Cox note

みぎひだり

船乗りの手記

Ep2-Ep3: 山上吾郎の憂鬱


 —9月。

 うだる暑さは小さな台風にあっけなく流された。幾分穏やかになった日差しと、少し冷えた風が体を通り抜ける。


 大芦おおあし神社の神主である山上吾郎やまがみごろうは、箒を片手に参道を登りながら物思いにふけっていた。

 心配性の彼が今気にしていることは、増えてきた落ち葉でも荒ぶる神様の気まぐれでもない。

 可愛い孫娘、七虹ななこのことだ。


 夏祭りが終わった後、何かと手伝ってくれた息子夫婦と七虹を大芦水族館に連れて行った。

 人気者ペンギンのピールが元気になったと聞いて、七虹はとても喜んだ。ショーを楽しんだ彼女は、小遣いをねだって似ているんだかわからないペンギンのぬいぐるみを買っていた。

 それからは寝る時も出掛ける時も、片手にペンギンを抱え歩いていた。お陰で噂好きな商店街の人々にすぐ顔と名前を覚えられたようだ。


 鏡やガラスに映る自分とペンギンを見てニコニコする七虹を見ると、自然と周囲の人間も笑顔になる。

 人懐っこくて表情豊かな七虹は、その名の通り周囲に彩りをもたらすのだ。


 夏休みが終わる前に二人で買い物に出かけた時、七虹はいつものようにぬいぐるみを撫でながら話しかけてきた。


「あーあ、学校始まっちゃう。おじいちゃん、また冬休みに遊びに来るね!」


「ああ、またいつでもおいで。お姫様にも挨拶はしたかい?」


「うん、でもまたお昼寝していたみたい。ご挨拶したくて起こそうとしたけどだめだったわ。」


「寝ていたお姫様を起こそうとした……?大丈夫だったのかい?」


「ううん、寝ぼけてたのかな?手を食べられそうになっちゃった」


「ええ!?七虹、手は大丈夫なのかい!?」


 吾郎は慌てて握っていた孫の手を凝視する。見たところは、何ともないようだ。


「大丈夫!甘噛みっていうのかな?うちで飼ってるタロウみたいだったよ」


「こ、こら!お姫様の所作を飼い犬に例えるんじゃない!」


 昼間の商店街に少し大きな声が響いた。

 はっと我に戻った吾郎は周りを恐る恐る伺う。気にしている“人間”はいなさそうだ。


「ごめんなさい。だって、お姫様とお話したかったの!強くは揺らしてないよ?」


 そう言って舌を出して笑う七虹に、吾郎は一瞬戸惑った。


 無邪気さ、そして最後には許されるのだと理解している狡さが混じった笑顔。

 今夏の初めには、このような悪びた表情を見せることはなかったように思う。

 思いがけず成長した孫娘の表情に動揺しながら、一つ大きなため息をついた。


「わかった、ご挨拶したかったのだね……。

 でも次は気を付けるんだよ。神様の怒りをかってしまうと、大変なことになってしまうんだから」


「うん!お巫女さんをしながら、伝説たくさん聞いたの。

 神様って強くて格好いいのね!絵もキラキラしていてすごくきれいだった!」


 年相応の素直な言葉に少し安堵し、吾郎も笑って応えた。


「そうだろう。お姫様は強大な神様だし、ちゃんと敬わなければいけないよ」


「はーい。次に会えるのは冬かな?

 ね、おじいちゃん。大晦日もお手伝いに呼んでくれるんでしょう?」


「お前のお父さん達には来てもらおうと思っているけど、七虹はどうかな。

 冬の大芦神社は寒いけれど、おじいちゃんたちは薄着で頑張らなくちゃいけない。それに夏よりもずっと忙しくなるぞ?」


「平気だよ!賑やかなの楽しそう。

 それに寒くなったらお姫様にくっつかせてもらうから大丈夫!」


「こ、こら!七虹、さっきの話を聞いてなかったのか!?」


 吾郎が焦り声を上げれば、七虹は楽しそうに笑い声を転がしながらスキップし始めた。


(天真爛漫というか……まったく、誰に似たんだか。)


