幼馴染から恋人へ

三点提督

幼馴染から恋人へ

「またね!」

「うん」

 僕には好きな女の子がいる。それは今挨拶を交わした子で、その子とは保育園の頃

からの幼馴染でもある。

 その子の名前は龍宮寺巴ちゃんと言い、とにかく気が強く、曲がった事が大嫌いな

所謂正義感の強い子だ。だから正直、こう見えて気弱な僕にとっては友達である事に

対してとてもありがたみを感じていた。

 ――なんて、少し大袈裟かもしれないけどさ?

 とは言えそれでも今までそんな巴ちゃんから何度も助けて貰ってきた事に変わりは

なく、故に今も言ったように、物心ついた頃から好意をもつようになっていたという

訳だ。

「っと、いけない。確か明日は小テストがあるとかなんとかって先生が言ってた様な

気がするな?」

 現在僕達は高校三年生であり、尚且つ三学期も終盤に入り、つまりはこれも最後の

小テストという事もありそのテスト内容はかなり濃いものとなるはずなので、或いは

今夜は徹夜が要求されそうな気がした。

 ――やっぱり巴ちゃんに手伝って貰ったほうがいいかな?

 そんなふうに思った僕は、先程下校の際に別れたばかりの彼女に連絡し、今晩その

件でテスト勉強に付き合ってほしいと頼んでみた。すると彼女はあっさりと承諾して

くれた(ただし夕食を済ませた後でという条件付きで)。

「ありがとう。それじゃあ、とりあえず八時頃に来てくれると助かるな?」

『解ったわよ。でも、あたしが来るまでに、あんたもあんたで予習くらいは済ませて

おいてよね?』

 そう言い残して、この会話は一旦終了した。

 その後、午後八時過ぎ、泊まりの荷物も持った状態の巴ちゃんが家にやってきた。

「こんばんは」

「うん、いらっしゃい」

 そういえば、こんなふうに巴ちゃんがうちに泊まりに来るのはもしかしたら久々な

気もする。何せ最近では部活や委員会、その他互いの都合のせいもあり、中々時間が取れなかったから、なんとなくこの瞬間が新鮮に思えてくる。

 ――出来ればこの流れで同じ大学にも行きたいところだけど、流石にそこまで都合

よくはいかないよな?

 半ば諦め気味にそう思い、ハッと我に返り、いつまでも玄関なんかに突っ立ってると彼女に申し訳ないと思い、早速部屋に通すことにした。



「少し散らかってるけど、まぁ気にしないでよ?」

「それくらい、あんたの性格で解るわよ。それより、早速だけどまずはどこから手を

付けるの?」

 今回の小テストは数学で、僕にとっては特に苦手な分野である。その為、これまで

一人で予習復習してきた際はちっとも山が当たらず、毎度毎度赤点ギリギリで大学に

進学するのはかなり厳しいとすら言われてきた為、今回という今回こそはどうしても彼女の協力が必要だと思った次第だ。何せ彼女はこの三年間で必ずと言っていい程、

全学年での成績は勿論、全国模試では五本指に入っていたくらいだからだ。

「それじゃあ、まずはここからかな?」

「へえ? あんた、こんな簡単なのも解んないんだ?」

 出た、巴ちゃんお決まりの挑発。この子は普段は優しくて可愛いが、いざ今の様に

何かを頼み込むとすぐに本性を露わにする。それがこれだ。とは言え別に過度に嫌味

ったらしい訳ではないが、それでも多少のちょっかいやキツい物言いなどが混ざって

くることがあるので、そう言った部分は少し苦手である。

 ――まぁ、別にもう慣れてるからいいんだけどさ?

