Ep3-Ep4: 三ケ田悠仁の報告書
――時刻は21時。
大芦商店街は殆どの店がシャッターを下ろしている。
夜の帳が下りた街は、大きな動物が東西に横たわり微睡んでいるかのようだ。
商店街の一角に構える古書店『時雨堂』も店を閉じ、暗い店内には大量の書籍と何も入っていない鳥籠が佇むのみである。
通りがかる人、近隣の鮮魚店主さえ知る由もないだろう。
この古びた店の地下には昼夜絶えず煌々と明かりが灯り、日常を守る者たちの"任務"が行われていることを。
人知れず設置された『時雨堂』地下の事務室は、丁度セクションの交代時間になった。
職員が行き交い、あちこちで引き継ぎや談笑の声が上がっている。
束の間の休息とも呼べるこのひと時にも、机に齧り付いてディスプレイと睨め合う一人の男がいた。
「うーん、こんな感じでいい……いや、良くないよな……」
少しクセのついた黒髪、大きな目を歪ませて、背中を丸め頬杖をつき、キャスター椅子を前後に揺らす。
行儀が良いとは言えない姿勢で目の前に並んだ文字の羅列を追いかける男に、他の職員が声をかけていく。
「お疲れ~。また今日も居残り?よくやるね~」
「お先に失礼します!バードランドで買ったおやつ、ココに置いておくので食べてくださいね」
「急に出動する可能性もあるんだから、あんま無理すんなよー?」
上司、後輩、同僚。
ラフなシャツを着た者、遊園地のお菓子を配るもの、スーツを着た者。
その他にも、ぼろぼろの防弾ベストをダストボックスに突っ込む者や、白衣を着たカルテを眺める者が入れ替わり立ち代わり通り過ぎる。
ここは古書店でも民間企業でも自衛隊の基地局でもない。
“レネゲイドウィルス”と呼ばれる未知のウィルスから世界を護る組織—―
『ユニバーサル・ガーディアンズ・ネットワーク』、UGNのC市支部だ。
そして、この終わりの見えない報告書を書いている男は、C市支部の工作員、所謂UGNエージェント。
その名は――
ピンポーン。
事務室天井のスピーカーから呼び出しのチャイムが鳴り、アナウンスが続く。
[三ケ田悠仁さん、三ケ田悠仁さん。至急経理部まで]
「ああー!経費書類の提出忘れてた!!」
どこか憎めないC市支部の弟分、
月末には必ず居残ることで確固たる存在感を放っております。
周囲の景色は変わる中、
私のディスプレイは真っ白け。
性は三ケ田、名を悠仁。
「三ケ田くん、なーに映画みたいなセリフ言ってんの」
「ほら、経理部怒ってましたよ。早く行って謝ったほうがいいです!」
お気に入りの映画を真似て現実逃避していた三ケ田に、同僚たちは容赦がない。
斜に構えた雨宮支部長と、遊園地運営を一手に担う双葉さんに背中を押されて、経理部に平謝りしながら経費書類を出した。
あっという間に日付が変わる時間になる。
まだ、今回の一件についての報告書は終わっていない。
FHの工作員がUGN支部の機関部に侵入、研究施設を乱用。
雨宮支部長の立ち位置の脆弱性を利用して、UGN内の分断を誘う。
果てにはUGN対ギルドの対立構造まで作り上げた。
……恐ろしかった。
信じていても、双葉さんと二人で必死に皆さんの無事を祈っていた。
雨宮支部長は元FHの人間。
その事実が覆ることはなく、実際支部長のいないところで陰口を言う同僚もいた。
すごく有能な人だったのに、いや、だからこそ“元敵対勢力の人間”という得体のしれない恐怖感を煽ってしまったのだろう。
きっと雨宮支部長も、気付いてたんじゃないかな。飄々として掴めない人だけど、見ることはきちんと見ていたはずだし。
時間をかけて繋がりを強めることでしか埋められない溝だと思っていた。
その急所を、見事に突かれた。
