第2話「不可解な彼女」


(あぁ、痛い……。)



櫻江を遠ざけた後の休日。

俺は部屋のベットから動けないでいた。


最近は落ち着いていた頭痛が、櫻江の変化に合わせるように酷くなったから……。



そのことからも、ぶり返した原因は間違いなく櫻江だろう。



(くそっ、なんだってんだ。)



櫻江のせいで、過去のトラウマが思い出された。

瞼を閉じると、櫻江があいつらと俺を笑っている姿が目に浮かぶ。


櫻江に対しては半ば八つ当たりのような感情だとは、わかってる。

それでも……。



(もう関係ないだろっ……!櫻江と関わらなかったら、きっとまた落ち着くはずだ……。)



俺は1人、改めて櫻江との決別を強く心に決めた。




——この時、俺はまだ櫻江 紗奈の本性をわかっていなかった。









週明け、クラスでの櫻江の様子は変わらなかった。

てっきり落ち込んだ姿を見せるのでは、と危惧していたが、櫻江は囲まれた生徒と笑顔で話している。




それにホッとしつつも念のために、俺はまたこの週の図書当番も隣のクラスの奴に代わってもらった。

そいつは多少なりとも櫻江に気があるみたいで、嫌な顔をせずに承諾してくれる。

そのことを有り難く感じながら、今度はずっと交代するようにお願いしてみてもいいかも知れないと思った。





(良かった、収まってきた……。)



1週間、何事もなく櫻江とも接点を持たずに過ごしていると、徐々に頭痛は収まってきた。

俺は頭痛がそこまで酷い症状ではなかった事に安堵し、やっぱりあの過去のトラウマが呼び起こされるのであれば櫻江とは関わらない方が良いと、再確認した。






そうして、もう大丈夫だと安心していた俺の考えが甘かったと思い知らされるのは、本来の図書当番がある前日の火曜日だった。







「え?今週はダメなのか?」



昼休み、いつもお願いしている木曜日の当番の奴に、明日の交代をお願いしに行くと、渋い顔をして断られた。

俺は先週まで快く引き受けてくれていただけに、驚いて聞き返してしまう。



「あぁ、悪いけど櫻江さんと当番だと気まずくてさ。」



櫻江と気まずい……?

告白して振られでもしたのだろうかと一瞬、勘繰るが、そいつは全く違う理由を話した。



「ずっと本読んでて話しかけても答えねぇし、何もしてねぇのに睨まれるしで、雰囲気が最悪なんだよ。前の時は、そんなことなかったのに……。」



(あの、櫻江が……?)



こいつが言うような櫻江の姿が、想像できなかった。

クラスに居る時も、俺との図書当番の時もそんな顔をしているのを見たことがない。

しかも、俺に拒絶される前はそんなことなかったって……?


釈然としない気持ちのまま、そう言われてしまっては仕方がないので俺は自分のクラスに戻ろうとした。







「……翔太くん、何してるの?」



「……!」



その途中の廊下で、俺は櫻江と鉢合わせる。

この間の事などなかったかのように微笑みを浮かべた櫻江に、なんだか背筋がゾッとした。



(なんで、そんな顔で話しかけて来やがるんだ……!)



表情だけ見れば、優しく慈愛の笑みを浮かべているのに、底知れない何かが隠れているような感じがする。


さらに最悪なのは、櫻江が1人ではなかったことだ。



「あれ?紗奈って九重くんと仲良いの?」



櫻江の隣から、クラスで特に仲がよさそうだった女子が口を挟んだ。

それに櫻江は、当然のように答える。



「うん。一緒に図書当番とかしてるもん、ね?」


「……あぁ。」



この状況で突き放すことは出来ずに、櫻江に合わせる。

俺の答えを聞いて、その女子は『へー、そうなんだ。』とあまり興味がなさそうに相槌を打った。




「……俺、戻るから。」



こうなればさっさとこの場を離れたかった俺は、2人を横切る。

しかし、櫻江はそんな俺を止めた。




「あっ、ちょっと待って。翔太くん。」



それを無視することは出来ず、俺は歩みを止めて櫻江達の方へと振り返る。

すると、櫻江はごく自然な笑みを浮かべてこう言った。



「図書委員の事で話があるから、放課後残っててくれる?」


「……。」




絶対に、用件は図書委員の事ではないのはわかった。


しかし、櫻江は友達と居て、さらに昼休みなので廊下に出ている生徒も多い。

人目を気にした俺は、それを断ることが出来なかった。



(こいつ、分かっててやってるだろ……!)



何も考えてないような顔をして、櫻江が首を傾げている。

あまり返事を遅らせられる状況でも、なかった。



「……わかった、残っとく。」


「うん、お願いね。……忘れちゃダメだよ。」



俺の返事に満足げに頷いた櫻江を忌々しく思いながら、今度こそ俺は教室に戻った。



(櫻江は何を考えてる?俺への仕返しか?)



