19:はた迷惑な伝令

 魔術師を自分たちが教えているような前衛職に関わる分野と比較して劣ったものと見なす意識と、講義の数が少なく、いつでも余裕しゃくしゃくひょうひょうとして見えたロハノを憎たらしく思う気持ちとが相まって、教授のなかには事あるごとに彼へ仕事を押し付けるものが少なくなかった。


 どうせあなた暇なのでしょほら仕事をやるぞ動け働け駆けまわれ、と見下す心の声がサトリでない自分にさえだだ漏れな同僚に頼み事をされたときには腹を立てることもあったが、時間がたっぷりとあることは全宇宙に照らし合わせて考えても間違いないことであったため、彼は事を荒立てず、たいていは快く引き受けてやるのだった。


 代理として出張させられることも多い彼はこの世のあらゆる場所まで出かけていった。


 北極の墳墓の会議で凍死したゾンビに囲まれて発言することもあった。


 そこにいるあいだはずっと裸足で通さなければならない、ありとあらゆる地形や生物が菓子でできた国へお伺いひとつ立てるために遣わされることもあった。


 そうした時には、ただ同然で入手できるよりどりみどりの甘いものやさくさくしたものを懐に忍ばせ持ち帰り、学生や仲のいい同僚に配ると、非常に喜ばれるのだった。


 相変わらず見も知らぬ物の突然発生は学内のあちこちで続いていた。


 なにか細くて黒いひもが先端からぶら下がった柱のようなものが現れたときには、不用心に接触した学生がまとめて丸焦げになってしまう事故も起こった。


 気まぐれに雷を落とすという、それなりに名の知られた雷神のしわざではないかと疑うものもいたが、それならこんなにまわりくどい方法をとるはずがないと言い返され、押しかけてきた学生の親たちには結局雷のアーティファクトが関係しているらしいとの取ってつけたような説明がなされたのみだった。


 ロハノはまた、ル・ゲやカゴロシ、さらにはデーデンスクの講義にまで助手として参加するようにたびたび強要された。


 彼らの目的は明らかであり、半ば自滅のような形でかかされた恥を、なんとかしてロハノにも味わわせたいらしかった。


 しかしむなしくもその復讐心は成就することが決してなく、魔法というものがどれほど劣っており非効率的で将来性のない分野であるのかをこれ見よがしに力説するも、その論の誤りを即座にひとつひとつロハノによって指摘され、ダメ押しのように一目瞭然なる実演によって証明されさえもしたため、やがて誰も彼を自分の講義に呼ぼうというものはなくなった。


 ロハノの実演は魔法ぎらいの教授が自分の言葉の正しさを学生に示すためけしかけたものであったはずなのに、かえって彼らの誤りをこそこれ以上ないほどはっきりと指摘されてしまうかたちとなったのである。


 ロハノ本人は気づかなかったが、そうした逆転の現場に居合わせた学生たちは、次第しだいに魔法に対する考えを、ひょっとしたら自分が思っているよりすごいものなんじゃないかと修正し始めるのだった。


 講義の進行とともに、用いられる様々な素材の希少度も比例して増していき、とうとう店売りされることがめったにないようなものまで用意しなければならないようになった。


 そうしたものの調達元には、世界で最も危険な場所の、一握りの強者にしか訪れることは許されないような深みにうごめく魔物たちも含まれていた。


 ロハノは火口の裏側、樹海の心臓、砂漠の深淵、星辰の落ちるところまでひとりで出かけていっては、並み居る加工屋が喉から手を出して欲しがるような希少さを、講義のためにのみ持ち帰ってくるのだった。


 太陽は毎夜その場所に落ちるのだとされている湖を訪ねたこともあった。


 岸辺にいるだけでも水の熱さに参ってしまいそうになり、絶えず<冬の衣>を体に纏わせなければすぐ立ち込める水蒸気に交じって自分も蒸発してしまうだろうとロハノは身震いした。


