第29話「あっという間に」
「それじゃ、翔太くん。行こっか?」
「あぁ」
朝に朝礼のような簡単な打ち合わせをして、朝一からシフトのメンバー以外は解放される。
それと同時に、櫻江は俺を見上げてそう誘った。
それに同意して、俺達は教室を出る。
「どこから行こう?まだお腹は空いてないよね」
「そうだな……」
俺は生徒全員と来場者に配られる、リーフレットを開いた。
それを櫻江が横から覗き込む。
「……自分のがあるだろ」
「教室に忘れて来ちゃったの。一緒に見せて?」
「……」
そう言った櫻江に
仕方なく、俺は櫻江が見やすいように黙ってリーフレットを傾けた。
すると『ありがとう』と小さくお礼を言って、櫻江がそれを見つめる。
「あっ、これなら今からちょうど良さそう……」
しばらく眺めた後、そう言って櫻江が急に顔を上げたので、バッチリ俺と目が合ってしまう。
俺は慌てて、誤魔化すように視線を逸らした。
「……翔太くん、リーフレットじゃなくて私を見てなかった?」
「気のせいだ。それよりどれだ?」
いつもより意地の悪い笑みを浮かべた櫻江を、冷静を装ってあしらう。
櫻江はあえて俺に突っ込まない選択を取ったようで、目を細めて微笑みながら、再び1つの出し物を指差した。
『恋がもし盲目なら、恋の矢はいつも外れるはず……』
櫻江と体育館に足を運んで、並んで座って演劇を見る。
櫻江は視線は前に向けたまま、ギュッと俺の手を握っていた。
……俺はそのせいで集中出来ないのだが。
暗闇だからバレないと思っているのか、櫻江の行動には遠慮がない。
櫻江はロマンチックな場面になると、そっと俺の肩に頭を預けた。
「……おい」
小声で櫻江を注意したが、集中しているのかワザと気付かないフリをしているのか、櫻江の視線が動くことはない。
俺は無理に距離を取ることも出来ず、固まったまま早く終わる事を願った。
「劇、面白かったね」
「……」
満足そうに微笑む櫻江を、恨みがましく見つめる。
櫻江はなんの事だか、わかっていないように小首を傾げた。
「どうかした?」
ワザとじゃないだろうな、と思いつつも楽しそうな櫻江の空気に水を差すのもどうかと考えて、小さく溜息を吐いた。
「……いや、なんでもない。結構時間を使ったから、軽く何か食べよう」
「うん、そうだね」
再び俺がリーフレットを開くと、櫻江もさっきと同じように覗き込む。
俺はもう言っても無駄な事はわかっているので、大人しく受け入れた。
「うーん、お昼のシフトの前に少しは食べときたいけど、翔太くん甘いものじゃ足りないよね?」
「そうだな……、これなら食べられるか?」
「はい、どうぞー」
「ありがとうございます」
2年生の先輩が愛想良く手渡してくれたモノを、会釈して受け取る。
俺はそれを少し後ろにいた櫻江の方まで持って行った。
「ほら、櫻江の分」
「……うん」
櫻江は俺が差し出した『唐揚げ串』を、複雑そうな表情で受け取った。
俺はそれを不思議に思いながらも、自分の分に
「うん、美味いぞ。ちょうど揚げたてだったみたいだから、櫻江も食べてみろよ」
口の中に広がる肉汁に、ホクホクしながらそう勧めるが、櫻江は口にしようとしない。
「……どうした?」
俺の質問に、櫻江は懇願するような目で聞いた。
「……どっちが美味しい?」
「え……?」
どっちが、というのはアレだろうか……。
もしかして、自分の作ったモノより美味しかったらどうしよう的な感じか?
心配そうにじっと俺を見つめる櫻江に、笑いながら言った。
「それは櫻江の方が美味いだろ」
「え……?」
今度は櫻江が、アッサリと答える俺に拍子抜けしたような表情をした。
「たぶん、櫻江が作ってくれた唐揚げの方が手間がかかってた。料理はよく分からないけど、味がしっかりしてたっていうか……」
「わ、わかったから、……やめて」
俺の素直な感想を、櫻江は恥ずかしそうに止めた。
櫻江は一度、大きく息を吐き出すと、吹っ切れたような顔で言った。
「……手間じゃなくて、隠し味のおかげかな」
「隠し味?」
俺がそう問い返すと、櫻江は微笑んで俺の耳に顔を寄せて
「……いっぱい愛情入れたから、だよ」
「……!」
それだけ言って、櫻江はパッと顔を離す。
俺の視線から逃れるように背を向けた櫻江は、耳が真っ赤になっているのがわかった。
それから、元に戻った櫻江が俺に食べさせようとして一悶着あったり……
「いらっしゃいませ」
「お待たせしました、どうぞ!」
昼のシフトで忙しく動き回ったり……
「翔太くん、私達の相性すっごく良いんだって!」
「……占いはあんまり信じないって、言っただろ」
また隙間時間に櫻江と色んな出し物を回ったり……
そうこうしていると、あっと言う間に時間は過ぎて、俺は智樹から連絡がない事や立花の動きに警戒する気持ちはすっかり薄れていた。
このまま何事もなく1日が終わり、山本の勘違いだったという結末を期待し出した頃に、それは起こった。
「……九重、ちょっといいか?」
「どうしたんだ?」
閉店間際の客もまばらになった時間、深刻そうな顔をした実行委員に呼ばれてそっちへ行く。
クラスの連中もほとんどが戻って来ていて、櫻江も今は友達と話している。
——もう何もないだろうと、俺は櫻江から目を離した。
「……すまん、これを一緒に確認して欲しいんだ」
こそこそと実行委員が持って来たのは、学校から貸してもらっている小型の金庫。
俺はそれを見て一気に寒気立つ。
「……足りないのか?」
「……」
血の気の失せた顔で、頷く実行委員。
俺は売上を記入した紙と、材料を買った時の領収書を受け取り、残高と照らし合わせていく。
一度、二度と回数を重ねるが、結果は同じ……
「……どうだ?」
その様子からして、もう、わかっているのだろうに……。
「……足りないな、1万」
「……」
額の大きさから、売上の記入ミスではない。
かといって、こんな金額のものを買って領収書を渡し忘れることなんてのも考えにくい。
俺は頭を
「ともかく、全員集まったら聞いてみるしかない。領収書の渡し忘れがないか、イタズラで売上の表に記入したとか……」
「……そんなこと、あり得るのかよ!」
不安が爆発したのか、実行委員の声が響き渡る。
それに賑やかだったクラスが静まり、こっちに注目が集まった。
幸い、いつの間にか客はいなくなっている。
俺は『落ち着け』と実行委員の肩を叩いて、みんなに言った。
「ちょっと、トラブルだ。全員がいたら話したいんだが、揃ってるか?」
俺がそう言うと、それぞれが顔を見合わせる。
いない人間は返事はできないか、と俺も焦りを感じながら、人数を数えていると……。
「九重くん。さっき紗奈と茜が出ていったよ?」
俺はその声に、目を見開いてクラスを見渡す。
——そこに櫻江の姿は、どこにもなかった。
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