第5(閑話)「彼女の理由」


私は、極度の人見知りで上がり症だった。



小学校の頃から授業中の発表すらまともに言えず、学習発表会なんてそれがある秋の季節ごと嫌いになるくらい最悪だ。


それは中学生になっても変わらず、視線から逃れるために髪を伸ばして顔を隠した。

見た目まで幽霊みたいになった私はバカにされ、いじめられた。




「紗奈ちゃ〜ん、次の授業で当てられるんじゃない?」


「はははっ!止めてやれよ!」


「また『ひゃいっ!』って返事するのかな?」


「すっげー、似てる!」



中学の最初に、急に当てられて焦った私は変な返事をして、教室中に笑われた。

それ以来しばらくの間、私が当てられそうな授業の前には男の子が揶揄からかいにやって来て、女の子は遠巻きに私を見下した目で見た。



——もう、やだ。



授業中どころか普段から一言も喋らなくなると、先生も私を指さなくなった。

学校側からすれば私の状況に配慮したのかも知れないが、時が経ってみんなが飽きた頃には、私はいないモノとして扱われるようになる。





そこまでいくと私にとってもちょっかいをかけられるよりは無視される方が楽で、私はいつも1人で本を読んで過ごしていた。




物語を読むのは楽しくて、授業中以外はずっとそうしていた。

その間だけ、私は主人公になれるから……。




それから高校受験を迎えると、私は可能な限り遠くの学校を選んだ。

お父さんの意思でそこまで遠くには行けなかったが、偏差値はそれなりに高い学校に行けたので、そんなに私を知る人はいない。


なにせ同じ中学でも、私の存在を認識していなかった人はたくさんいるはずだから。



(高校生になったら、また無視されるようになるまで耐えればいい……。)



物語の中のような、友人に囲まれ好きな人が出来て、その人と結ばれる。

そんな生活に憧れがなかった訳ではないけど、私には無理だと、とっくに諦めていた。

私にとってそれは、物語の中だけにあるものだったから。






私の前に、彼が現れるまでは……。






高校生になり、私がクラスに入るとみんなが会話を止めて注目した。

見たまんま暗い雰囲気を纏う私を、『なんだ、あれ?』『あの子、ちょっとヤバくない?』と小声で貶める言葉が次々に聞こえて来て、教室中が私と関わりたくないという空気が一気に出来上がった。




(……やっぱり。)



自分が馴染めるはずがないことは、わかっていた。

直接揶揄いに来ないだけマシだと、早足で私が自分の席を目指すと、この騒ぎの中、1人だけ顔も上げずに本を読んでいる男の子がいた。



(この人……?)



その男の子は、私ほどじゃないけど髪を伸ばして、自分の表情を隠しているように見えた。



(もしかしたら、私と同じ……。)



そんな妄想を考えすぎだと、すぐに頭から追い出し、私は彼の斜め後ろの席に座った。



ただの妄想だ、物語に感化されすぎている。



そうわかっていても、私は彼の事が気になっていた。










最初の図書当番の日。

私は彼と同じ図書委員になったので、週に1回、彼と昼休みを過ごすことになる。



この頃には彼は私と違い、授業中も当てられたらちゃんと発表するし、必要最低限とはいえクラスの人とも会話しているのがわかっていた。



(そうだよね。私と同じ人なんか……。)



その事に何故かちょっとだけショックを受けたが、だからといってなにかある訳でもなく、少し緊張しながら私は図書室で彼を待った。





「櫻江さん、だったよな?よろしく。」


「……。」



すぐに来た彼は、私にそう短く挨拶した。

それに私は、ただ小さく頷くことしか出来なかったが、彼がそれを気にした様子はなく、本を取り出して読みはじめた。



(……私も、そうしよう。)



彼にならって私も、本を読みはじめる。

その時読んだ本は面白くて、私は自分がいる場所を忘れるくらい没頭してしまった。





「…櫻江さん。櫻江さん!」


「ひぁっ!!な、なんですか!?」


「もう予鈴鳴ったぞ?早く片付けて戻ろう。」


「えっ…?あっ、もうこんな時間……。」



彼に話し掛けられて、私は変な声を上げてしまった。

その事に気が付くと、中学の時の記憶が少しずつ蘇ってくる。

私は顔を俯かせて、彼に笑われることを覚悟した。


けど……。



「どうかしたか?ほらっ、行こう。」



「……え?」



彼はさっさと片付けを済ませて、再び声を掛けてくれた。



(笑わないの……?)



