第9話「純粋すぎる」
「それで、なんでお前は俺の家を知ってる?」
「えとね、実は……。」
唐揚げの味付けに30分程置くという事なので、俺は櫻江を尋問していた。
……俺と話せるのが嬉しいのか、ニコニコと上機嫌で答える櫻江に『尋問』という言葉が適切なのか微妙に思えてくるが。
「……つまり、つけてたのか。」
「ごめんね。でも、翔太くんを目で追ってたら自然とついて行っちゃってたの。……あっ、それからは気を付けてるから安心して?」
こいつは気を付けていないと、無意識にストーキングするのか……。
俺の中で、櫻江に対する警戒心が増す。
「……俺が今日1人なのは、知ってたのか?」
「それは……今朝、お家を出てから真っ直ぐにここに来たの。ご両親が仕事に出掛けたのを確認してから、買い物に行ったから遅くなっちゃったけど。」
『スーパーを探すのに手間取っちゃって……。』と、自分の失敗を恥じらうように話す櫻江。
俺はそれを聞いてスマホを取り出し、さっき見た櫻江からのメッセージを確認した。
5:21 『今、お家出たよ。』
「5時って……。」
櫻江の家からここまで、どれくらい時間が掛かるのか知らないが、6時に着いたとしても2時間近く外で待っていた事になる。
家からスーパーは……、1番近くで歩いて10分程だったな。
そこなら平日は7時から開いてるはずだし……。
「それじゃ、それからずっとスーパーに居たのか?」
櫻江が家に来たのは、11時過ぎだったはずだ。
8時までには両親が出ているはずなので、3時間もスーパーに居たことになる。
それを確認しようと聞くと、櫻江はさらに斜め上な回答を返して来た。
「ううん。翔太くんが出掛けるなら早い時間だろうから、10時までは出てこないか見てたの。……スーパーに居たのは、30分くらいかなぁ。」
「……は?」
そしたら、どうなる?
5時台に家を出て、6時頃着いたとして10時まで4時間も家の外で張り付いて、その後スーパーに買い物に行ってからここに来たってことか?
それをこいつは、何の苦労も感じてないように話している。
驚愕の表情を隠せない俺を、キョトンとした顔で見ている。
——こいつは、純粋すぎる。
ふと、俺が櫻江に対して抱いていた恐怖の正体がわかった気がした。
「……何で、親が出るのを確認してた?」
「何でって……。翔太くんと人目があるところはダメだって約束したよね?」
つまり、こいつは俺との取り引きを守る為にそんな回りくどい事をしていたのか。
『俺と会いたい。』ただ、それだけの為に……。
俺は黙って立ち上がって台所へ向かい、麦茶をピッチャーごと冷蔵庫から取り出して、まだ少し残っていた櫻江のコップになみなみまで注いだ。
「翔太くん?」
「……飲んどけ、倒れるぞ。」
「……うん。」
俺の意図が伝わったかのように、櫻江は笑みを
櫻江が麦茶に口をつけた事を確認して、俺は続ける。
「……こんな時間に出ると、朝でも人が少ないだろ。危ないから、やめとけ。」
「うん。」
「今は朝から暑くなるんだから、あんまり外にいるな。」
「それは……、日傘も持ってるし、飲み切っちゃったけどお水も持ってたんだよ?」
「……それでもだ。」
「……うん。」
櫻江が穏やかに微笑んで、聞いてきた。
「ねぇ、翔太くん。」
「……なんだ?」
「心配、してくれてる……?」
何かを期待するような視線を向けてくる、櫻江。
「……勘違いするな。俺に唐揚げを作るために来てるのに、何かあったら俺が嫌だろ。」
「ふふっ……。」
櫻江は堪えきれなかったかのように笑ってから、言った。
「そう……。でも、やっぱり翔太くんは優しいね。ありがとう。」
