第8話「突撃」
「んん……、もう朝か?」
昨日のあの後は昼寝をして、起きてからも何もする気は起きずにただダラダラと過ごした。
普段は見ないテレビが、頭を空っぽにして見るには面白くて、ついつい深夜帯の番組まで見てしまった。
そのまま、ソファで寝てしまったようで身体中が
まぁ、それも長期休暇らしくていいかと、たぶん母さんが掛けてくれたタオルケットを畳みながら、今日が平和な1日である事を願う。
時計を見ると8時前で、平日なのでもう両親は会社に行ったのだろう。
俺の分の朝食が用意されていたので、顔を洗ってからそれに手を付けた。
(……平和だ。)
朝食を食べて片付けをし、洗濯機を回して、またテレビの前に腰掛ける。
ボーっとしながら『昼食は何にしようか』などと考えていると、ちょうど1日前にあったゴタゴタなど夢であったかのように思えてきた。
こんな日が続けばいいのにと年寄り臭い事を考えていたら、来客を知らせるインターホンが鳴り、それを合図に俺の平和はすぐに崩れ落ちることとなる。
(また父さんがネットで何か買ったのか……?)
自分宛ての来訪など身に覚えがないので、自然と両親宛ての何かだろうと予測する。
まだ部屋着のままの俺は少し
「はい。」
『あっ、翔太くん?おはよう。』
「……は?」
ボケッとしていたせいで、モニターもよく見ずに応対してしまった。
声を聞いてはじめて、俺はモニターに映る櫻江に気が付いたのだ。
「な、なんでいる……?」
動揺を隠せない俺に、櫻江が少し怒ったように言う。
『昨日、ちゃんとメッセージ送ったよ?返って来なかったら、行ってもいいって事にするよって。』
昨日は昼寝する前にメッセージを返してから……、それからスマホは見ていない。
俺は自分の記憶を辿り終えると、櫻江に言った。
「……それでも、既読も付いてないのに来るか?普通。」
『翔太くんに会えるなら、いつだって会いに来るよ?』
さも当然のように答える櫻江に、俺は久しぶりに怖いと思った。
(なんでこいつは、こんなに真っ直ぐなんだ……。)
それ以外にも、櫻江が家に来るのは初めてだ。
なんで、家の場所を知っている?
なんで、俺が家に1人だとわかった?
なんで……。
俺の中で疑問が渦巻いていると、櫻江はモニター越しに少し無理をしているような笑顔で言った。
『翔太くん、その、外は暑くて……。出来れば、中に入れて欲しいかな……。』
「あっ、あぁ……。わかった。」
確かに、テレビで繰り返し熱中症を警戒するように言われる程、外は暑いはずだ。
しんどそうな櫻江に、俺は来てしまったものは仕方がないと、諦め半分に家へ上げることにした。
「お邪魔します。」
「……あぁ。」
なんとも言えない気分で、礼儀よくお辞儀する櫻江を招き入れる。
櫻江はエコバックを重そうに、少しよろけながら持っていた。
俺は反射的に、その荷物を持ってやる。
「あっ……。ありがとう。」
本当に嬉しそうに俺を見上げる櫻江。
暑さのせいかその頬は赤みがかっていて、汗をかいているはずなのに漂う匂いはどこか甘い。
(……ダメだ、櫻江のペースに呑まれるな。)
「……ちょっと休んだら、帰れよ。」
「うん。でも、今は翔太くん成分が全然足りてないから、いっぱい充電できるまで時間が掛かっちゃうかな。」
「なんだその成分は……。」
俺が呆れた目で櫻江を見ると、櫻江はさっきまでのしんどそうな様子が演技だったのではないかと疑いたくなるような、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「とりあえず、これ飲んどけ。」
「うん、いただきます。」
俺はリビングに櫻江を通すと、コップに冷えた麦茶を入れてやる。
それを両手で持った櫻江は、喉に流し込んだ。
「ふぅ……、すごく美味しい。」
「普通の麦茶だよ。」
相当、喉が乾いていた様子なのに櫻江のコップには3分の1ほど麦茶が残っていた。
女の子はこれだけの量も一気飲みできないのかと、妙なところに目がいく。
