第3話「気付かぬまま」


「翔太くんは、……私にみんなの前で話かけられると困るんじゃない?」



「……どういう意味だ?」



俺がそう聞き返すと、櫻江は意外そうに言った。



「あれ、違った?翔太くんが私を避けだす前から、あんまり教室では話しかけて欲しくなさそうだと思ってたんだけど……。」


「……。」



俺はそれに、沈黙で答えた。

確かに、俺はなるべく周囲に櫻江と仲が良いことを知られたくないと思っていたから……。


そんな俺に、櫻江はまた困ったような笑みを浮かべて続ける。



「翔太くんが嫌がる事はしたくないけど……、最近は図書当番も避けられてるし、教室でお話するしかないよね。」


「……やめろよ。」



俺はそれを人目を気にせずに話し掛ける、という宣言に捉えて、櫻江を止める。

だが、櫻江は首を横に振った。



「ダメだよ。それじゃ、私と翔太くんがお話する時間がなくなっちゃう。……だから、私と取り引きしない?」


「……取り引き?」



俺は警戒しながら、櫻江の言葉を聞いた。



「そう。でも、取り引きって言っても大したものじゃないから安心して?……まず、翔太くんは図書当番を代わってもらうの禁止。」


「なんで櫻江にそんなこと……!」



『決められないといけないんだ。』と、俺が言う前に櫻江は『その代わり……』と付け足した。



「私は、翔太くんに関わらない。あっ、でも今日仲良しだって言っちゃったから、挨拶くらいはさせてね?」


「……。」



俺はそれを聞いて単純に考えれば、こっちに利がある提案だと思った。

なにせ、図書当番は週一回の昼休みのみ。

対して、櫻江は関わらないと言っている。


さらにもうすぐ期末試験なので、今学期の図書当番の残りは、明日1日だけなのだ。


櫻江がそのことに気が付いていない、とは考え難いが、このまま続けても帰りが遅くなるだけな上に、俺の方から提示できる妥協案が思い浮かばない。



「わかったよ……。」



引っ掛かりはあるが、俺はこの提案を呑むことにした。

櫻江はホッとしたように、肩の力を抜く。



「取り引き成立、だね。翔太くんは図書当番を代わってもらわない。私はみんなの前で翔太くんに関わらない。」



確認するように櫻江がそう言ったので、俺は頷く。



「ちゃんと、守れよ。」


「もちろん、翔太くんとの約束だもん。任せて?」



櫻江は自信たっぷりだったが、疑いは晴れない。

胸にモヤモヤとしたモノを残したまま、とりあえず話し合いはこれで終わった。










「はぁっ……。」



櫻江を教室に残して1人で学校を出ると、そこでようやく緊張状態から抜け出せた事を実感して、溜息を吐いた。



ただ、頭の中は櫻江のことでいっぱいで……。



(なんだったんだ、あれは……。前と全然違うだろ。)



まず、櫻江はあんなにハキハキ話す奴じゃ無かった。

最初は自信なさげに話すことも多かったし、親しかった時ももっと大人しい感じだったはずだ。



何が、櫻江を変えた……?



そんなの、決まっている。

俺が決別を告げたから、櫻江は変わったんだ。


そのことに、少しだけ胸がチクリと痛む。



(いや、そもそも俺は櫻江に何もしてないだろ。たまに当番で過ごす時間だけ、話をしてただけだ。…じゃあ、なんで櫻江は俺に執着する?性格に関しては、元からああいう本性だったとか……?)



考えれば考える程、櫻江の事はわからない。

それでも、俺は何とかして櫻江と離れないと、と結論づけるしかなかった。











次の日の昼休み、俺は重い足取りで図書室へと向かう。

櫻江は約束通り、教室で俺に話しかけてくることはしなかった。



だったら、俺も約束は守らないといけない。



そんな義務感と、今日が終われば夏休み明けまで図書当番がないことを自分に言い聞かせながら、何とか図書室にたどり着いた。




「……遅かったね、翔太くん。」



先に教室を出た事は知っていたので、櫻江が待っているとわかっていたが、いざ対面するとどうしても緊張してしまう。



「……悪い。」



俺はここで無視して櫻江を怒らせ、取り引きが無効になるのが怖かったので、小さな声で謝罪を口にした。


それでも櫻江は少し不貞腐れていて、頬を膨らませて俺に言う。



「久しぶりの翔太くんとの当番だから、すっごく楽しみにしてたのに……。」


「あのな……。」



ダメだ。

つい普通に櫻江と話をはじめかけたので、俺は口をつぐむ。


すると、櫻江はさらにムッと眉間にシワを寄せた。



「なに?ちゃんと言って欲しい。」


「大した事じゃない。遅れて悪かった。」



俺はそうはぐらかして、持って来ていた文庫本を開いた。

図書当番の時はだいたいこうしているので、別に不自然に会話を避けているようには映らないだろう。



……今日は試験勉強をしに来ている生徒が多そうだし、貸し出しもそんなにないよな。



いつもより利用者は多いみたいだが、こっちに用がある生徒もほとんどいないだろう。

櫻江の相手さえなければ、いつもより楽なくらいだと俺は考えた。




その櫻江の相手が、大変なのだが……。




「……なぁ。」


「どうかした?翔太くん。」



意地悪い笑みを浮かべて、櫻江が俺を見上げる。



「近くないか?」



櫻江は俺の文庫本を覗き込むように、身体を寄せて来ていた。

俺の肩に顎を軽く乗せ、手は太腿の上に置いている。



「そうかな?翔太くんが何を読んでるのか気になっただけだから、気にしないで。」



ついこの間、雑誌を見た時は赤くなって離れた癖にえらい違いだ。


(……今回はワザとだろ。)


そうわかっていても、恋人と間違われてもおかしくないような距離感で密着してくる櫻江を注意せずにはいられない。



「もう少し離れてくれ。誤解される。」


「いいんじゃないかな?誤解じゃなくしちゃえば。」



(こいつ、俺を揶揄からかってるのか?)



