16:強要された助太刀
「いやあすみませんね。ロハノ教授」カゴロシがおもねるように笑いながら言った。
「突然講義のお手伝いなど依頼して。え。助手がやるようなことですよねえ。教授のあなたに頼むなんて失礼でしたかなあ。しかし、どうせお暇だろうと思いましたのでね」
「はいはい。ご明察の通り暇でございましたよ」ロハノはうんざりしていた。
「やりましょうやりましょう。グリフォンの捕獲からマンティスの増殖までなんでもやりましょう」
カゴロシは「魔物の調教について」という講義を担当する教授だった。
魔物といえど生物であるにはちがいなく、その心を懐柔し信頼を結ぶことさえできれば、自分の片腕として背中を任せることすらやがては可能になるのだった。
自分はもうかなり強大な魔物とも渡り合えるとの自負があるからといって、いきなり<雨雲隠れ>や<王の虫>といった強大な生物を屈服させようとする冒険者は後を絶たないが、肝心なのは焦らず、まずは格下の魔物から始めていくことだった。
なんとか互角に戦えるといった程度の実力になびく魔物は、とくに能力が高く誇りも強い種族となればなるほど皆無だった。
必要とされるのは歴然たる別格、その庇護のもとに下りたいと思わせるほどの圧倒的な強さである。
とはいえひたすら強くなるばかりが方法というわけではなかった。
調教する側が強くなることでしか相手を屈服させる唯一の方法であったならば、翼竜便などといったサービスがあちこちの都市で発展するはずはなかったのだ。
それを含めて学生に教えるのが、カゴロシの「魔物の調教について」である。
「ま。おれも魔法なんてもう流行らんと思っているクチなんですがね。ははは」ロハノがあ然となるほどの無遠慮さでカゴロシは話した。
「でもしかし、こういう時ばっかりは魔法使いも役に立つもんでね。いやあ、助かりましたよロハノ教授」
カゴロシは凶暴な魔物を数多くキャンパスのあちこちに設えた檻の中に飼っていた。
ろくに給餌もしていないらしく、それらの魔物、例えば<荒野の飢え走り>などは学生が側を通るたびに強酸性のよだれを撒き散らして吠えかかるのだった。
自身の講義にそれらの魔物を連れてくることも多かった。たいていはただただ自分のコレクションを自慢するといった程度の目的でしかなかったが、たびたび重大な事故を招いた。
この教授、講義に出す時にさえ餌をやることを渋っていたらしく、当然その魔物は迫真に死を感じるほどの飢餓状態にあり、そんなところに学生をたくさん見せたのでは、惨事に発展するのが当たり前だった。
そのためカゴロシは学生の親が要求する賠償金により、常に破産すれすれの状態にあった。
それでも自分の凶暴な魔物を連れてくることはやめないので、こいつは病気であるにちがいないとのうわさが学生の間でも教職員の間でも広まっているのだった。
それでも教授としてクィクヒールに留まり続けていられたのは、彼も副学長のような半神であり、すべての魔物の誕生と死を司る神々の端くれではある父親の威光に守られていたからに他ならない。
クィクヒールの教授の半分は性格上なんらかの欠陥を抱えていて、そういった教授はたいていが半神であるとの共通点を持つのだった。
「えー。諸君、静かにしずかに。おい。うるせえ。黙れってんだこら。殺すぞ。双頭犬けしかるぞ。食わすぞ。肉ちぎるぞ。はい。よろしい」
さんざん脅したあげく教室の静寂を勝ち取ったカゴロシはロハノを紹介した。
「こちらは。あー。知らない諸君も多いだろうが、ロハノ教授である。あの、ええと、なんか、その」
「総合魔術論です」ロハノは小声でそっと教えた。
「統合失調論を教えているそうだ」カゴロシは大声で言った。
「で、ロハノ教授に来てもらったというのは他でもない、今回の講義で扱う魔物に関係しているのだ」
カゴロシは助手に合図を出し、教室の裏手からその魔物を連れてくるように言った。
助手は処刑を申し渡された剣闘士のような顔をしてしばらくまごついていたが、カゴロシの目が険悪になったのを見て観念したように裏手の部屋へ入っていった。
