第31話「狂っているのは」
笑い声が止み、大きく肩で息をする立花莉緒の息遣いだけが部屋の中に響く。
「……もう、いい?」
私はまた喋られると面倒なので、蹴りでも入れて黙らせようと近づいた。
「えっ?えっ……」
立花莉緒に駆け寄ったそいつは、混乱しているように私とそれを交互に見た。
「邪魔っ……」
「きゃっ……!」
肩を掴んでそいつを退けて、立花莉緒の腹に蹴りを入れた。
「がっ……!ごほっ……、ごほっ……!」
それが苦しそうに顔を歪めたので、少しだけ私の気持ちがスッとする。
でも、まだまだ足りない……。
私はまた足を振り上げた。
「はぁっ、はははっ……、そんなので、いいの?」
その言葉を無視して、振り抜いた。
すると、再び咳込んで苦しむ立花莉緒。
だが、さっきよりも早く回復したようで、それは言った。
「……こんな、蹴りじゃあ、何発でも一緒よ?……これ、使ったら?」
「……?」
そう言って、立花莉緒は私の方に何か滑らせた。
当てずっぽうで投げたのだろうそれを、私は足で止める。
「!?これ……」
「そっちの、方が……、手っ取り早いでしょ?」
立花莉緒が寄越したのは、全体で30cmくらいの鞘に入った小型のナイフだった。
「……」
私は黙ってそれを拾い上げて、見つめる。
なんで、こいつはこんなモノ、私に渡したのだろう?
……消しやすくなるだけなのに。
「さ、紗奈!?そんなの使っちゃダメだよ!」
外野かうるさいが私はそれを抜き、立花莉緒に近づく。
……その余裕そうな笑みが、気に入らない。
私は刃の部分を、立花の首に当てた。
「……こんなモノ渡して、どういうつもり?」
そいつは、その一言に目は閉じたままニヤリと笑った。
「……催涙スプレーなんて可愛いもの使ってるから、つい助けてあげたくなっちゃったのよ」
「そう、……それで死んでも恨まないでね」
「えぇ。出来るなら、ね」
この期に及んで私を挑発する立花莉緒。
いいだろう、だったら死んでから後悔したらいい。
私はナイフを握る手に、力を込めようとして……
「くっ……!」
出来なかった。
それどころか、手が小さく震え出す。
(翔太くん!力を貸してっ!!)
私は立花莉緒の目が見えていないからと、必死に彼の姿を思い浮かべて自分を鼓舞した。
けれど、彼の顔は笑っていなくて……。
それどころか、図書館での悲しそうに私を止める翔太くんばかりが思い出される。
「……どうしたの?まだかしら」
しばらく、私が自分と
「どうせやるなら、人思いにやって欲しいわ。目が見えてないのに待たされるのって、怖いのよ?」
全く恐怖を感じている様子など無いくせに、下手な演技をする立花莉緒。
そんなそいつに、私は言った。
「……二度と翔太くんに近づかないなら、生かしてやる」
「……あっははははははははははははははっ!!」
再び大きな笑い声を上げたそいつに、背筋が凍る。
そいつは本当に愉快そうに『あー、苦しい』と息を整えるのも必死な様子だった。
私はそれが収まるまで呆然として、それから怒鳴りつける。
「何度も、何がおかしいっ!!」
「……わからないの?」
「っ!だから、何がっ!」
不憫なモノを見るような雰囲気で、『ふふっ』とそいつが小さく笑った後、言った。
「決まってるでしょ?出来もしないのに、虚勢を張るあなたが、おかしくてしょうがないのよ」
「っ!もう死ねっ!!」
「つっ!」
私は、勢いに任せてナイフを引いた。
けれど……
「……ね?出来ないでしょ?」
首に一筋の切り傷を作り、笑いを噛み殺すように声を震わせる。
「うるさいっ!!」
私はナイフを放って、その細い首に手を掛けた。
「かわいそうに、震えてるじゃない……。力も入ってないわ」
「うるさいっ!」
「……茜から、話を聞いた時からおかしいと思ってたの」
「うるさいっ!」
「あの時は、九重くんなら止めてくれるものね?」
「うるさいっ!」
「その後、私を放置したのも忙しかったから、だけじゃないわよね?」
「うるさいっ!」
立花莉緒は私の腕を伝い、頬に触れて言った。
まだ痛みはあるはずなのに、目も開けられていないのに、恐ろしいほど穏やかに微笑んで……。
「あなたが動かなかったから、私はゆっくり今日の為に準備できたわ。ありがとう」
「うるさいって言ってるでしょっ!?」
私は堪らず、拳でこいつの頬を打った。
けど、わかってる。
その程度で、こいつの笑みを消すとことなど出来ないことは…。
視力を奪い、マウントを取って、武器も取りには行けない。
それなのに、私はどうやったらこいつに勝てるのかわからなくなってしまった。
そう思うと、私はこいつが怖かった。
そんな私の心を見透かしたように、こいつは私の手を掴んで、なおも笑う。
「ひっ……」
「……ほらっ、九重くんの為ならなんでも出来るんじゃないの?」
「くっ、離せっ……!」
「……私なら、出来るわよ?」
「……っ!?」
立花莉緒の、迫力に押される。
確かに、こいつなら出来るのだろうなと、思ってしまった。
(翔太くんの為に……こいつに出来て、私には出来ない……?)
