 だから演技の序盤から<虹翔けの晶石羽虫>や<大陸引きのサイクロプス>といったどれもが主役級の魔物を出し惜しみしない今年のパンドクラは珍しく、それだけにいっそう新鮮さが感じられ、初観戦の客はもちろん、第一回大会からの古株たちも始めて大会を見たときの興奮がまったき形で蘇り、これ以上興奮したら本当に死んでしまうのではないかと半ば覚悟してしまうほどの興奮ぶりを見せるのだった。


 巻き上げられた砂塵や砕かれた岩石、魔物の特別な力が生み出した水や炎や雷や光の奔流が会場を縦横無尽に駆け巡り、最も演技者から遠い席に座ったものにまでぎょっとするような熱気を届けた。


 賭けに興じていたものたちはほぞを噛んだにちがいない。今年の優勝は彼女で決まりだと誰もが確信していた。


 ロハノは落ち着かずに待合室をうろうろした。


 意味もなく手を上げ下げしたり、深呼吸をしようとしてパンドクラの魔物が巻き上げた砂塵を吸い込んで咳き込んだりした。


 会場の誰も、この素晴らしい演技者の次になにかわけのわからぬ魔術師がのこのこ登場することなど覚えていないようだったし、もし覚えていたとしても、こんなに見事なものを見たあとではどのような演技も霞んでしまい、<流線の黄金郷蛇>にみっともない足を描き足すようなものだと思うにちがいなかった。


 そのため耳から血が流れ出るようなとんでもない音量の拍手が鳴り響くなかをパンドクラがにこやかに戻ってきたときも、彼は油差しを怠ったがらくたのようにぎこちなく手を振ることしかできなかった。


「すばらしい。すばらしい。よし。さあ。帰ろうかえろう」


「あんたの番がまだじゃない」


「人非人。こんなに盛り上がった会場にのこのこ出てけってのかい。拷問ですよそれは。きっと精神に生涯に渡って癒やし得ぬトラウマを刻む悲劇に終わること間違いなし」


「なーに言ってんの。あんなに嫌がってたのにわざわざここまで来た理由、忘れたんじゃないでしょね」


「あ。そうでしたそうでした」


 ロハノはうなずいた。


 間髪を入れずパンドクラは<地底湖の主>に指示を出し、彼に水をぶっかけさせた。


 彼は迸る水流をまともに食らって控室の端から端まで吹っ飛んで壁に叩きつけられ、隣室で待機していた出場者を仰天させた。


「念の為」パンドクラは床にのびたロハノを引っ張り上げながら言った。


「さ。これで臆病心も吹っ飛んだでしょう」


「他にも色々吹っ飛んだ気がするけれど」頭を叩くとコップ一杯分の水が右耳から出た。


「まあ。いいでしょう」


 ロハノはパンドクラの叔父のおどろおどろしいデスマスクを被り、会場の真ん中まで駆け出していった。


 観客の喝采が一斉に止んだ。


 皆が彼の顔、というか顔を覆う仮面を凝視する。


 どっかの教団の狂信者が紛れ込んだんじゃないかと、側を巡回する警備員に心配して訊ねるものもいた。


 仮面のあまりの恐ろしさに先ほどまでの興奮も、まったく正体の知れない怪しい出場者への懸念もどこかへ去ってしまったようだった。


 痛いほどの沈黙に会場は覆われた。


 しばらくはそうしたままだったため、とりあえず、ロハノは上着を脱いで足元に放った。


 白衣じみたそのローブともなんともいい難い衣は、彼がクィクヒールに着任したときに初めて身につけ始めたものであり、それ以前はまったくお世話になってはいないものだった。


 とくに誰にも訊かれなかったため、彼のほうでも一度も明らかにしたことはなかったが、この衣は攻撃的な魔法を一切寄せ付けない<呪文スペル弾きの蝶>の幼虫が吐き出す糸で織られたものだった。


 彼が大学への着任とともにそれを着始めたのは、大学という閉ざされた空間において下手に今まで通りの感覚で魔術を行使してしまうと、それはそれは見るも無残な惨状を誘発してしまうのではないかと考えたためだった。


 特殊効果を抜きにしてもその糸は最も上質な服飾素材のひとつに数えられるほどであったため、着心地は抜群で、いつしかこれ以外の服を身につけるということはなくなっていた。


 気づけばいかなる状況下にあっても、彼はこの服一枚で通すようになっていた。もちろん、彼はただ面倒くさいという理由でそうしていたに過ぎなかったけれど。


 足元に落ちた上着を見て、彼はそう言えばそうだったなと気づいた。


 この前<大竜巻>を撃ち落とした時にだって、しっかりとこれを着ていた。脱げばもうちょっと疲れずに済んだのになと今さらながら後悔するのだった。


 ま。どうでもいいけど。


 今や初見の衝撃から立ち上がりつつある会場の注目は、ロハノがいったいなにをするのかというところに集まっていた。


 見たところ、期待半分、パンドクラを越えるのは無理だろうとの諦めが半分。そこまで期待大という雰囲気ではないようだった。


 これならむしろやりやすい。ロハノの緊張が幾分かほぐれた。


 おやっ、と彼は思った。明らかに興味を失くした客の顔をあちこちに見つけるにつれ、むっとするような感情が立ち上ってくるのが感じられたのだ。


 ちょっと魔術の宣伝ができればいいくらいの気持ちでやってきたのに、意外な闘志を発見して彼は驚いた。


 とはいえ、やることは変わらないのだった。何でもいい。とにかく魔法を放つこと。今や失われつつある魔術への畏怖を再び思い出させること。それだけを考えればいいのだ。


 やあ諸君。


 ロハノは自分の精神だけが聞き取れるささやかな声でささやいた。


 期待はずれとお思いでしょうか。けっこうけっこう。その考えこそが期待はずれであったのだと、あたり一帯を埋め尽くすひとりひとりが、もう間もなくそれに気づくだろう。


 ロハノは昔、自分がなんとかというしゃちほこばった称号で呼ばれていたことを思い出した。


 常用しない単語がいっぱいに詰め込まれたそれを、もうさっぱり覚えてはいなかったが、これから自分の紡ぐ魔法が、せめてその忘れられた称号に適うようなものであればいいと彼は思うのだった。

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