「……それで、この荷物はなんだ?」
「そうだった!冷蔵庫に入れておかないと……。」
俺の質問に、櫻江は慌てた様子で立ち上がった。
「冷蔵庫……?」
「うん!翔太くんにお昼ご飯、作ってあげたくて。」
そう言ってエコバックから鳥もも肉のパックを取り出して、笑顔で俺に見せる櫻江。
『唐揚げが食べたい。』
まさか昨日の……。
俺は櫻江に返したメッセージを思い出す。
「安心して?材料は一通り買って来たから。」
櫻江は片栗粉や薄力粉、サラダ油やレモンにマヨネーズまで買って来ていた。
テーブルに置かれた材料と、櫻江の準備の良さに圧倒され、戸惑う。
そんな俺に櫻江は
「下準備するから、台所借りるね?今の格好も可愛いけど、私服も見たいからその間に着替えて来て。」
「あっ。……わかった。」
自分が部屋着のままだった事を、今更思い出した。
俺は櫻江に従うしかなく、簡単に台所の調味料や調理器具の場所を教えてから1度部屋へと戻った。
櫻江を台所に残して部屋に着き、まずは置きっぱなしだったスマホを確認する。
『翔太くんに唐揚げ、作ってあげたい。』
『明日、お邪魔してもいいかな?』
『ねぇ、久しぶりに翔太くんに会いたいな……。』
『我慢できないから、行っちゃうよ?』
『今日中にお返事もらえなかったら、行っちゃうから。』
『本当に行くからね。』
・
・
・
『今、お家出たよ。』
『唐揚げには何を付けて食べたい?』
『翔太くん、男の子だしいっぱい食べるよね?』
『頑張って作るから、美味しくできたら褒めて欲しいな。』
『お買い物してから行くから、あと30分くらい掛かると思う。』
『もうすぐ着くよ。』
だいたいの流れはこんな感じで(実際には倍くらいメッセージは来てる)、櫻江が言っていた事は嘘じゃなかった。
(それにしても、強引すぎるだろ……。)
そう考えて、こうなるくらいに俺に会いたかったのだと思い当たってしまう。
(櫻江は、どんな気持ちで俺に……。)
度重なる拒否に、心が折れたりしないのだろうか?
なにが、あいつの気持ちを支えているんだ?
なんで、あいつは笑えるんだろう……。
罪悪感とともに、様々な疑問が浮かぶ。
そして、自分にも問いかける。
——ここまでしてくれる櫻江の気持ちを、俺はまだ信じられないのか?
そう思った瞬間、胸が苦しくなる。
『ダメだ、信じるな。』という自分と、『ここまで真っ直ぐな櫻江なら、信じられるんじゃないか。』という自分がいる。
——今は、考えるな。
俺は思考を放棄して、今まで通り距離を置く態度を心掛けることにした。
「あっ、降りて来た。」
「……あぁ。」
リビングに戻った俺のもとに、パタパタと足音を立てて櫻江が寄ってくる。
櫻江は自分で持って来たのか、淡いピンクのシンプルなエプロンを着けていた。
それから吟味するように俺の頭から爪先を眺め、微笑んだ。
「うん、私服の翔太くんもかっこいい。」
「……適当なこと言うなよ。」
「本当だよ?でも、もう少しちゃんと顔が見えた方が……。」
不意に櫻江が、サラッと手で俺の前髪をあげる。
「あっ……。」
「なっ……!?」
至近距離で、見つめ合う俺と櫻江。
櫻江は何に驚いているのか、瞳を大きく開いて頬を赤く染める。
俺の方は、こんなにしっかりと櫻江の顔を見た事がなかったので少し動揺した。
……やっぱり、こいつは可愛い。
俺は自分の鼓動が早くなったのを誤魔化すように、パッと軽く櫻江の手を払った。
「……。」
それでも、櫻江は固まったまま俺を見つめている。
俺はそんな櫻江の視線から逃れるように、顔を逸らした。
「……落ち着かないんだ。今のままでいい。」
俺がそう言うと、櫻江は小さく『……うん。』と返事をした。
「今はまだ、そのままの方が……いい、かも。」
恥ずかしそうに呟いた櫻江の言葉の意味は分からなかったが、俺はしばらくそっぽ向いたままでいた。
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