「……ふん。」
(勘違いするなって言っただろうが……。)
俺は『もう知らん』と呆れた感じを出して、櫻江から視線を外す。
それでも櫻江は、笑顔で俺を眺めながら麦茶をちびちび飲んでいた。
『ジュワー』っという音と共に、揚げ物の匂いが鼻腔をくすぐる。
慣れた手付きとまでは言わなくても、櫻江は順調に次々と鶏肉を揚げていく。
「待っててね、すぐできるから。」
つい台所まで様子を見に来てしまった俺に、櫻江が鍋から目を離さずにそう言った。
俺はエプロン姿で台所に立つ櫻江に
「これくらいの大きさでいいか?」
「うん、いいよ。ありがとう。」
唐揚げを盛り付ける皿を取り出して、調理台の上に置く。
ご飯は俺の昼食用に母さんが用意していってくれたので、俺はそれをよそう準備をはじめた。
「ふふっ……。」
不意に櫻江が、幸せいっぱいという顔で笑った。
「なんだ……、いや、言わなくていい。」
「えー、聞いてよ。」
茶碗を手に持って、その理由を聞きかけて止めたが、櫻江は表情は嬉しそうなまま不満を口にするという器用なことをした後、言った。
「なんだか、新婚さんみたいだね。」
そう口にして、また『ふふふっ。』と笑う櫻江。
予想通りの回答に、俺は溜息を吐いた。
「……言わなくていいって言っただろ。」
「そう言うって事は、翔太くんもわかってたんでしょ?……もしかして、私と同じ気持ちだった?」
最後の唐揚げが揚がったようで、櫻江はそれを料理用バットの上に載せてからこっちを向いた。
「……違う。」
「そっか。……でも翔太くんは何も言わなくても手伝ってくれるし、いい旦那様になると思うんだけどなぁ。」
俺の返答に残念がる様子は全く見せず、櫻江は盛り付けのために再び調理台に視線を戻す。
俺はそれになんと答えたらいいか分からず、黙って手を動かした。
「……これくらいでいいか?」
「あっ、もうちょっと少なく……。うん、それくらいで。ありがとう。」
隣に並んで茶碗を覗き込む櫻江に、不覚にも俺は櫻江が言っている気持ちがわかってしまった。
「……いただきます。」
「はい、どうぞ。召し上がれ。」
俺は少し緊張しながら、櫻江の揚げた唐揚げを口に運ぶ。
その様子を、同じく櫻江も緊張した様子で見ていた。
「……うまい。」
「よかったぁ。」
俺のその一言を聞いて、櫻江が一気にだらしない笑顔を浮かべた。
「料理、得意じゃないって言ってなかったか?」
俺がいつかのメッセージで櫻江が言っていた事を思い出して、そう聞く。
櫻江は、それに目を見開いて感動した様子を見せた。
「覚えててくれたんだ。……うん、この間まで調理実習くらいでしかやった事なかったよ。」
「それで、これか?」
俺が櫻江には料理の才能があるんじゃないかと本気で思っていると、櫻江はそれを見透かしたようにクスクス笑う。
「実はね、昨日お母さんに作り方を教えてもらったの。今回はその通りに作っただけなんだけど、これから頑張るから、食べたい料理があれば何でも私に言ってね?」
「昨日……ってことは、2日続けて唐揚げが昼飯でよかったのか?」
櫻江の提案は無視しつつ、別の疑問点を尋ねる。
確か昨日帰ってきた時に見たメッセージが、『料理を教えてもらっている』だったはずなので、たまたま唐揚げの作り方を教わっていた……?
俺はこの疑問を口にしてしまった後で、すごく嫌な予感がした。
「えと、お昼はカレーだったから。夜ご飯を唐揚げにしてもらったの。」
やっぱり、と思ってしまった。
こいつは、どこまで……。
「あっ、でも全然大丈夫だよ。私も、唐揚げ大好きだから。」
(……大好きになったの、間違いじゃないのか?)
