Ep1-Ep3: 怪盗298の邂逅
「ああ、とてもきれい」
始まりは言葉からだった。
目に入ったのは、火の粉舞い散る夜空、風にたなびく髪、乳白色の肌、艶やかに揺らめく瞳。
階下に鳴り響くは、アラート音と銃声、金属のぶつかる鋭い音。
眼前に佇むは、鉄錆びたビルの屋上、不釣り合いな言葉を口にする美女。
倒錯的な美、彼女の瞳に映る憂いの情念。その姿は俺を――
「怪盗
「怪盗」と聞くと、たいていの人間は義賊を思い浮かべるらしい。
富める傲慢な者から盗み、貧しき民衆へ分け与える善き悪人。
善行によってパンも魚も平等に分配してくれる、などとキリストのような妄想をされる。
「怪盗」を名乗る俺は、その名に恥じず多くの“宝物”を盗んできた。
だがとくだん正義の鉄槌を下したかったワケじゃない、金のためでもない。顕示欲とも、まあ、多分違う。
義賊なんて思ってもらっちゃ困るね。罵倒や恨み言は茶飯事だ。善きサマリア人を振る舞うつもりはこれっぽっちもない。
盗みを働くのはいつだって、誰かの強い願いに触れたとき、願う姿に魅せられたときだった。
“彼女”と出会ったのは、ちょうど一仕事終えた夜のことだ。
酒のあては、願った者に“宝物”を届けて受け取った、満面の笑顔。
勝利の美酒に酔いしれる至高の時。
「やっぱり、何かをこい願う人間の笑顔ってのは最高の報酬だな」
俺は満足そうに呟いてグラスを傾けていた。
今晩の共は、報酬として受け取った20年物の古酒だ。
燻ったような木とコルクの臭いが漂う琥珀色の蒸留酒。悪くない。
「埃っぽい塒で古酒を呷る、いいねえ。まるでお話に出てくる怪盗サマみたいじゃないか」
可笑しいのか自嘲なのか、どっちつかずの笑い声とともに、もう一口とグラスを運ぶ。
—―直後。廃ビルに爆発音が轟いた。
「っ!」
ビル全体が振動する中、慣れた所作で瞬時に体制を整え、衝撃を逃がす。
グラスの琥珀色は不満げにからだを揺らし、俺は宥めながら収まりを待った。
「荒っぽい客人のお越しだな?
軽口を叩きながら、酒とグラスと甘いひと時を戸棚にしまい、身支度をした。
愛銃、ホルスター、手袋、マント—―仮面をかぶれば、そこにいるのは「怪盗298」。
準備ができれば、ビルの最上階であることを気にも止めず、窓を飛び越えた。
外はとっぷりと暮れた濃紺の夜空。透きとおった冬の空気は棘を落としたように柔らかく、季節の移ろいに気がついた。
俺は春の歌を口遊みながら、わけなく外壁を駆け上がり、屋上へ辿りつく。
貯水槽のへりに立ち、懐からスコープを取り出して周囲の確認を始めた。
「さて、行儀の悪いお客はどなた様かな」
視認できたのはざっと十数人、勢力は二つ。まともに正面からぶつかっているようだ。聞こえるのは銃声、剣戟、爆発音。
階下の音が上ってくる気配はなく、目当ては自分ではないらしい。
ごく普通のチャンバラだ。
この廃ビル群は一部の人種にとって立地・条件を満たした優良物件だ。俺みたいに間借りしているやつもいれば、飛びこみで一晩レンタルするやつもいる。
今夜の貸出相手は、少々元気な輩だったようだ。
「ま、レネゲイド反応も、《ワーディング》の気配もなかったしな」
ぽつりと零し、興味を失ったようにスコープを外した。
オーヴァード――レネゲイドウィルス、遺伝子を書き換えてしまう未知のウィルスに感染し、発症したものたち。
それらがレネゲイドの力を行使するときに漏れ出る気配は、感じられない。
何でそんなことが分かるのかって?
それは―—
突然、体内から膨れ上がる衝動。
《ワーディング》、先ほどまでなかったレネゲイド反応が広がる。
足元で何かが爆ぜる音がした。
「まずい!」
咄嗟に貯水槽から屋上へと飛び移る。
直後、屋上から丸い貯水槽が真っ逆さまに落下していった……階下で戦う二勢力の真上に向かって。
怒号、衝撃音。タイミングが悪かったのか、爆発物の轟音も加わる阿鼻叫喚の図。
貯水槽の水と爆発物の炎。まだ冷たさの残る空気中に、火花と水蒸気が立ち込める。
屋上には一人の女性が立っていた。
レネゲイド反応の広がる中で、無防備に立ち続けられる一般人はいない。
俺も、彼女も―—オーヴァードだ。
轟音の中で、彼女の呟いた言葉が聞こえた。
「—―ああ、とてもきれい」
“彼女”、星城天と名乗った女性は、『ファルスハーツ』の所属だと言った。
『ファルスハーツ』—―通称FHはレネゲイドウイルスに感染したオーヴァードで構成される国際テロ組織。
個々の意思で動く独立体系を取り、幾つものセルがそれぞれの目的を果たすため、世界各地で行動している。
その一人である彼女の目的は、すべての「終わり」を見届けることだという。
春の嵐とともに飛び込んできた瑠璃の瞳、静かに語る透明な声。
俺は迷わず、跪いて彼女の手を取った。
「俺は怪盗298。あなたの望むものを、必ずや盗んでみせましょう」
誓約を述べ、手の甲に口づけを捧げる。
星城天は面白そうに目を細めて、願いを口にした――。
結局のところ、盗みは失敗したと言える。C市にアウターオルト彗星を落とすまでは良かったが、彼女の望む「終わり」は手のひらから零れ落ちた。
あの街のUGNと協力者達は、なかなかに手厳しかった。
星城天とはその後も行動を共にしている。
すべての「終わり」を見たいという彼女の願いを叶えるため。そして、二人ともC市への興味が尽きないためだ。自然と足の赴く先は重なる。
今日もこうして、C市と“彼ら”を観に来ている。
「ねえ、やっぱり終わりは美しいわね」
星城天の声が聞こえ、俺は意識を眼前に戻した。
ここは、C市港湾沖の船上。
隣には帽子をかぶった星城天、海上には燃え上がる貨物船が見える。
柔らかなグラデーションを描く空に燃え立つ赤黒い焚火。
その中心へと色とりどりの救助艇が向かってくる様は、さながら海面の花火を見るようだ。
時刻は夕方。太陽は傾き、鮮やかな夕陽を投げかけている。
暮れゆく太陽と底知れない海。混ざり合う色彩に、俺は目を細めた。
大勢の人で賑わう遊園地、ライトアップされたアトラクション、夜空に輝く無数の花火。
イミテーションの中にぽつねんと在るイルミネーション。
無垢ゆえの鋭さをたずさえる光。
まだ自分の価値に気づかぬ原石—―
“彼女”に似ていると、感じた。
もう一度、星城天のためにC市で盗みを働くなら、何を盗むことになるだろうか。
その時“彼女”はどんな表情をするだろうか……。
「あなたもそう思わない?」
星城天は海の花火を見ながら、重ねて俺に話しかける。
独り言かと思っていたが、珍しく会話を求めていたようだ。
冷たさを増した秋風が吹き、また季節の移ろいに気がついた。星城天の帽子とドレスが舞い上がる。それらを手で押さえてやりながら、俺は応えた。
「ああ、美しいよ。—―君もね」
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