第16話「心の傷」


「……いただきます」


「はい、どうぞ。召し上がれ」



櫻江が作ってくれたチャーハンを前に、手を合わせる。

櫻江の料理のウデは上がっているのか、随分と短時間でサッと準備してくれた。

……前回でもう把握したのか、調理器具や食器、調味料の場所をソファで待つ俺に確認することも一度もなかった。



前と同じように、櫻江は俺の一口目をジッと見つめている。

しかし、今回は自信がありそうでニコニコと微笑んでいた。




「……うまい」




これ以外の感想が、思い付かない。

作ってくれた櫻江に、せめてもっと気の利いた感想を言えればよかったのだが、俺はこういうのが苦手なのだ。


けれど、櫻江はそれを全く気にしていない様子で言った。



「ふふっ、ありがとう」


「……お礼を言うのはこっちだろ」



櫻江は『ううん』と首を横に振る。



「お料理を褒めてもらったんだもん。やっぱり私の方が、ありがとうだよ。……それに、翔太くんに褒めてもらうのが、私は何より嬉しいから」



櫻江にふざけている様子はない。

心から、櫻江はそう言っていると思う。



「……そうかよ」


「うん。それじゃ、私もいただきます」



櫻江も自分の分を口に運び『うん、上手に出来てよかった』と、満足そうに笑う。




「櫻江……」


「ん?」



二口目を口に入れたまま、櫻江は首を傾げた。

俺はチャーハンに視線を落としたままで、お礼を言う。



「このチャーハン、美味いよ。……ありがとう」


「んふっ……!けほっ、けほっ……」


「櫻江、大丈夫か!?」



むせた櫻江に麦茶を手渡すと、それを受け取って喉を鳴らしながら流し込んだ。



「も、もう大丈夫……」


「……そうか」



櫻江が手で口元を隠しながら、言った。



「翔太くんが急に嬉しいこと言うから、ビックリしちゃって。ごめんね、見苦しいところ見せて……」



とことん俺本位な櫻江に、少し呆れる。

それからたまに櫻江が俺を見ていたが、特に何かを言うことなく静かに食事を終えた。








「……これで最後だ」


「うん、ありがとう」



食後、俺が洗い物をして櫻江がそれを拭いていった。

片付けが終わると俺はアイスコーヒーと、櫻江の分の麦茶を入れ直して席に着こうとする。



「……ねぇ、翔太くん」


「なんだ?」


「ソファで続き、聞いてもいい?」



櫻江はそっちの方を指差して言った。



「?別に、構わないぞ」



特に場所を変える事に疑問を抱かなかった俺は、それに了承する。

それに櫻江は『ありがとう』とお礼を言うと、先にソファに向かった。




「翔太くん、こっちだよ?」


「は?」



櫻江の分をテーブルに置いて俺は向かいに座ろうとすると、櫻江が自分の隣をポンポンと叩いて俺に勧めた。



「向かいに座った方が、話しやすいだろ」


「でも、それじゃ目線が合わないよ……」



確かに、俺は床にクッションを置いて座るので櫻江を見上げて話す事にはなるが……。



「ほらっ。ソファで話そうって言ったら、翔太くん構わないって言ったよね?」


「あのな……」



俺はさらに何か言おうとしたが、やめた。

たぶん無駄だろうから。


俺は短く溜息を吐いて、櫻江の隣に座る。




「ふふふっ。」


「……ちょっとは離れろよ。話しにくい」



俺が隣に座ると、いつものように櫻江はピッタリ距離を詰めてきた。

ただ今回は、素直にスッと少しだけ離れて身体ごと視線をこっちに向ける。



「これなら、いい?」


「……聞きやすいようにしてくれ」



身体は触れていないものの、さっき話していた時よりずっと近くで俺を見上げる櫻江が気にはなるが、そのまま俺は続きをはじめる事にした。










俺は頭痛が治っているのを確認するように、額に手を当てる。



「……大丈夫?」


「あぁ。特に痛みはないから、もう大丈夫そうだ」



すぐに心配するように声を掛けてきた櫻江に、問題ない事を伝えて続きを思い出す。



「……立花を好きになってからの、話だったな。智樹にはその事は相談してたし、智樹は俺が立花のグループの奴にちょっかい掛けられてるのも知ってた。基本的に俺が智樹といる時は、あいつらも手を出して来なかったから、なるべく自然に俺と居る時間を増やしてくれたりもしたな」