 せっかくここまで来たのだしと、ロハノはすぐ近くにある実家に立ち寄ってみた。


 夜中をも昼のように見せるオーロラがちょうど空に現れていたため、家に明かりは付けられていなかった。


 なにやら黒い影が居間の真ん中でごそごそとやっていて彼をぎょっとさせたが、よく見れば何てことはなく、妹が靴下を履こうとしているだけのことだった。


 しばらく――いきなり奇妙な物があちこちに出現することを除けば――何事もなく過ぎていった。


 講義のない時間、ロハノが研究室の窓を何気なくぼんやりと見ていると、小さな翼竜が現れ、突進して窓を粉々に砕き、そのまま去っていった。


 なんだったのだろうとロハノがあ然としていると、手紙がはらはらと落ちてきた。


 開いてみれば何てことはなく、なじみの魔物使いからのもので、今年も例のサーカスに参加するのだけれども、やっぱり魔物だけでなく人間の演技者もいたほうが有利だから、毎回断られているのに悪いのだけれども、どうしても魔術師として参加して、一発なにか派手にぶちかましてはくれないかしらという内容だった。


 例年なら送り主の名前を確認しただけで破棄してしまうものだったが、今年はふしぎと、じっくりと文面を眺めてみる気になった。


 もしかしたら魔法の宣伝のひとつになるかもしれないと考えたのだ。サーカスの観客数は申し分なかった。


 世界の各地からありとあらゆる種族と年代が集まった。とてつもない富と名誉が最優秀の一座に授与されるこのサーカスに、ロハノのなじみは毎年決勝まで進出していたが、どうしても優勝はできないでいたのだった。


 誰も信じてはくれないけれど、ロハノ自身は昔助けたことのある天使から礼としてもらったものだと主張してはばからない羽ペンを手にとって、考えかんがえ、あくまでお前のためでなくこっちの都合のために参加するのであり、よってもし優勝したとしても富や名誉なんぞははなから主目的でないからして、お前が勝手に全部持っていくようにというようなことを示す記号で文面を埋めた。


 知っているなかで一番飛ぶのが早い悪魔に手紙をくわえさせすぐ亜空間へ送り込むと、十分後、空の正規ルートを辿ってきたとは思えないほどの速度で先ほどの飛竜がまた研究室に飛んできて、今やっと彼が修復したばかりのガラスをまた破り、古き一族の系譜のように仰々しくながながしい巻紙を彼に託して去った。


 あまりにも長すぎるため、彼は読む気にならず、飛ばしとばし流し見するだけにとどめた。


 感謝。仲間。感動。泣。恩。好。愛。優勝などといった単語がやたらと目についた。


「……」


 悪い気はしなかった。


 開催日は平日ではあったが、ロハノの講義がある日ではなかった。


 参加の返事を出してしまってから気づいたことであるが、教授として働く際にサインした契約書をあちこちひっくり返して見つけ出し読み返してみると、やはり教授たるもの一般社会の娯楽に身をやつし研究をおろそかにすることがあってはならぬ、というしかつめらしい一文がしっかりと記されていた。


 しょっちゅう自分の講義を休講にしてはカジノやら旅行やらに出かけていく副学長が言えたことではないと思うも、万が一サーカスで魔法を連発する様をロハノを嫌っている教員の誰彼に見られでもしたら、そのような言い分は通らず、即刻クビになることは明らかだった。


 とはいえいまさらやっぱり無理でしたごめんなさい一人で出てくれさようならとの伝言を、かような長文を書かせたあとに送りつけるのは、たとえ顔が三つある悪魔や神とでもできることではないだろうと考えたし、実際彼もそうすることはなく、こうして今出場者控室でどぎつい色彩の競争相手たちに囲まれて場違いの感を抱えたまま出番を待つ間にも、なじみの頼みを承諾したことを悔いる気持ちはまったくないのだった。

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