第19話「変化」


新学期がはじまり、久しぶりの学校生活に浮ついていた空気も落ち着いてきた教室。


1ヶ月以上の休みを終えた後の、何とも言えない違和感も薄れつつある。





「おはよう!翔太くん」



「……あぁ、おはよう」



俺の中での大きな変化の一つ。

櫻江が毎朝、俺のところに挨拶をしに来るのは今日も継続された。



「今日から図書当番だよ。遅れないで来てね?」



それでいつもよりちょっとだけテンションが高いのか、と納得する。



「そうだったな。……わかった、ちゃんと行くよ」



そう答えると、櫻江の笑みが一層深くなる。



「うん、楽しみにしておくね」


「……あぁ」



何を、とはもう言わない。

俺との時間が楽しみで仕方ないのだろう。


俺の返事に満足げに頷いて、櫻江は自分の席に荷物を置きに離れた。

すると、すぐに櫻江の周りには人が集まる。



「紗奈、おはよー!」


「櫻江、今日は早いじゃん」


「おはよう。いつもこれくらいだよ?」




櫻江を囲む輪の中、そこに小林の姿はない。

小林はというと、櫻江とそんなに離れていない席に1人で座りスマホを触っているのが見えた。




(……あんな事があって、全部元通りとはいかないか)