「和田くんは、翔太くんが立花って子を好きな事をどう思ってたの?」


「智樹は、応援もしてたし反対もしてたって感じかな。……反対っていうか、警告か。あのグループに居る奴なんだから、裏があるかも知れないぞってな」


「……」



櫻江が何かを考えるように、顎に手を当てる。



「……どうかしたか?」


「ううん、続けて?」



とはいえ、ほとんど当時の俺の状況はほとんど話した。

あとは、もう……。




「3年の文化祭実行委員には、立花に誘われてまた2人でなった。……立花にそそのかされて実行委員長までやるハメになったんだが、それは置いとくか」



あの日が、段々と近づいてくる。

俺が無自覚に強く握っていた拳を、櫻江がそっと両手で包み込んだ。



俺が顔を上げて櫻江を見ると、俺を安心させるように微笑んで小さく頷く。

息を大きく吐き出し、なんとか櫻江に笑みを返してから、言った。




「……俺は、文化祭が終わったら立花に告白するつもりだった。最終日に、俺は委員長の仕事があって遅くなるけど、教室に、残っててくれって……」



また起こった頭痛に、櫻江に握ってもらっているのとは反対の手で額を押さえる。


櫻江は、それを見てギュッと握る手に力を込めた。



俺は勝手に震える唇、目ににじむ涙にイラつきながら、櫻江の手を握り返して、なんとか言葉を繋げた。




「俺があいつに、告白した後すぐ……、廊下から、笑い声が聞こえた……。何人いたか、覚えてない……。けど、あいつらのグループだけじゃない、あいつらは人を集めて……、俺を笑う為に待ってやがった……!」


「翔太くん……!」



吐き捨てるように語った俺を、櫻江は横からしがみつくように抱き締めた。




『あっははは!バカっ笑うの早ぇよっ!!』


『悪いって!でも、こんなん我慢出来ねぇだろ!!』


『陰キャが必死こいて実行委員長までやってやがんの!厄介事押し付けられただけだって!!』


『莉緒がマジでお前に気があるわけねぇだろ!』



身体が、震える。

でもまだ、大事な事を言えていない。




「それでも!俺は、まだどこかで……はぁっ、あいつを、信じたかった……。でも、あいつは……」




『莉緒が、こんなのと付き合うはずないじゃんねー!』

『ほらっ、莉緒。おだてたら何でもやってくれて便利だって言ってたじゃん!』












『あ、当たり前でしょ!』











ボロボロと涙が溢れる。

辛いのか、悔しいのか、悲しいのか、わからない……。

でも、背中をさすってくれている櫻江の手は、暖かかった。




「そこからは、よく覚えてない……。間抜けづらだとか、気持ち悪いだとか……、言ってた気はするが、もう、頭が真っ白で……飽きてあいつらが出て行くまで、動けなかった……」




櫻江は、こうなることが分かっていたのかも知れない。


思い出した怒りやら情けなさに流れる涙を、俺が歯を食いしばって止めようとしているのを、櫻江はギュッと抱き締めて撫でてくれた。




ずっと『大丈夫だよ』と言ってくれた。




自分の情けなさが嫌になりながらも、その心地よさにはあらがえなかった。










落ち着いて来て、仰向けにソファにもたれ掛かり、右腕をアイマスクのようにして目を隠す。

その体勢になってしばらく何も言わないし動かない俺を、櫻江も何も言わずに待っていた。



しかしやがて、俺の左手をムニムニしていじってみたり、俺の掻き上げた前髪を自分の指にクルクル巻き付けたりして遊びだす。


俺の頬の弾力を確認し出したところで、俺は右腕をどかして櫻江を見た。



「……なに、してる?」


「え?……翔太くんの触り心地、確かめてるとか?」


「なんで疑問形なんだ」



俺はくっくっと喉を鳴らして笑った。

櫻江はそんな俺に安心したように微笑みながら、言った。




「……翔太くん」


「なんだ?」












「……好きだよ」









「……え?」




櫻江はわかりやすく言葉を発しているのに、何故かそれは俺の耳を素通りして、意味を理解することが出来なかった。


櫻江は、顔を真っ赤にしながらも何度も口にする。




「好きだよ、翔太くん。大好き……」



「いや、なんで……急に……」



ストレートに思いを言葉にする櫻江に、慌ててしまう。




——そう言えば、櫻江がハッキリと気持ちを口にしたのは、これが初めてだった。





「……ねぇ、翔太くん。翔太くんが私の気持ちを信じてくれるなら、私はどこでもこの気持ちを言えるよ?……クラスメイトの前でも、全校生徒の前でも、動画配信でもテレビ中継でも、……翔太くんが信じてくれるなら、どこでも」



「あ……」




櫻江が、なにを言いたいのか何となく分かった。

同時に気付く。




——櫻江は、本気だ。





櫻江がまた俺の左手を両手で挟むように握って、自分の胸の前に持ってくる。

そこからまた、必死に言葉を考えて何かを言おうとした櫻江を、頭にポンと右手を置いて止めた。




「……知ってるよ」



「……」




ポカンとした顔で俺を見上げる櫻江。

それに自然と笑みが浮かんで、ちょっとだけ乱暴に櫻江の頭を撫でた。



「これだけ分かりやすかったら、分かるよ。……どれだけ俺が鈍感野郎でもな」



「……うん!」



櫻江は嬉しそうに俺を見上げる。



櫻江のおかげで俺は、ようやくこいつの好意は本物だと信じることが出来た。

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