「悪かったね? それじゃあ、そろそろ教えてよ?」

「そうね? 時間だって限られてるんだし。急いで終わらせて、少しでも余裕持ったほうがいいもんね?」

 そしてテスト勉強が始まった。

「――で、ここがこうだとすると」

「まぁ、こうだよね?」

「そうそう、それじゃあ次。もしもここがこうだったら?」

「こうかな?」

「そうよね? でもここにこういうのがあるから、それだけじゃ足りないわよね?」

「それじゃあどうすればいいの?」

 とまぁそんな感じで、本当に僕ばかりが勉強を教わる形になっているが、しかし、

それでもかなり個人的には楽しいとすら思っている。何しろ昔から仲が良く、尚且つ

こんなに可愛い女の子と一つ屋根の下で同じ部屋でそのうえこれ程までに近い距離で

いるのだから、嬉しくないというほうがごく稀なはずである。

 ――このままずっと一緒にいられたらいいのに。

 と、そんな淡い願いが叶う事はまずあり得ない。何故なら彼女は高校を卒業したら

日本人であれば誰でも――少なくとも僕は――憧れとする有名大学の一つである東大

に入学するつもりらしいからである。そのような事を口にされてしまおうものなら、

いくら僕でも様々な意味で諦めなければならないというものである。

「そんなの簡単よ。ここをこうして……ところでさ、あんた高校卒業したらどうするつもり?」

 唐突に巴ちゃんが質問を投げかけてきた。余りに余りな質問に対して、僕はすぐに

応える事は出来なかった。その代わり、「急にどうしたの?」と訊ねてみた。すると

彼女はこう口にした。

「あんたが小声で大学がどうとか言ってたから、少し気になったのよ」

 どうやら内心で思っていただけのつもりが思わず声に出てしまったようだ。だが、聴こえていたのであればある意味逆に好都合である。何故ならこれでその事について

訊ね易くなったからである。そう思い、思い切ってその質問に応えてみる事にした。

「僕はこれからも巴ちゃんと一緒にいたいな?」

「……」

 部屋が静まり返る。まだ相当な寒さが残る中でこの沈黙は僕にとってはそれなりに

身に染みる。だが彼女は一切僕の応えに対して返答しようとはせず、無理矢理勉強の

ほうへと話を戻してきた。

「……それじゃあ、今度はここよ。あんたはこの問題、どんな答えになると思う?」

 ――応えたくないなら、まぁいいか。

「そうだね、多分、こうなるんじゃないかな?」

「解ってるじゃん。それじゃあ、今度はこれ。これは――」

 何となく巴ちゃんが不機嫌な様に見えた。ひょっとしたら僕のせいかもしれない。

そんなふうに思った僕は、何やらモヤモヤとした気分になっていた。無論これは変な

意味などではなくむしろ不安のほうの意味でのそれである。昔からそうだった。彼女は一度怒ると無口になり、必要以上の事は口を利いてくれなくなる子だった。

 ――どうやらまたそれがはじまったみたいだね?

 こうなってしまえば下手な会話は出来ず、そのうえ視線もまともに合わせては貰え

なくなってしまう。だから正直、余り下手な事は口にしたくなかったのだが、しかし今回ばかりは仕方がない。何せ今のはある種の事故に過ぎないからだ。彼女の質問に

対して僕が応えた。ただそれだけの事だからである。

 ――とは言え、

 いつまでもこの空気が続くというのはかなり気まずい。そう思った僕は、現時刻が

午前零時を廻り、尚且つまた多少お腹も空いた頃合いだったので簡単に夜食でも用意

しようと思い、一旦その場を離れる事にした。

「少し席を外すから、適当にくつろいでてよ?」

「うん」



「さて、どうしようかな」

 台所まで来た僕は、今更ながら果たして何を作ろうかと考えた。何せ相手は女の子

なのであまりこってりとしたものは作れないし、だからと言って自分勝手ながら僕は

そこそこお腹が空いている。

 ――仕方ない。もう一度戻って訊いてみるか。

 ――ガン無視されると思うけどさ?