俺以外の人との図書当番での態度、そしてさっきの人目を気にせず俺に接触してくる積極さ……。


俺は午後の授業の間、櫻江の意図がわからず頭を悩ませたが、これだけの情報で結論を出すことは出来ずに放課後を迎えた。








「良かった、残っててくれたんだね。」


「……。」



放課後、教室に入ってきた俺を見て、櫻江はホッとしたような表情でそう言った。


人前で話したくなかった俺は、一旦図書室で時間を潰し、櫻江と会うために教室へと戻ってきたのだ。

狙い通り、もう部活は始まっている時間なので教室に残っていたのは櫻江だけで、運動部のランニングの掛け声が遠くで聞こえる。


櫻江も帰っといてくれて、よかったのだが……。




「……何の用だ?」



机一脚分、櫻江と距離を取って問いかける。

櫻江は困ったように微笑んで、答えた。



「そんなに警戒しないで?私は翔太くんの味方だよ。……ただ、ちゃんとお話がしたかっただけなの。」



俺は、櫻江の言い分に苛立つ。



「断れない状況を、お前が作ったんだろ。」



櫻江はそれを、首を振って否定した。



「今日、廊下で会ったのは本当にたまたまだよ。だけどお話しないと、私が味方だって翔太くんに伝えられないし……。大丈夫、私には怖がらなくていいから、ね?」



「……。」



言う事を聞かない子供をあやすように、両手を広げて微笑む櫻江。

俺はそんな櫻江を……、不気味に感じた。



……なんでこいつは、笑ってるんだ?



例えば何とも思っていない相手からであっても、あれだけハッキリ拒絶されたのなら『もう関わりたくない』と思うのが普通じゃないのか?

それがある程度、好意を持っている相手からなら尚更、嫌になるか動揺していてもおかしくないと思う。



——けれど、目の前の櫻江は美しさを感じる程、穏やかに微笑んでいる。




俺の理解から外れた行動をする櫻江に、『警戒するな』なんて無理があるだろう。

さらに櫻江が続けて言った言葉で、俺の警戒心は跳ね上がる。






「辛かったよね?わかるよ。、翔太くんは今も苦しんでるもの。」





(あのせい……だって?)




一瞬疑問に思ったものの、すぐに俺の頭の中に、ひとつの出来事が思い浮かぶ。

俺は思い当たったそれに対して、カッと頭に血が昇り、櫻江に怒鳴った。




「なんで……なんで、お前が知ってる!?誰から聞いたんだ!!」




俺がそう聞くと、櫻江の目が見開かれ口角がさらに上がった。

歓喜している様を全面に押し出したその表情に、俺の背筋にゾクっと悪寒が走る。



「……やっぱり、あるんだ。」



櫻江がそう呟いてから、はしゃぎ出した。



「ふ、ふふふ……!やっぱり!やっぱり!!翔太くんを苦しめる、何かがあるんだよね?私から離れようとしたのも、そのせいだよね!?」


「なっ……!?」



櫻江は不気味に、この空気にはあまりにも似つかわしくない無邪気な声を上げる。



(櫻江は……、こんな奴だったか?)



俺は静かに話す、普段の櫻江とのギャップに唖然とした。



けれどもその驚きの中で、俺は櫻江の言葉をちゃんと聞いていた。

自分の予想が当たったかのような櫻江の反応に、気が付く。




「カマ、かけたのか……。」



俺の言葉に反応して、櫻江がピタッと笑い声を止める。



「……うん、ごめんね。でも、私は本当に気付いてたんだよ?ただ、確信が欲しかっただけ。」



得られた答えに満足しているようで、櫻江は目を閉じて胸を押さえた。



「……そんなこと知って、どうするんだよ?」



櫻江は目を開けて俺の瞳を覗き込むと、心から不思議そうに首を傾げる。



「翔太くんが私と離れたい原因だよ?つまり、それをてば、翔太くんの側にいられるって事だよね。……とっても大事な事だよ。」



「お、お前……!どうかしてるぞ!なんで俺にそこまでこだわるんだ?俺なんか放っといて別の奴と付き合えばいいだろ!」



櫻江は首を振る。



「私をちゃんと見てくれるのは、翔太くんだけ……。」


「そんな事ないだろ。もう櫻江の周りには、いつも人がいる。……他人ひとを惹きつける魅力が、櫻江にはあるんだ。」



櫻江を諭そうと呼びかけるが、櫻江は寂しそうに笑うだけだった。



「それも全部、翔太くんがくれたんだよ。……だけど、そのせいで翔太くんが離れちゃうなら、そんなのいらない。」



「櫻江……。」



このまま、関わりたくない俺とトラウマにまで踏み込みたい櫻江で話は平行線を辿ると思った。



俺が櫻江をどう説得するか考えていると、『ふぅっ……。』と櫻江が息を吐く。



「このままじゃ、お互いが納得できる結論は出ないよね。私は翔太くんには、時間を掛けてでも味方だってわかって欲しいし……。」



「……そうだな。それで、どうするつもりだ?」



櫻江は『仕方ないよね。』と呟いてから、言った。



「翔太くんは、……私にみんなの前で話かけられると、困るんじゃない?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る