「あっ。あっ。だめ。あっ。ぎゃ。わ。あ。血。血が。赤い。痛い。痛いよう。ああ。あ」
ざくざくと柔らかいものを引き裂く音のあとに、ばりばりと硬いものを砕くような音が聞こえてきた。
教室はすでにこれ以上静かになりようがないくらい静かだったのに、より一層静まったのがふしぎだった。
助手は帰ってこなかった。
ロハノはデーデンスクと同じく、カゴロシも助手をしょっちゅう新しく雇い入れていたことをようやく思い出した。
「まあ。うん。よし」カゴロシはロハノに向き直った。「ちょっと君、あいつの様子を見てきてくれんか」
「死んだでしょう」ロハノは仰天して言った。「あの音が聞こえなかったのですか」
「いや。まあ。でもわからんよ」カゴロシはうそぶいた。
「それに講義にはあの魔物が必要だ。ほら。あの。あれだ。わたしは板書をしなければならんのだ。板書。だから手が塞がるのだ。だってチョークは手に持つんだものな。わかったらとっとと行け」
魔物はべつに恐ろしくなかったが、目の前に広がるであろう凄惨な光景を忌避するがために行くことをロハノは嫌がった。
しかしカゴロシは副学長とねんごろの関係にあったし、少しでもへまをやらかせばたちまちル・ゲの耳に入れて、新年度を待たずして解雇されてしまうかもしれなかった。選択肢はなかった。
「行ってきまーす」
ロハノはカゴロシと学生に手を振ってから別室に足を踏み入れた。すぐに血の匂いが鼻をついた。
ロハノはこの匂いが嫌だからこそ戦士系ではなく魔術系の職業を志したことを、長らく記憶の辺境に追いやられ忘れられていたそのことを思い出した。
もちろん血を流させる魔法も少なくはなかったが、相手にそれをするのも、代償として自分にそれを施すのも、ロハノは嫌がった。
せっかく爆裂と火炎で戦場の醜さを覆い隠せてしまう業を学んだのだから、わざわざ生臭い方法で戦い抜く必要性を一切感じられないのだった。
それでもやむを得ず使ったことは、教授志望以前、<首切りギリギリ団>という思い出すだけで顔が赤くなるような名前のパーティーに所属する魔法使いとして一時期活動していたさいにままあるのだった。
最もそうした系統の術を得意とするのはヴァンパイアだった。
血を摂取することでしか生き延びられず、数多くの弱点を運命づけられた呪われし種族であると忌み嫌うものも少なくなかったが、ありとあらゆる代償として血を用いることができるのは他のどの種族にも見られぬ強みであると言えた。
かつて戦ったあるヴァンパイアの業を今でもロハノは鮮やかに思い出すことができた。
<血の噴水>と呼ばれたその魔法は、命を削り合う戦いの只中にありながらも、パーティーの誰しもの手を止めさせ、不覚にも見とれてしまうほどの優雅さを誇っていたのだった。
今思えばそれこそがその魔法の効果だったわけで、たまたま岩場にけっつまずいた味方のひとりを起点としたドミノ倒しによって全員が幻惑から目覚めたからよかったものの、あのまま見とれたままでいたならば、パーティーは生命をとうてい維持し得ないほどにまで血を絞り尽くされていたであろうことは間違いなかった。
別室にいたのもヴァンパイアだった。
とはいえ一般にイメージされるような貴族、貴種風の、きわめて知能が高く人間に近似したような姿のヴァンパイアではなく、見舞うものも絶えた墓場に集団で住まう<血啜り幽鬼>という、グールの一種だった。
その鋭利な牙は赤く染められていた。たった今施された色であるにちがいなかった。ロハノに気づくとすかさず飛びかかった。どう考えても調教されているとは思えなかった。
「あんなのに捕まっちまってお気の毒」
<手乗りの牢獄>をロハノが唱えるとたちまち幽鬼の四肢は硬直し口は塞がれた。何が自分の身に起こったのかわからぬまま、まばたきひとつできず床にどさりと落ち込む。
「それはお互い様かしらん。いざいざさあさあ講義へ講義へ」
ロハノは幽鬼を転がして別室の外にまで連れ出していった。
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