「ねぇ巴ちゃん……巴ちゃん?」

 巴ちゃんはこの寒い時期に部屋の窓を開け放ち、雪の降りしきる外を眺めていた。

一体どうしたのだろう? そう思っていると、

「……ねぇ、あんたってさ、誰か好きな子とかっているの?」

 唐突にそのような質問を投げ掛けられ、僕は先程よりも頭の中が真っ白に、という

と少し語弊があるが、それでもそんな感じで返答が遅くなり、だがどうにか声を絞り出し、「いきなりどうしたの?」と逆に訊ねてみた。すると彼女は、「別に」と短く

応え、「あたし達ってずっと一緒にいたでしょ?」や、「そろそろいい年頃だから」

など、区切り区切りに僕の質問に応えてくれた。

「ひょっとしてキミ、僕の事が……」

「馬鹿言わないでよ! あんたなんかただの友達で幼馴染で、それ以上でもそれ以下でも何でもないんだから!」

 そんなふうに全否定された……と思った時、「でも」と言って、「あたしも、少しくらいならあんたの気持ちは解るから」と、僕のほうに視線を向けた。

 ――それって、つまり、やっぱり……、

「ねぇ」

「何?」

「気分転換に、少し散歩でもしてみない?」

 そう言って巴ちゃんは窓を閉め、ドアの前にいる僕の隣を通り過ぎて行った。

 ――巴ちゃん……。

「何してるのよ? 早く来なさいよ」

「あ、うん」

 引っ張られるように僕もその場を後にし、巴ちゃんと二人きりで目的なしの散歩を

はじめた。



「やっぱり寒いわね?」

「そうだね?」

 風こそないものの、やはり冬は冬である為まだ肌寒く、正直すぐにでもくしゃみが出てしまいそうである。

「それにしても、あんたと出会ってもう十年以上が経つのよね? 憶えてるかしら?あんたとあたしが初めて出会った時の事」

「初めて出会った時の事……えっと、何だっけ?」

 僕がそう応えると、巴ちゃんは「やっぱり憶えてないわよね?」と言ってこちらの

ほうを振り返り、困り笑いを受けべながら更にこう言い加えた。

「虐められていたあたしをあんたがたった一人で助けてくれたの。それも、複数人を束にしてね?」

「そうだっけ?」

 ほとんど憶えていない。何故ならそれでこそ、巴ちゃんが口にしたこの思い出話は

あくまでも僕達が出会った頃の話だからである。だがそれでも、彼女が思い出の一つ

としてくれているのであれば、やはり下手にちょっかいはかけないほうがいいのかもしれない。

「そっか。まぁキミがそう言ってくれるんだったら、確かによくは憶えてないけど、助けてあげた買いはあったのかもしれないね?」

「……マフラーと手袋、してくればよかった」

 巴ちゃんが呟いた。はぁっと手に息を吹きかけて軽く両手を擦り合わせる。それを見て、僕は彼女のすぐ傍まで行き、「手でも繋ごうか?」と、何気なく訊ねてみた。

それに対して彼女は、「その汚い手と?」と、多少冗談を言いつつ、「そうね?」と

言って、僕の手を取ってくれた。

 ――巴ちゃんの手、すごく柔らかい。

「何よその目? まさかあんた、今エロい事でも考えたの?」

「そ、そんなことないよ。って言うか、何変なこと言ってるのさ!」

「何よあんた、図星なの?」

「うっ」

――やられた。

「何が「うっ」よ? もしかして、やっぱり何か考えてたの?」

「……キミの手って柔らかいんだなって思ったんだよ」

 恐らくはまた茶化される。そう思っていた僕だが、しかし彼女からの反応は意外と

普通なものだった。

「まぁ男子からすれば女子の手なんてそんなもんよね。普通じゃない? そんなの」

 普通、その台詞は果たして本当にそのまま捉えてもいいのだろうか? 僕は今まで

巴ちゃんか幼少期に母親或いは父親及び身内としか手を繋いだ事がないので余りよく

解らないが、しかしまともな神経をしていれば、確かにそうなのかもしれない(現にこの僕がその一人だし)。

 ――そういえば、

「ねぇ巴ちゃん、僕達って、今どこに向かってるの?」

「どこだと思う? ヒントはあたし達にとって思い出の場所よ?」

「思い出の場所?」

 僕にとってはそれなりに沢山あるので一ヶ所には絞り切れない。彼女は一体どこの

場所を指しているのだろう?