底抜けに献身的な櫻江に、俺は罪悪感というか申し訳なさを覚えずにはいられなかった。
昼食中の櫻江は、俺を見てずっと嬉しそうにしていた。
恥ずかしさから『箸、止まってるぞ。』と指摘しても、一口食べるとまた俺の事を眺め出す。
結局、櫻江が食事に集中したのは、俺が『もう食えない。』と言ってからだった。
「洗い物は俺がするから、櫻江は休んでろ。」
俺がそう言っても、櫻江は同じように食器を持って俺の隣に並んだ。
「いいよ、私も一緒にやる。」
「……。」
俺は自分が持っていた食器を流しに置き、櫻江が持っていた分を奪った。
「……眠そうにしてただろ。いいから、座っとけ。」
「……。」
さっき、昼食を食べながら櫻江がうとうとしているのに、俺は気付いていた。
図星だからか、珍しく櫻江は黙り込む。
俺はその隙に奪った食器も流しに置くと、櫻江の肩を掴んで方向を変え、背中を押した。
「ほらっ、早くそっちのソファに行け。」
「しょ、翔太くん!?行くから、押さないで!」
俺は櫻江の制止を無視してソファまで連れて行くと、座った事を確認してから今朝畳んで置いたタオルケットを被せた。
「寝ててもいいから。」
櫻江はタオルケットから顔を出すと、『仕方ないなぁ』という風な表情をする。
「……もう、翔太くん強引なんだから。」
「お前が、無理するからだろ。」
『ふふっ。』と櫻江は笑って、俺に言った。
「どうせなら、翔太くんのお部屋でお昼寝したいな。」
「それだけ疲れてるなら、どこでも寝れるだろ。」
「残念。」
ソファにポフっと横になる櫻江。
「……ごめんね。」
「……食器を割られると、俺が困るだけだから気にすんな。」
そう言って、俺はさっさと台所へと
櫻江は小さく『翔太くんの匂いがする……。』と
「んぅ……。」
(起きたか……?)
洗い物を済ませ、櫻江が眠るソファの下で昨日買ったエッセイを読んでいると、ちょうどキリがいい所で櫻江が
「……翔太くん?」
「……あぁ。何か飲むか?」
起き上がった櫻江を振り返って聞くと、櫻江はそれには答えずに抱き付いてきた。
「おいっ!?離れろ!」
「……ヤダ。」
寝惚けているのか、俺の拒否も聞かずに抱き締める力を強める櫻江。
うなじ辺りに温かく柔らかい感触が触れ、今朝、櫻江から漂ってきた甘い匂いを濃くしたような匂いが俺に
「……このっ!」
俺は背後からの
「……。」
「……いい加減、起きろ。そろそろ帰る準備した方がいい。」
時刻は16時前になっていて、今から準備したら17時過ぎには帰れるだろう。
そう思って声を掛けたが、櫻江はボーッとしたまま、時計に視線を向け『もう、こんな時間……。』と悲しそうに呟いた。
「麦茶、入れてやるから。それ飲んだら帰れよ。」
「……。」
ソファを横切って台所に向かおうとした俺の腕を、櫻江が無言で掴んだ。
「……櫻江。」
「……やだ、もっと翔太くんと居たい。」
「あのなぁ……。」
俺がどう説得しようか迷っていると、櫻江がか細い声で提案してきた。
「……じゃあ、取り引きしよう?」
「取り引き……?」
俺の側に、そんな要求があったか首を捻る。
「……今日は、帰る。だから、夏休み中もまた、私と会って?……翔太くんと会えないの、寂しいの。」
「……。」
櫻江が、泣きそうな声でそう言った。
……いや、これはもう泣いているのか。
——ここだ。
俺はそう、思った。
ここで櫻江を突き放せば、俺から離れるんじゃないかと、俺はそう考えたのだ。
けど……。
「……気が、向いたらな。」
「……うん。」
俺は、言えなかった。
さらに、まだ俯いている櫻江に『あぁっ、くそっ!』と頭を掻き
「唐揚げ!……美味かったから、また今度は別のやつ考えとく。」
そう言うと、櫻江はようやく顔を上げて、笑顔で答えた。
「……うん!練習しておくから、何でも言ってね!」
櫻江が笑ったので、俺はどこか安心した。
そのまま、コップ一杯の麦茶を飲むと、櫻江は帰って行った。
(洗濯物干すの、忘れてた……。)
櫻江が帰った後で今朝、洗った洗濯物を干すのを忘れていたことに気がつく。
俺はたったそれだけを理由に、『今日はツイていなかった。』と、今日1日に対して無理矢理な評価を付けた。
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