 二つ目のため息をついた吾郎の脳裏に、7年前の記憶が蘇ってきた。



 —7年前の7月16日。長びいた梅雨が終わった夏日に、息子から連絡が届いた。

 待望の初孫は、女の子だった。


 見舞いにお祝いにと病院に駆けつければ、父親になった息子と頑張ってくれた嫁が赤ん坊の名前を命名紙に書いていたところだった。


「七虹って名前にしたんだ。"七色の虹"で、ななこ。

 父さんが5、俺が6なら、その子供はやっぱり7じゃなくちゃね!生まれた日も716でナナイロ。ぴったりのいい名前だろ?」


大芦湖おおあしこの神様は虹色の龍だったという伝説があると聞きました。

 神様から虹の字をいただきますし、きっと美人になりますよ」


 そう幸せそうに笑った息子夫婦と、新生児室の前に立つ。『山上 七虹ななこ』と書かれたベッドに、おくるみを来てすうすうと寝ている赤ん坊がいた。

 さぞお転婆になりそうだから他の名前にしたほうがいい……とは、思っていても言えなかった。



 長多津比売神ながたつひめのかみ様。

 最近は人の知り合いと過ごすこともあってか、珍しい表情を拝見することが増えた。しかし、歴史書をめくれば荒く激しい伝承が飛び交う。


 虹竜の名を冠しながらも荒ぶると山野を焼き人を喰った、湖底の主。何度討たれようとこの世に現れた不滅の荒神。

 気高く恐ろしい、だからこそ誰よりも近くで仕えるべき我々の神様。


 そういえば、そろそろ宝物殿の片付けをしなければいけない頃だ。

 あの弓矢の手入れも欠かせない。傷がついたり、万が一壊れることがあっては一大事だ……。


 ぼんやり考え歩きをしていると、七虹が側からいなくなっていた。

 慌てて周囲を見やると、道向かいで一人の男の子と話している。夏祭りに来ていた、年近い少年だ。確か陸野鳥人りくのとりひとくんと言ったか。


 色素の薄い毛髪と白い肌にグレーの瞳。アメリカ生まれと聞いたが、流暢な日本語を話す少年だ。

 七虹が「C市で見つけた友達なのに、中々遊べない」と嘆いていた。この千載一遇のチャンスを逃すまいと、遊びに誘って困らせているらしい。


 神様の恩恵か元来の素質か、七虹は赤ん坊のころからよく動く。

 寝返りもハイハイも立ち歩きも、同年代の子よりずっと早かった。

 得意科目は体育、夏祭りの神楽もすぐに覚えてしまう。太刀を使う神楽も教わりたいと、キラキラした目で話していた。


 男の子並みに腕力も胆力も強い。その証拠に、眼前の少年は引っ張られていった……。



 —その後、七虹と鳥人くんを追いかけて門限の約束をし、両親にも連絡を入れた。翌日聞くと、遊び疲れて眠った七虹を鳥人くんが背負って届けてくれたそうだ。


 七虹は彩りをもたらす。

 しかし、虹がもらたすものは彩りだけだろうか?

 天にかかる虹は掴むことも追いつくこともできない。

 人は虹に魅了されるが、手に入れようとした者の伝説を紐解くと、大抵ろくなことになっていない。

 あの子も、望むと望まざるに関わらず、虹のような美しさと無邪気さで人を魅了して、振り回してしまうのではないだろうか。

 我々の神様のように——。



 一瞬強く吹いた秋風に、吾郎の考え事は遮られた。気づけば参道をほぼ登りきり、透き通るカルデラ湖が見えて来ている。


 湖面には、淡色の着物をはためかせて梟と追いかけっこをする長多津比売神の姿があった。当番の巫女たちが岸辺で心配そうに歩き回っている。

 吾郎は箒を片手にまたため息をついて、無言で息子夫婦に詫びを言う。



——お姫様にあやかる名前を付けたのは、やはり間違いだったかもしれない。




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