 ――駄目だ、皆目見当もつかないや。

「思い出の場所なんて沢山あるけど、一体キミはその中からどこを選んだのさ?」

「……来れば解るわよ」

 どうやらまた不機嫌にさせてしまったようだ。今日はやけにこの子の虫の居所が悪いらしく、そのせいでいつ愛想を尽かされてしまうか解ったものじゃない。

 ――やっぱり下手な相槌や発言はやめておいた方がいいのかな?

「解ったよ」

 一先ずは彼女の言う通りにしておいた。

 その後もしばらくは目的地の解らない無言の夜散歩――正確には未成年の深夜徘徊

だが――は続き、更にしばらくしてから、「ここよ?」と言われて足を止めた場所、

そこは僕達が通う学校だった。

 ――ここが思い出の場所だって?

 ――まぁ確かにそうだけどさ?

「ここがキミの言う一番思い出に残ってる場所なの?」

「そうよ? ……正確には、ここを最後の思い出の場所にしたい。っていう感じなんだけどね?」

 そう言って、巴ちゃんは僕のほうへと視線を向け、「それじゃあ入りましょうか」と言って、校門をくぐった。

「……そう、だね」

 静かに降りしきる雪が僕達を包み込んでいる。まるで、僕に何かを求めているかのように。

 ――あと少しで、僕達は離れ離れになる。

 ――だったらその前に。

「ねぇ、巴ちゃん?」

 ――伝えておかないと!

「僕、昔からキミの事が……」

 そう言いかけた口を、巴ちゃんの細い指が塞いだ。

「それ以上は言わないで? あたし達、まだそういうのじゃないから」

「……そう、だよね? ごめん」

 ――やっぱり、僕達はずっとこのまま……、

「……って言っても、多分、その応えはもう既に出てると思うけどね?」

「え?」

 ――今この子、何て?

「あたしだって、その、あんたとはこれからも普通に仲良くしていきたいと思ってるし、今ここで下手に話したところでどうにかなるものじゃないから。それに、その、何て言えばいいのかしら? あたし達って、別にお互いを嫌ってる訳じゃないから、そんなに急がなくてもいいと思うのよね?」

 珍しく、巴ちゃんは言葉を詰まらせている様子だったか、結局のところは何が言いたいのかは皆無だった。

「でもね?」

 ――ん?

「素直になっていいなら、こんなあたしでも一つだけハッキリしてることがあるの」

「……何?」

「あたしもこれからもあんたとずっと一緒にいたい。それは恋人とかそういうのじゃなくて、普通の友達として、幼馴染として。だってそうでしょ? 恋人とかそういう堅苦しいのだと、お互い自由が狭まっちゃうし、何より疲れちゃうし。だから、今のままでいてくれると嬉しいのよね?」

 そう言って何歩か歩みを進め、

「……とか言って、本当は、あたしもあんたのことが好きなんだけどね?」

 それを聞いて、僕は覚悟を決めた。

「巴ちゃん」

「何よ?」

「やっぱり、僕と付き合ってください。お願いします」

「……」

 返答は中々こなかった。でも僕は諦めずに左手を差し出して頭を下げ続けた。

 そして、その応えはようやく返ってきた。それは、

「……はぁ、仕方ないわね」

だった。

「今に思えば、あんたみたいな奴なんて腐る程いるけど、仕方ないからあたしが面倒見てあげるわ? ……これからも、よろしくね?」

「うん」

 こうして、僕達の長い夜は更けていった。



そして翌朝、

「遅刻だよ!」

 朝食云々どころの話ではなくなっていた……。

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