私は目を見開いて彼を凝視した。

彼はそれに首を傾げながら、『体調、悪いのか?』と私を気遣う。



私は慌てて首を振って、彼に言われるままに立ち上がった。



それから、教室まで私達は並んで歩いた。

その間に会話は何もなかったが、じんわりと心が暖かくなるのを感じたのを覚えている。



彼は、私を笑わない。

それから、私は図書当番の日が楽しみになっていった。









「あ、あの……、九重くん。」


「……どうした?」



彼はいつも本を読んでいるが、私が呼びかけるとどれだけ小さな声でも、顔を上げて話を聞いてくれた。



「私といるの、……嫌じゃない?」


「……ん?」



彼は考える素振りを見せた後、言った。



「なんか嫌になるようなこと、したのか?」


「しっ、してないよっ!けど……。」



彼は意地悪く笑いながら続ける。



「よかった。本に集中してる時に『バカ』とか背中に貼られてたらどうしようかと思った。」


「もう!そんなことしないもん!」



私が焦る様子を、彼は笑う。

けど、それは私を見下しているような笑いじゃなくて、とても優しい笑みで……。



「わかってるよ、櫻江はそんなことしないもんな。」


「あっ…ぅ……。」



『わかってる。』

彼は、ちゃんと私をわかってくれる。

本当の私を、彼だけが見ていてくれる。


そう思うと、顔が火が出るくらい熱くなった。










「じゃあ、ここを……櫻江。」


「はっ、はいっ!」



私は、先生に当てられて立ち上がった。



(大丈夫、九重くんだけは……絶対に私を笑わない。)



そう思うと、私に力が湧いてくる気がした。

九重くんがくれる、力が……。



「……です。」


「え?なんだ?」


「a《エー》です!」



叫ぶように答えた私に、教室が騒つく。

私は胸がギュッと締め付けられて、苦しくなった。

けど……。



「お、おぉ……正解だ。元気に答えてくれたな。」



その先生の言葉に、教室が穏やかな笑いに包まれる。

その笑いは嫌な感じがしなくて、力が抜けた私はストンッと席に座った。



(……九重くん。)



呆然としたまま彼の背中を見つめると、思いが通じたかのように彼は振り返った。



(……!)



彼は私に優しく微笑みかけ、小さく一度頷いた。



——もう私は、どうしようもなく彼に惹かれていた。








その後の図書当番に、私は遅れてしまった。

提出物を出すのを忘れていて、職員室に寄らなければいけなかったからだ。


私は浮ついた気持ちで、大切な時間を潰してしまった自分を呪いながら早足で図書室へと向かう。



ようやく辿り着いたそこで、彼はいつものように本を読んでいて……。




(……すごい。)




ふと素直に、そう思った。

彼のいる場所だけが切り取った名画のような、目が離せない不思議な魅力を放つ。



私は出来心でそっとスマホを取り出し、そのシーンを撮ってしまった。



(あっ……!)



私はついやってしまったと気が付いて、すぐにその写真を消そうとした。

隠し撮りがいけないことくらい、流石にわかっていたから。



それでも、写真の中の彼にも目を奪われ、私は結局それを削除することが出来なかった。



……それから、私は彼が本を読む姿を写真に収めるようになった。

会話をしていない時、私がたまに九重くんを見ていることに、彼は気付いていない。



本を読む彼の表情は、眉間に皺が寄ったり、ふっと頬を緩めたり、読む話によって変わっていて、それを可愛いと思った。




他の人には分からないくらい些細な違いかも知れないが、私が撮った写真の中の彼はどれも違っていて、1枚1枚がとても大切な思い出になった。






ある日、私は九重くんと教室に戻る途中、階段で躓いて転びかけた。



「ひゃわっ…!」


「おっ…と。大丈夫か?」



それを九重くんは私のお腹に腕を回して、支えてくれる。

私は彼が自分に触れてくれた嬉しさに、パニックに陥った。



「ご、ごめ……!私、えと……!」



そんな私に苦笑しつつ、私をちゃんと立たせると、九重くんは言った。



「前、見辛いんじゃないか?危ないぞ。」


「……はい。」



やっぱり優しく、気遣ってくれる九重くん。

彼がそう言うならと、私は髪を切る決心をした。







すると、欲しかった友達が手に入った。

けれど、私は思っていたよりそれを嬉しいとは感じなかった。



どれだけ他の人たちが褒めてくれても、九重くんがどう思っているのかの方が何倍も重要だったから……。



しかし、この頃から私と彼の間にすれ違いが生まれ出す。

また彼の近くに、と願った席替えは1番端と端の遠くになってしまい、教室で彼を眺めることも難しくなってしまった。




そのすれ違いで生まれた溝は少しずつ広がり、ついに彼に拒絶されてしまう。









「……翔太くん。」




大切な思い出達を眺めながら、私はあの物語のような日々を思い出し溜息を溢す。




あの頃のように、2人で……。

いや、もっともっと翔太くんに近付きたい……。



彼のおかげでちょっとだけ強くなった私は、欲張りにもなったらしい。



彼の1番は絶対に譲らないと、私は強く胸に誓った。

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