閑話:王妃 エリザベート

 夜更けに寝室のドアを、激しく叩く音が響く。

 王妃、エリザベート・オル・トーレスは、顔を顰めながら、一人寝の広く冷たいベッドからゆっくりと身体を起こす。


「……何事です」


 寝入りばなだったこともあり、声は不機嫌そのもの。


『も、申し訳ございませぬっ。至急、至急、お伝えしたき事が』


 押し殺した声は、王太子付きの近衛騎士のモノ。

 何をやらかしたのだ、と苛立たしく思いながら、王妃はガウンを羽織り、立ち上ると、指先を動かすだけで寝室のドアを開けた。

 複数の近衛騎士たちが、恐縮しながらドアのそばで立ち止まる。


「お、お休みのところ申し訳ございませんっ」

「……アレが何かしでかしたのか」


 王妃が『アレ』というのは王太子しかいない。

 冷ややかな王妃の言葉に、騎士達は背中に冷や汗が流れていく。


「はっ……王太子様が、メイリン様以外の女性の部屋にて……」

「ふんっ、それはいつものことであろう」


 自分の腹を痛めた子供ではないが、国のためにもと諦めて、王太子としたのだ。当然、エリザベートは王太子の動向は把握していた。

 どんな愚かな行為をしていようと、ただ見守るだけ。それを諫め、育てるのは王妃の仕事ではない。母である側妃や国王が為すべきことだと思っている。

 王妃が育てるのは血の繋がりのある、メイリンのみ。


「そ、それが、メイリン様が、その……部屋の中をご覧になってしまわれまして……」

「何だと……まぁ、それも時間の問題ではあったか……だが、その程度であろうが」


 自分など、ずっと国王の訪れもないのだ。それでも、王妃の地位を守らねばならない。それがこの国を守る王族の役目。

 メイリンへの妬ましい気持ちを抑え込み、そう思ってきた。


「し、しかし、王太子様が、その」

「はっきり言えっ」

「その娘を側妃にすると約束していると、メイリン様がお知りになりまして」

「なんだとっ!」


 ――そんなことは、聞いていないっ。


 王妃の怒りの表情に、近衛騎士たちも身体を震わす。


「お、お戯れにおっしゃったのかもしれませんが、その相手の娘が、メイリン様の目の前で、そのように王太子殿下に取り縋りまして……」


 エリザベートはギリギリと歯を噛みしめる。

 あの時、辺境伯から提示された婚約の条件など、聞くのではなかった。


『側妃は結婚から十年間は置かない。十年の間に王子が産まれなかった場合のみ、側妃を認める』


 側妃の存在の忌々しさは、王妃であるエリザベートは嫌と言うほど、理解していた。そして、それを知るからこその、辺境伯からの条件なのだろうとも。

 王妃は、自分は国王に王子を見せることが出来なかったからこそ、まだ、仕方ないと思えた。しかし、メイリンのそれは違う。まだ、婚約以前の状態なのだ。反故にされては、こちらが困る。


「相手の娘というのは」

「スタール侯爵のご息女で……」

「あの女狐か」


 スタール侯爵も食えない男ではあったが、その娘も学校での評判は芳しいものではない。

 しかし、あの程度の女に嵌るとは、王太子も情けない。その上、女を抑え込めずに、科の者の妄言をメイリンに聞かせてしまうとは。王妃は呆れるしかない。


「はぁ……。所詮、身体だけであろう。まったく……王太子は暫く北の塔へ閉じ込めておけ。女狐は地下牢へ。罪状は国家反逆罪」

「なっ、それは、厳しすぎるのでは……」

「何を言うか。メイリンが戻らねば、我が国は滅びの道しかないのだぞっ」


 苦々しく言う王妃の言葉に、王族でないと受け継げない『守護の枝』の存在を思い出し、近衛たちの顔が強張る。

 

「認識の甘さは、親の教育もあろうがな。国王陛下も、スタール侯爵も、仕置きを与えねばならんな……して、メイリンはどうした」


 近衛騎士たちはビクリと身体を震わす。


「メ、メイリン様は城を飛び出していかれました……申し訳ございません」

「ふぅ。閨教育もまだな14の子供には早すぎたか……急ぎ、辺境伯邸へ迎えにいけ」

「はっ!」


 近衛騎士達は、速やかに部屋から出ていった。


 ――せっかく私の言うことをよく聞く娘に仕立て上げたというのに。


 ギリリッと歯を食いしばる王妃。

 王妃には『守護の枝』の他に『洗脳』という、王妃へと好意を持つ相手に対して行える能力があった。けして強い力ではない。もっと強ければ、国王も側妃にべったりとはならなかっただろう。

 王妃は、まだ幼く、母を恋しがるメイリンを手懐け、自分の思うような大人しい王太子妃候補へと育ててきた。


 ――王妃である自分に対して、反抗的なことができないように。


 そして、魔法も使えないように、学ばせなかった。何かあっても、辺境伯や実母の元へと連絡などさせないために。

 まさか、連絡以前に、本人が飛び出すとは予想もしていなかった。あの大人しいメイリンが、飛び出すほどのショックを受けたということに、使えない王太子を忌々しく思う。

 王妃は再び冷たいベッドに、一人横たわる。


 ――どうせ、すぐに王宮に戻るしかないのだ。メイリンはあんな王太子でも愛しているのだから。


 そう思い、王妃は目を閉じる。


 しかし、王妃は知らなかった。

 その時、すでにメイリンが王都を飛び出していたことを。

 その報告を聞いたのは、翌朝のこと。

 王妃は激怒したが、大事にするわけにもいかず、内密に近衛騎士の一部に、メイリンの探索を命じることになる。


 しかし、その頼みとなる近衛騎士が、使えない副長とその部下たちだったのは、彼らが空手で戻ってくるまで、知ることはなかった。



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