そう思うと同時に、櫻江の目は真剣なことに気付く。

この距離は不味いと思った俺は、自分から櫻江から離れた。



「照れなくていいのに……。」


「当番には来たんだ。人目があるんだから関わるなよ。」



俺は取り引きの話を持ち出したが、櫻江は『んー……。』と辺りを見渡し少し考えた後、再び俺が離した分の距離を詰めてくる。



「大丈夫だよ。みんな勉強してて、こっちなんか気にしてないし。」


「なっ……!」



そう言って、大胆にも俺の手に指を絡めてくる櫻江。

声を上げかけた俺に、櫻江は楽しそうに『しーっ。』と空いた方の手で自分の唇を押さえた。



「大きな声出すと、気づかれちゃうよ?」


「……離れてくれ。」



カウンターの端でこれ以上離れられなかった俺は、切実に願った。



「翔太くん、赤くなってる。」


「……気のせいだ。」



唇に当てていた人差し指を俺の頬にチョンっと当てて、櫻江がまた意地悪く笑う。




「……お前も、赤くなってるだろ。」




俺が咄嗟に仕返しのつもりでそう言うと、櫻江は恥ずかしそうな、はにかんだ笑みへと表情を変えた。




「……うん、自分でもわかるよ。私、すっごくドキドキしてる。」


「……!」



その櫻江の表情に、不覚にも心臓が跳ねる。

俺は櫻江から目が離せず、櫻江も俺の瞳を見つめていた。



(俺は今、どんな顔してる?)



頭に血が昇り、顔が熱い。

櫻江は熱に浮かされたような、ボーっとした顔をしている。

もしかしたら、俺も……。






「……やめてくれ。」




必死に自分の中の冷静な部分を掻き集めて、俺は櫻江の肩を押して身体を離した。

俺がそう絞り出すと、櫻江は寂しそうに笑った。



「……うん、ちょっと早かったね。それに、ここじゃ流石にこれ以上出来ないし。」


「ここじゃなくても、やめてくれ。」



櫻江が拗ねたように唇を尖らせる。



「翔太くんも、嫌じゃなかったんじゃない?」


「そんな訳あるか。」



俺の反応を照れ隠しと取ったのか、櫻江は『ふふっ。』と小さく笑った。




「それじゃ、翔太くんには何をしてもらおうかな。」



「は?」



櫻江が言った意味がわからず、俺は間の抜けた声をあげる。

櫻江は俺を見て、愛しいモノを見るように目を細めて微笑んだ。



「だって、翔太くんは私に引っ付いて欲しくないんでしょ?だったら、翔太くんの要求は『人がいる所で引っ付かない』っていうのが追加されるよね。」


「そもそも、人前では関わらないって約束だろ。」



櫻江はそれを、首を横に振って否定する。



「私はってちゃんと言ったよ?教室での話だったから、クラスの人の前でだと思ってた。」


「いや、人目があるところではどこもダメだ。」



意見の食い違いに、櫻江が困ったように眉尻を下げる。



「うーん、それじゃちょっと不公平になっちゃうかな。私はどこでも、翔太くんの側に居たいのを我慢してるし……。」


「……。」



確かに、俺の捉え方だと取り引きの不公平さは感じていたので何も言えない。

櫻江は考える素振りを見せた後、また提案してきた。



「それじゃ、翔太くんの方の捉え方にしよ。」


「……いいのか?」



俺が素直な櫻江を意外に思いながら聞き返すと、案の定『その代わり……。』と続けた。



「私の要求を追加してもいい?」


「……内容による。」



櫻江は2つ条件を加えた。



「翔太くんと会える時間は欲しいから、図書当番以外でも週1回は昼休みを私と過ごして?あと、連絡先を教えて欲しいかな。」


「……。」



連絡先は別にいい。

返事をすることが約束に含まれないなら。

問題は図書当番以外でも、か……。

それだとテスト期間中に会わないのは変わらないが、もう一回くらいは今学期中に櫻江と会うことになる。



「あっ、会う場所は翔太くんが指定していいし、連絡も絶対に誰かに見られるような時にはしないよ?」



櫻江の補足が効いて、俺はその条件も呑む事にした。



「……わかった。じゃあ人前では関わらない代わりに、週1回は当番以外で櫻江と会う。連絡先も教える。これでいいか?」


「うん、大丈夫。それじゃ、早速教えて?」



納得したように櫻江が頷き、連絡先を交換したので話は終わる。

櫻江はそれから、嬉しそうにスマホを眺めていた。


昼休みが終わりに近づいてくると、数人の貸し出しの処理をして、今学期最後の図書当番は終わった。



——この取り引きだと、人目さえ無ければ櫻江は関わってくるという事に気付かないまま。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る