でも支部長は、被害を最小限にとどめて見事解決してしまった。
側にいたのはUGN支部員ではなく。
大芦湖のレネゲイドビーイング 長多津比売神さん、ギルドの粟国さん、探偵風の謎のレネゲイドビーイング オーギュストさんという協力者達だった。
雨宮支部長が無事帰ってきてくれて、支部長を疑った人達が謝罪した。
C市支部の絆は強くなった気がする。雨宮さんは責めたりしないから、皆なおさら反省しているみたいだ。
僕は、一丸となった気持ちで嬉しいけど、少し不安になっている。
雨宮支部長はC市支部じゃなくても、きっとどこでもうまくやっていけるんだ。
ここに来た時のように、軽く手を振って「世話になったね」と言葉少なに、ニヒルに笑って、双葉さんと去っていってしまう気がする。
僕は、C市の支部長は雨宮さんがいい。こき使われてる気がするし、何でそう思うのかわからないけど、この支部長の元で、このメンバーで働きたいと思うんだ。
「ほんと、何でそう思うんだろう……」
ポチポチとキーボードを叩きながら、三ケ田は呟く。
何か、雨宮支部長に興味を持ったきっかけがあったはずなんだよな――
耳鳴りがする。
フラッシュバック。
ガレキに包まれた景色、広がる赤黒い液体、泣いている少年、黒い空から降る雨
少年に手を差し伸べる誰か――
空調の音が鼓膜に届く。
定まらなかった視点がディスプレイに戻る。
キーボードを押す指が止まっている。
動悸は、すこし早い。
「似ているのかな。僕を助けてくれた人に」
ぽつりと、独り言をこぼした。
自分でさえ曖昧な記憶、“覚醒”時の情景。
記録には多くを残していない、誰にも話したことのない、鉄のにおいが漂う思い出。
過去に蓋をするように目の周囲をぐりぐりとマッサージした。
「まさかね!」と空元気に笑う。
まだ、ディスプレイには空白が目立つ。
――時刻は6時。空は朧げに色を変え、ゆっくりと朝の幕が上げられていく。
大芦商店街もその巨体を揺らして目を覚ます。
開店準備を始めたご近所さんを横目に、『時雨堂』から疲れ切った三ケ田が出てきてうーんと背を伸ばした。
自転車のベルの音、掃き掃除を始める老婆、隣合う店主同士の挨拶、登校を始めた小学生が交わすおはようの言葉。
それら大芦商店街のいつもの風景を見やった後、肩を鳴らしてヨシ!と一つ喝を入れ、彼はやっと帰路につく。
三ケ田は、世界を護るというUGNの標語には、何となく想像ができないでいる。ただ、目の前に広がる大芦商店街の景色を失いたくないだけ。
三ケ田にとって、この景色こそが何よりも「日常」を感じるものだからだ。
「今月も、お疲れさまでした!」
誰にでもなく労いの言葉をかけると何だか可笑しくなって、ニコニコしてしまう。野良猫がそんな三ケ田をいぶかしげに一瞥する。
レネゲイド能力に特化しているわけではない。
作戦の前線に立っても芳しい成績をあげることはない。
何かとトラブルを持ち込みやすい。
書類上では散々な評価の男。
それでも支部の同僚、一度彼と窮地を乗り切った者であれば知っている。
彼が世界を護る
そして「どんな状況でも味方でいる」ことが、いかに心強く、頼りになるかを。
秋晴れの空の下、三ケ田はお気に入りの映画のBGMを聞きながら、仁義切りの真似事をして歩いていく。
生まれも育ちも島国日本、今住まいますはC市に御座います。
不思議な縁あり、曲者ぞろいのこちらの支部で、
今ある景色を護るため、粉骨砕身鋭意努める次第であります。
……でも、たまには、定時で帰りたい。
性は三ケ田、名を悠仁。
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