第12話「悟り」
櫻江達と分かれて、俺は自分が本を読んでいた席に戻った。
(今日は本を読みに来たんだから、それに集中しよう)
近くに櫻江がいると思うと、どうしても気になってしまう。
だが、館内の本の匂いに落ち着きを取り戻した俺は、なるべく気にしない事にして次の本に手を伸ばした。
勉強会をはじめて1時間程が経過した。
自習室には私達以外にも数人の利用者がいて、みんな静かに勉強している。
パッと見て並べている参考書や問題集の量から、恐らくほとんどが今年の受験生だとわかった。
私達も端の席で、その人達の邪魔にならないように座っている。
「……芹香。これ、わからない」
「うん、見せて?」
基本的には茜がわからないところを、芹香が教えている。
たまに私まで質問が飛んでくる事はあったが、ほとんど芹香だけで大丈夫そうだし、私は自分の分の宿題に集中出来ていた。
(……もう、終わっちゃったんだけどな)
数学の問題集を広げてはいるが、わからない問題はあったものの、そこ以外の回答欄は埋まってしまった。
そもそも夏休み中いつ翔太くんとの時間が出来るかもわからないので、早めに終わるように計画は立てていたから今日までにほとんど終わらせていたのだ。
それをこの時間で片付けてしまったので、正直、私はする事がない。
(……翔太くん、何してるかな)
ほぼ間違いなく本を読んでいるのだろうが、どうしても気になる。
しかも、今日なら私服姿で本を読む彼を写真に収める事が出来るかも知れないし……。
それに翔太くんのお家に行ってから、もう5日も経っている。
翔太くんは『別の料理を考えておく』と言ったクセに、あれからちっとも連絡を返してくれない。
そう考えると、優しい彼の事だから今日ちょっと会いに行くくらい許してくれるのでは?
(夏休みがはじまってすぐに行かなかったのは、失敗だったかなぁ……。1週間は我慢できると思われてるのかも……)
私は1秒だって離れたくないのに、彼はまだ可能な限り私とは会わないように、関わらないようにしている感じがする。
このすれ違いをもどかしく思っていると……。
「……紗奈?手、止まってるけど大丈夫?」
芹香が考え事をしていた私に、声を掛けてきた。
「うん……。この問題が解説を見てもわからなくって……」
私は
すると、芹香が私の問題集を覗き込む。
「……あぁ、ここってたぶん特殊な応用問題だよね。ごめん、私もわからなかったの」
「そうなんだ」
私よりも数学が得意な芹香がわからないとは、ちょっと意外だった。
同時に私は、ある事を思いつく。
「……それじゃ私、九重くんに聞いてみようかな」
「九重くんに?」
ちょっとだけ、芹香が疑わしそうに眉をひそめた。
「うん。こっちは芹香が居れば大丈夫そうだし、私の分は終わっちゃったから。読みたい本を探すついでに、見つかったらだけど聞いてみるよ」
「そっか……」
もっともらしい言い訳を付け加えて、平然と答える。
これならもし2人で居るところを見られても言い訳できるし、芹香も納得したようだった。
「ごめんね、付き合わせて」
芹香との会話を聞いていた茜が顔を上げ、申し訳なさそうに謝った。
けれど、私は今日ここに来れたのは茜のおかげなので、心からの笑顔で答える。
「大丈夫だよ。それじゃ、行って来るね」
「うん、行ってらっしゃい」
私は問題集を手に持ち、2人から離れて自習室を出ると、軽い足取りで翔太くんを探しに向かった。
「……」
(この人、書き方上手いな……。)
初めて読む著者の小説の文章を目でなぞりながら、そう感嘆した。
学園もののミステリ小説で、小さな謎を主人公が解決していく物語となっている。
謎もさることながら、主人公や周囲の人間のキャラクターも好感が持てて、続きが気になる。
俺は半分程読み進めた所で、この作品を自分でも購入することを決めた。
「……はぁ。」
ただ、いくら良作とはいえ今日読むのはこれが3冊目だ。
特に2冊目は好みに合わず、疲れてしまった。
少し休憩しようと、キリがいい所で持ってきた
(……ん?)
