第14話「大切な人」


「……なに、してるの?」




最悪のタイミングに、俺は天を仰いだ。

……恐らく、櫻江の後ろで額を押さえている高木も、同じような気持ちなのだろう。



櫻江は表情を消し、フラフラと俺達に歩み寄る。




「さ、紗奈?こ、これはね……」




(やばい……!)



櫻江の雰囲気にいち早く危険性を感じた俺は、慌てて櫻江の進路に立ちはだかった。




「……どいて?翔太くん」


「……どかない。ちゃんと説明するから落ち着け」



『説明……?』と首を傾げる櫻江。

やがて慈しむような表情で俺を見て、櫻江は言った。



「あぁ……。やっぱり、が翔太くんを困らせたんだね。……安心して?私が、ちゃんとわからせるから」


「……違う」



俺はハッキリと首を振り、否定する。



「小林は、お前を心配して話を聞きに来ただけだ」




櫻江の顔が、凍りついたかのように再び色を失う。





「どうして?……どうして、あんな事を言ったそいつを庇うの!?」





櫻江の叫びに、聞かれていたのかと心の中で舌打ちした。



「小林も取り乱してたんだ。少し落ち着いて話そう」


「やだ……、嫌だ!翔太くんを傷つけるような奴と話したくない!」



「紗奈……」



先程から散々な呼ばれ方をされている小林が、泣きそうになりながら櫻江の名前を呟いた。


その声は、櫻江には届かない。




「翔太くん……。ねぇ、どうして?私とは居てくれないのに、そいつとはお話するの……?私、いっぱい我慢、したよ?翔太くんは、きっとわかってくれるから……。だから……、翔太くんに信じてもらえるまで、頑張ろうって……」



「……ぐぅっ!」



櫻江が俺に、涙ながらに訴えてくる。

その姿に、俺の頭に再び激痛が走った。



(こんな時にっ……!)



たまらず頭を押さえてうずくまった俺を、櫻江は優しく抱擁ほうようした。




「……翔太くん、わかるよ。私を、信じようとしてくれてるんだよね?……大丈夫だよ。私は、ずっとあなたのそばにいる。どれだけ心を痛めながら翔太くんが私を遠ざけようとしても、私わかるから。本当は信じたいって思ってくれてるの、わかるから……」



「はぁっ……、はぁっ……」



俺は目を閉じて、櫻江に身をゆだねた。

痛みのせいで、櫻江の言葉はちゃんと聞こえない。

けれども撫でられた手は暖かく、触られるたびに段々と頭痛が治まっていく。




すごく安心する……。

気を抜けばそのまま寝てしまいそうなくらい、櫻江の腕の中は心地よかった。








——その場面を目にし、心中穏やかでない人物がいた。





「……やっぱりそいつだったんだね、紗奈」





その声に、俺を撫でる手が止まったのがわかった。



「……私、言ったよね。、って」



「……っ!」




櫻江を止めないといけない!


異様な空気にそう思うのに、俺はまだ立ち上がる事が出来ない。

俺が動かない身体にもどかしさを感じていると、櫻江は耳元で『待っててね、すぐ終わるから……』と甘い声でささやいて離れた。




その直後、叫ぶように訴える小林の声が飛んでくる。




「紗奈っ!紗奈は絶対そいつに騙されてるよ!……だって、私には何も知らないってウソついたんだから!本当だよ!?」



櫻江はそれに、氷のように冷たく答えた。



「……関係ない人間に、翔太くんが私の事話すわけないでしょう?」


「っ!か、関係なくないよ!」



なおも小林は、櫻江にすがり付くように言葉を重ねる。



「紗奈は私の大事な友達だもん!紗奈の事は、私達が1番よく知ってる!紗奈は、あんな怖い目をするような子じゃない!……人付き合いが苦手で、ちょっとオドオドしてて、でもそんな所が可愛くって……!お願い、そんな紗奈にもどっ……」