私はもう、頭が真っ白になっていた。
ただ目の前のこいつが、恐ろしくて仕方がなかった。
「くそっ……!」
「ぐぅっ!?」
なんとか、手を振り払うのと同時に蹴りを入れて、立花莉緒の手が離れる。
私はその隙に、窓際まで距離を取った。
しばらくして、立花莉緒は目を閉じたまま立ち上がる。
(効いてるはずなのに、なんで!?)
私はすでに、瞳に涙が溜まっていた。
「……もう、わかったでしょ?」
「……」
私は答えられない。
「あなたより、私の方がずっと九重くんを……、彼を愛してる。あなたに出来ない事も、私なら出来る。……だから、私達の前から消えなさい?」
「……いっ、イヤよっ!!」
私が何とかそう絞り出すと、立花莉緒は大きく溜息を吐き出した。
「さっきあなたも一度、聞いてくれたから、そのお返しにと思ったけど……。やっぱり言葉じゃダメね」
『もういいわ。入ってきて』と立花莉緒がそう言うと、教室内にぞろぞろとガラの悪そうな男子生徒が入って来て……。
「えぇっ!?マジで紗奈ちゃん?」
「やっべ!めっちゃ可愛くなってんじゃん!」
「俺、これなら全然犯れるわっ!」
(……なんで、あなた達がっ!?)
さらに震える私の疑問が、言葉になることはなかった。
「はぁっ……、はぁっ……」
櫻江を探して、アテもなく校内を走り回る。
体育館まで来て、俺は櫻江がいない事を確認し、スマホを開くが菊池達からの連絡はなかった。
「くそっ……!」
櫻江がいなくなった事に気付いてから、菊池に山本に連絡するように頼み、そこから合流できたという連絡は来たものの、進展がない。
(櫻江っ!どこに行ったんだ……!?)
焦りばかりが積もる状況の中、あと探していない校舎に向かって足を動かす。
その校舎の入口で、妙な2人組と鉢合わせる。
俺は向こうが気付いていないうちに、さっさと抜けようとしたが、上手くいかなかった。
「ちょちょっ!待てよ!九重っ!」
その内の1人が、俺の前に立ちはだかって止めた。
「……なんだよ。急いでるんだ」
俺の睨みに、ニヤニヤとした笑みを作ってもう1人が俺の肩に手を置く。
「そう焦んなって。……櫻江ちゃん、探してるんだろ?」
「っ!?」
よく見ると、こいつらは山本のグループの……俺が立花に告白する所を笑った奴等だった。
俺はカッと頭に血が昇って、そいつの胸倉を掴む。
「……ってぇな!」
「櫻江が何処にいるか知ってるんだな?教えろ!」
「おーちつけって!」
最初、俺を通せんぼした奴が、ふざけた様子で俺の頭を叩いた。
「俺達の役目は、お前をそこに連れて行く事なんだよ」
「……なに?」
意外な解答に、俺が胸倉を掴んでいた手が緩まると、俺の手を振り払って言った。
「……信用するかは、好きにしろよ。でも、手掛かりもないんだろ?」
「そうそう、大人しく付いて来いって。……あぁ、応援を呼ばれると厄介だから、スマホは預からせろよ」
「……」
俺は数瞬だけ、考えて言った。
「……スマホは、この画面にしておく。お前らが違うところに連れて行ったら、即応援を呼ぶからな」
俺は、菊池の連絡先を開いて通話ボタンだけ押せば繋がる画面を見せた。
それに、そいつらはアッサリと了承する。
「……あぁ、着くまで連絡しないってんなら、それでいい」
「交渉成立っ!付いて来い」
「……」
俺は黙って、櫻江の無事を祈りながらそいつらの後に続いた。
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