その事に少しだけ罪悪感を感じていると、俺の背中がトントンと叩かれる。





「朝からお盛んだな」



後ろの席の男子、新しく出来た友人(?)の菊池きくち が、いつもの調子で俺をからかった。

こいつは夏休みの宿題を見せてやってから、よく話しかけて来るようになり、口数の少ない奴なのに俺にだけこういった冗談を言ってくる。



「……そんなんじゃないって、何回も言ってるだろ」


「そうは見えないから、何回も言ってる」



菊池の表情はあまり変わらないが、何故か呆れられたようなニュアンスを感じた。



「あのな……、櫻江は誰に対してもああいう態度だろ。別に、俺だけが特別な訳じゃない」


「……なに?九重がそこまで鈍感には見えないが」



思いっきりはぐらかしたが、菊池はあっさりとそれを看破した様子でそう言った。

変によく他人ひとを見ている菊池に、『面倒くさい』と率直に思うと、菊池はそんな俺を見て少しだけ表情を緩めた。



「お前は、顔に出やすすぎだ」



俺はそれにしかめっ面で返す。



「菊池の前だと、誰でもこんな顔になるよ」



それに菊池はさらに悪人面あくにんづらをして、ニヤリと笑う。

……ただでさえゴツい体に強面こわおもてなのに、子供なら泣くぞ。



「……やっぱりお前は、面白いな」



櫻江と話す事によって、やっかみを受ける事はあるかと思っていた。

けれど、その方がマシだったかも知れないと考えてしまうほど、本当に面倒臭いやつに好かれたものだと俺は溜息を吐いた。










「待ってたよ、翔太くん」



図書室に着くと、櫻江が満面の笑みで俺を迎える。



「……早すぎるだろ。ちゃんと飯食ったのか?」



俺も当番があるので、誰かと話したりせずに昼食を終えて来たのだが、すでに櫻江は席に座っていた。



「うん、ちゃんと食べたよ。安心して?」



俺が心配するような些細な言葉を口にすると、櫻江は嬉しそうに返してくる。



「……そうかよ」



俺は全く気にしてない風に装って、櫻江の隣に座って本を広げた。

それを、櫻江は『待って』と止める。



「……今日は、お話したいな」


「……」




——最近、後ろの席の奴がうるさくてあまり本を読めていないんだ。



一瞬そんな言い訳が頭をよぎったが、俺は期待に瞳を輝かせる櫻江と目が合ってしまい、観念して本を閉じる。



「……そうだな」


「ありがとう!」


「いや……」



お礼を言う櫻江に、いらないと言う意味で首を振ったが、櫻江には伝わらなかったみたいで首を傾げた。



「久しぶりの図書当番だからな。……ちょっとくらい、相手するよ」



相変わらず『俺も櫻江と話したい』とは言えない俺を、それを聞いて櫻江はわかっているように微笑んで見つめてきたので、俺は形だけの嫌そうな表情を作った。











「……だから、結構簡単なんだよ?」


「そうなのか」



夏休みの最後の方で櫻江が作りに来てくれた、サバの味噌煮の解説を受ける。


手間のかかる料理だと思っていたが、櫻江いわく簡単だったから大丈夫とのことだ。



「翔太くん、次に食べたいのない?よかったら、今度のお休みでも作りに行くよ」



……この調子だと、許すと本気で毎週末は俺の家に来そうな勢いだ。



「今はすぐに思いつかないし、まだこの間来たばっかりだろ。今週は大丈夫だ」


「遠慮しないでいいのに……。先週も同じ事言ってたよ?」


「……」



今は新学期がはじまって1週間程、すぐの週末のお誘いを断った事をまだ根に持っているようで、櫻江は少しむくれた。




そう言われても、仕方ないだろ。

櫻江は料理も上手いし、甲斐甲斐しく世話を焼く。

それを本当に嬉しそうにやられるから、気を抜くと自分の気持ちが決まらぬまま、流されてしまいそうになるんだ。


……そんな事を櫻江に言うと、さらに押してきそうなので言わないが。



「……遠慮はするだろ。そもそも、俺の家までどれくらい時間掛かってるんだ?」



今更だとは思うが、櫻江に尋ねる。

それに少し考えた後、櫻江は答えた。



「1時間ちょっと、かなぁ……」


「……本当は?」



櫻江が俺に対する手間を素直に答えるとは思っていないので、カマをかけてみる。

すると櫻江は観念したように誤魔化し笑いを浮かべて、言い直した。



「……2時間は掛かってないよ?」



つまり、2時間くらい掛けて家に来てるのか……。



「……しばらくは大丈夫だ」


「そう言うと思ったもん!」


「当たり前だ。移動にそんなに掛かるのに、そう何度も気軽に呼べるか」



俺の返答に、櫻江はさらに拗ねた様子で唇を尖らせた。



「……だって翔太くん、外では会ってくれないでしょ?」


「それは……」



一瞬、映画を観に行くのを断った時の事を思い出す。

まさか、まだそれを引きずっていて外で会うのは避けてくれていたとか……?




俺は自分に考えすぎだと、軽く頭を振って気持ちを切り替えた。



「何にせよ、もう少し櫻江の負担にならないように考えてくれ」


「……私は翔太くんの事、負担に思ったりしないよ」


「……」



何とも答えにくい櫻江の返答に、会話が止まる。

その間に1人、本の貸し出しの処理をして離れていくと、櫻江が顔を上げた。





「……お家じゃなかったら、いいんだよね?」





「どういうことだ?」



櫻江を見ると、『いい事思いついた!』と顔に書いてあった。



「だったら私、翔太くんにお弁当作ってあげる!」














「……はぁっ」



帰りの準備をしながら、ついため息を漏らす。

結局、あのまま櫻江に押し切られてしまい、週一回図書当番以外で会う日は櫻江が弁当を作って来て一緒に食べる事になった。


しかも、その一回を今週はまだ使っていないので明日早速作ってくるとのことだ。



俺は櫻江のいいように動かされているのでは、というように考えてしまい、ちょっとだけ憂鬱な気分になった。



……いや、まぁ嬉しくないわけではないのだが。




そんな事を考えながら教室を出てしばらく歩くと、とある人物が俺を呼び止める。



「……九重くん、待って」



俺がその声に振り返ると、意外な人物が立っていた。





「高木か……。どうしたんだ?」



そう聞くと、高木はやや緊張した面持ちで俺に言った。



「ごめん。ちょっとだけ話したい事があるんだけど、いい?」



櫻江がクラスメイトに囲まれている間に抜けて来たのであろう事を考えると、俺は嫌な予感を覚えずにはいられなかった。

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