「うるさいっ!!」



そんな小林の言葉を、櫻江は一喝いっかつして止めた。



「……翔太くんが頭が痛くて苦しんでるのに、くだらない主張で大きい声だすな」


「紗奈……」



小林は泣きそうな、絶望に染まった震える声で櫻江を呼んだ。


それに構わず、櫻江はさらに小林を追い込む。



「お前は、何もわかってない。翔太くんがはじめ、お前を庇った優しさも。私にとって翔太くんが、どれだけ大切な存在なのかも……」




櫻江は言葉を重ねる毎に、その怒りを露わにしていった。






ダメだ……。

そんな櫻江の声は、聞きたくない。

いつもの……甘っちょろくて、フワッとした櫻江でいて欲しい。





またガンガンッと痛みを増し出した頭の中で、俺はそう強く願う。

すると、俺に向かって嬉しそうに微笑む櫻江の顔が脳裏に浮かんだ。



痛みに目がかすむ。

それでも、ゆっくりと俺は立ち上がった。





「紗奈っ……!?」




高木の悲鳴が聞こえる。

俺が顔を上げると、櫻江が小林の首にゆっくりと手を伸ばしているところだった。




「なにを言っても無駄でしょ?……翔太くんを傷つけるお前は、私が消してやる」



「あ……!?」



ショックが大きすぎたのか、小林はただ震えるだけで動かない。



「紗奈!確かに茜が悪いのはわかるけど、やりすぎよ!」



櫻江を止めようとした高木に、櫻江は振り返って言った。



「……どうせ、んでしょ?あなたも消える?」



「えっ……!?あ……」



櫻江のもう冗談とは言えない脅しに、高木が怯む。

それに何の反応を示さず、櫻江は再び小林の方を向いた。





——俺が、止めないと。





俺はふらつきながら櫻江の元に辿り着き、覆いかぶさるように後ろから抱き締めた。






「えっ……。」




すぐに俺だと気付いた様子の櫻江が、間の抜けた声を漏らす。




「……翔太くん?」


「ダメだ……」



身体を硬直させて、櫻江はポツリと俺の名前を呼んだ。

俺は止めるように櫻江に一言伝えて、そのまま手を櫻江の腕に回して掴み、小林の首から手を離すように引っ張る。

なんとか今の俺の力でも、櫻江の手を降ろすくらいは出来た。



「どうして……?」



櫻江は、小林から視線を外すように俯いた。

一瞬、怯えた表情で固まった小林と目が合う。




「小林の為じゃない。……お前の為で、俺の為だ。」


「翔太くんの……?」




「……。」

「茜っ!」



櫻江の手が完全に離れると、小林は放心したまま座り込んだ。

それに高木が駆け寄って、背中をさすってやっている。





「櫻江がこんなことするところ、見たくない……」



「……じゃあ、どうすればいいの!?」



俺は櫻江を抱き締める力を強めた。



「許してやれ。……俺が隠そうとしたのが、悪いんだ」


「違う!違うもん……。翔太くんは、悪くない……」



櫻江の表情は見えないが、身体が震えていて泣いているのはわかった。


俺はポンポンと櫻江の頭に手を置き、櫻江を慰める。





「……翔太くんは、優しすぎるよ」



しばらくして櫻江がそう言ったので、俺は苦笑する。



「そんなことない。櫻江が俺をいいように見過ぎなんだ」



微かに、櫻江も笑った気がした。



「その子は、許せない。……でも、翔太くんがそこまで言うなら、もう何もしないよ」



「櫻江……」




『だからね……』と俺の腕の中で櫻江がクルッと反転して、胸に顔を埋めた。




「……こっちがいいな」


「……!」



相変わらず、こいつは……。

俺は顔が熱くなるのを感じながら、呆れたように溜息を吐いて、今だけは好きにさせてやることにする。




そうしていると、いつの間にか頭痛はかなりやわらいでいた。











「紗奈も、九重くんも……本当にごめん」



櫻江に解放された後(あまりにも長いので引き剥がした)、疲れた顔の高木が俺達に頭を下げた。



櫻江はそれにどう反応していいのか迷っているようで、俺の方へ視線を向ける。

そんな櫻江に俺は自分の考えを伝えた。



「……もういいだろ。この2人には俺達のことも話していいから、出来るなら俺も仲直りして欲しい」



「……翔太くんがそう言うなら」



まだちょっと不服そうだが、櫻江は頷く。

少しだけホッとしたような、空気の緩みを感じた後、高木は櫻江に聞いた。



「ねぇ、紗奈。今回は私と茜が完全に悪いのはわかってる。……だけど紗奈にとって私達って、何?」



「友達だよ?大切な友達……。」



即答した櫻江に、高木が反論する。



「……今日の紗奈は、そうは見えなかったんだけど。大切に思ってくれてるなんて、思えなかった」


「そうかもね」



辛そうに吐き出す高木とは対照的に、櫻江はあっさりと認める。

それで少し困ったような顔で、言った。



「だって2人よりも何百倍も何千倍も……、それよりももっと数字じゃ表せないくらい翔太くんの方が大切なんだもん。……ただ、それだけだよ」


「……」



それを聞いた高木は、複雑そうな顔をして何も言えなくなってしまう。




それで話は終わり、櫻江の方から後日2人には経緯の説明を行うことになった。

櫻江は俺と残ることを希望し、高木は小林を連れて帰ると言ったのでこれで解散となる。



——あれから俯いて何も言わなかった小林が最後に俺を睨んでいったことが、しばらく俺の胸に引っ掛かっていた。











櫻江が帰り支度を済ませて戻って来たので、小林と話していた自販機の側のベンチに座る。


櫻江は妙に機嫌が良い様子で、肩がぴったり俺に触れるくらい近くに座った。



「翔太くん、……頭痛くない?また撫でてあげる」


「……もうほとんど治ったから、大丈夫だ」


「あっ、それなら膝枕とかどう?ちょっと横になった方がいいよ」


「……櫻江がしたいだけだろ」


「うん、したい」


「あのな……聞いたんじゃない」



俺を甘やかそうとあれこれ提案してくる櫻江に、溜息を吐いて図書館から出てきた人を見送ってから……俺は覚悟を決めて聞いた。



「なぁ、櫻江……」


「なに?翔太くん」



俺が呼び掛けただけで、櫻江は顔を輝かせる。

それに苦笑いで返して、続けた。




「いつか、時間あるか?……話したい事があるんだ」

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