不意に視線を感じて、横を向く。
すると隣の席で櫻江が
「うっ!?ぁ……」
驚きで上げそうになった声を、場所を思い出して必死に呑み込んだ。
「なっ、なんでいるっ!?」
俺は小声で精一杯、櫻江を怒鳴った。
櫻江は満足そうな笑みを浮かべたまま、それに答える。
「翔太くんに会いたくって、来ちゃった」
「お前なぁ……」
もう、本当にこいつは……。
何から突っ込んでいいのやら、とはこの事で、言いたい事が多すぎて逆に言葉を失くす。
「ごめんね?驚かせるつもりはなかったんだけど、本を読んでる翔太くんの邪魔は出来なくて」
(そこじゃない……)
俺は大きく一度息を吐き出して気持ちをなるべく落ち着かせ、何から聞くべきか考えて……。
結局そこまで頭は回らず、思いついたモノから問いただしていくことにした。
「あの2人はどうした?」
「……まだ、宿題してるよ」
質問には答えたものの、櫻江の目が細められる。
「なんで、最初にあの2人の事聞くの?」
「……!」
笑みを消して威圧感を放つ櫻江に、一瞬たじろぐ。
だが、俺は慌てずに答えた。
「……今は人目がないとはいえ、見られたくないだろ」
俺の言葉を聞いて、すぐに櫻江は表情を笑顔に戻した。
……さっきまでの雰囲気が、見間違いだったのではとすら思えてくる早業で。
「そうだよね。せっかく2人っきりなのに、変な邪魔は入って欲しくないもんね」
邪魔って……。
あっさり友人を邪魔者扱いした櫻江に、唖然とする。
その隙に櫻江は話を続けた。
「あのね、翔太くん最近また、連絡返してくれないでしょ?私が色々送りたくなっちゃう方だから多いのはわかるんだけど、たまには返して欲しいなぁって……」
恥ずかしがるように両手の指を合わせ、チラチラと上目遣いで見る櫻江。
クラっとくるその仕草に、俺は……。
「……あざとすぎだ」
俺の言葉に、櫻江は一瞬キョトンとした顔をした後、クスクスと笑った。
「やっぱり?でも、効果絶大って書いてあったのになぁ」
「他の奴なら大丈夫だろ。やってみたらどうだ?」
「翔太くん以外にしても意味ないから、遠慮しておくね」
櫻江からの攻撃にカウンターを放ったつもりだったが、こっちのもヒラリとかわされてしまったようだ。
そんなやり取りも、櫻江は楽しそうにニコニコしている。
「……それで、本当に何しに来た?」
「言ったよ?翔太くんに会いに来たって」
俺はその答えを聞いて、櫻江に怪しむ目を向ける。
「櫻江は、それだけでわざわざこんなリスク犯さないだろ。取り引きの遵守に、お前がかなり気を使ってるのは知ってる」
そう言った俺の目を、櫻江は少し寂しそうに見つめ返した。
「違うよ、翔太くん。……この間、ご両親が出掛けるのを私が待ってたのを、すごく気にしてくれてるんだね。でも、そうじゃないの」
『そうじゃない』と言った櫻江の言葉に、俺は
「私は、ずっと我慢してる。本当は取り引きなんてどうでもよくて、ただ翔太くんと居たい。取り引きをしたのは、あの時はそうしないと翔太くんが離れて行っちゃうのがわかってたからだし……」
「……」
俺は、自分の中に違和感を感じた。
……俺もわかっていた、はずだ。
櫻江の純粋な好意は。
けど、俺はそれを『取り引きを守る為に頑張っている』ことのように捉えていた。
何かが俺の中でズレている。
俺は櫻江の好意がわかっているのに、それを認められていない。
「……ねぇ、翔太くんはまだ私を信じられない?」
——ここまでしてくれる櫻江の気持ちを、俺はまだ信じられないのか?
櫻江が家に来た時に、自分自身に抱いた疑問。
なんで、俺は櫻江を……。
「くっ……!」
「翔太くん!?」
俺は急激な頭痛に、頭を押さえた。
同時に悟る。
——あぁ、やっぱりあれはまだ俺の中で根を張っているのか……。
しばらく
「……大丈夫だ。よくある」
「で、でも……」
俺はまだ引かない痛みを堪えて、今にも泣き出しそうな櫻江をしっかりと見て言った。
「櫻江……やっぱり俺は、お前の気持ちには応えられない」
「紗奈、遅いね……」
「……そうね」
紗奈が出て行ってから、結構時間が経っている。
そろそろ私達も休憩したくなってきたくらいだ。
「ねぇ、芹香……」
「なに?」
キリがいい所で手をとめて、私はずっと気になっていた事を芹香に聞いた。
「……紗奈の好きな人って、誰だと思う?」
私がそう言うと、芹香は手を止めて顔を上げた。
「……その話は無しにしようって、決めたはずだけど?」
紗奈の家から帰った後、2人でメッセージでそう決めた。
けど……。
「そうなんだけど……。私、もしかしたら九重くんなんじゃないかって思って」
「九重くん?」
芹香は意外そうに、聞き返した。
私も自信はないけれど、『そう』と頷いて返す。
「……どうして、そう思うの?」
無しにしようとは決めたものの、やっぱり芹香も気になるみたいだ。
「だって、紗奈が自分から男の子の所に話に行く?……それに前に紗奈、九重くんの事を『翔太くん』って呼んでた気がするの」
「……それ、本当?」
私はまた、頷いた。
そんな私に、芹香が何かを考え出した。
同性の友達である私達にすら、名前呼びを
と芹香が考えているのが、手に取るようにわかる。
私だってその時は気にしなかったが、思い返すと明らかにおかしいと感じるから。
しばらくして芹香は、諦めたように溜息を吐いた。
「……そうだとしても、確かめる方法がないでしょ。また紗奈に聞いたりしたら、今度は許してくれないかも知れないわよ?」
芹香の言いたい事は、わかる。
それくらい、この間の紗奈は怖かったから……。
けれども、私は一つだけそれ以外の方法を思いついていた。
「……あるよ、方法」
「え?」
私はそれを紗奈に知られたら、私達は友達でいられないかも知れない恐怖を感じながらも、言った。
「九重くんに、確認すればどうかな?」
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