地味な子が可愛くなりモテ出したので、俺は距離を取りたい。〜そんなの、許さないよ?〜

ちょくなり

第1話「俺と櫻江 紗奈」

困った事になった。



「それでね…、良かったら日曜日とか、一緒にどうかなって……。」



可憐な少女が目の前で頬を赤く染め、恥ずかしそうにしながら俺を誘う。

俺の返事を待つ間も、彼女はそわそわと落ち着きなく体を揺らしながら、視線を彷徨わせていた。



「えっと……。」


「あっ…、今週は忙しいかな?もう明後日だもんね。ごめんね、ずっと誘いたかったんだけど…、その、なかなかタイミングがなくって……。だ、だから、無理なら遠慮しないで言って?でも、それなら出来ればまた別の日に……。」



答えあぐねている俺に、彼女が週末切ったのであろうミディアムヘアの毛先を弄りながら、早口で捲し立てた。


その様子から、彼女の緊張と焦りがありありと伝わってきて、彼女が変わっていない事を実感する。



ただ俺はそれを時間の問題だと思っていて、その時を思うと辟易とした気持ちになった。

——だから、俺の返事は決まっている。



「悪い、ちょっと……。」


「うっ、ううん!全然いいよ!私が急に言ったのがいけないんだから!…そ、その、今週はあんまり、翔太しょうたくんと話せなかったし…。ごめんね?あっ…、そうだ。連絡先とか教えてもらえるなら……。」



断りの言葉すらまともに言わせてもらえない。

それだけ、彼女も必死なのだろう。




櫻江さくらえ…。」



俺はガシッと両手でこの少女、櫻江さくらえ 紗奈さなの両肩を掴んで話を止めた。



「…しょ、翔太くん?」



突然、俺に触れられて怯んだ表情で俺を見上げる櫻江。

加えて、男性を誘うなど慣れない事をしているせいだろう。

驚きで大きく開かれた瞳はすでに潤んでいて、どれほど彼女が勇気を振り絞ったのかを物語っていた。



それを差し引いても、俺も譲る事が出来ない。



「本当に悪い、俺は映画は1人で見る派なんだ。…だから、を誘ってくれ。」



「……。」



『別の男』とまでは流石に言えなかったが、櫻江は俺の彼女を拒絶する意思を察したようだった。





「……なんで?」





ガックリと項垂れた櫻江が、ポツリとそう溢した。

俺は罪悪感を押し込めて櫻江から手を離し、ハッキリと伝える。



「…櫻江と話すのは、楽しかった。けど、俺にそういうつもりは微塵も無かったんだ。勘違いさせたのなら、ごめん。」


「勘違い……?」



涙声でそう復唱して、大きく震えだす櫻江。


そんな彼女に、俺はさらに追い討ちをかける。

ここで、ハッキリさせておかないといけないから……。




「櫻江と、学校以外で会うつもりない。…だから、もう必要以上に関わろうとしないでくれ。」



「……っ!」



すぐに櫻江が啜り泣く音が聞こえ出したが、俺はもう何も言わずに彼女に背を向けて歩き出した。










櫻江との出会いは、高校の委員会活動だった。

高校1年で同じクラスになった俺達は、それまでに接点はなく互いの存在すらロクに意識していなかっただろう。


それが、同じ図書委員になったことで俺達の関係が変わりだす。





「……。」


「…櫻江さん。櫻江さん!」


「ひぁっ!!な、なんですか!?」


「もう予鈴鳴ったぞ?早く片付けて戻ろう。」


「えっ…?あっ、もうこんな時間……。」



初めて昼休みの図書当番を担当した日。

俺達は初めて話をした。


まだこの時は、櫻江も髪はいかにも伸ばしっぱなしのロングヘアで、事務的でぎこちない会話しかしていなかった。

しかし、回数を重ねる毎にお互い読書好きな事もあって俺達は段々と打ち解けていった。






九重ここのえくんも、これ読んだの?」


「あぁ、けっこう良かったぞ。」


「そうなんだ。ふふっ……。」


「なんだよ?」


「だってこれ、恋愛小説なのに…。」



週1回の当番も1ヶ月を過ぎる頃にはお互いに慣れてしまって、櫻江は少しずつ俺の前で笑うようになった。


普段教室では大人しく、ロクに友達もいなさそうな櫻江が俺の前では笑ってくれる。


そのことに、全く優越感を感じなかったと言えば嘘になるだろう。

俺がこの櫻江との時間を気に入っていたのは、間違いなく事実だった。



「いいだろ!別に俺が恋愛小説読んだって。」


「ふふっ、ごめんね?そうだよね。また九重くんのオススメの恋愛小説教えて?」



気恥ずかしさから俺がそっぽ向くと、彼女はそれも可笑しそうに笑う。

この頃には素直になれない俺の性格を、櫻江も分かってきているようだった。



「…それ、最後にヒロイン死ぬぞ。」


「あぁっ!私、まだ途中なのに…。九重くんのいじわる!」



俺が仕返しに物語のネタバレをすると、頬を膨らませて怒る櫻江。

俺に対する怯えた様子はすっかり無くなり、おそらく本来のからかいたくなる可愛らしさを、櫻江は俺に見せていた。




しかし中間テストが終わり櫻江との図書当番が2ヶ月ちょっと過ぎた頃、彼女が顔がちゃんと見えるくらいまで前髪を切ってきたあたりから俺の中にある不安が燻り出す。







「…悪い、遅れた。」


「……ううん、大丈夫だよ。」



俺が少し当番に遅れてきた事を咎めもせず、櫻江は何か言いたそうにチラチラと横目で俺の様子を伺っていた。



「…髪、切ったんだな。」


「え?えへへ、そうなの。」



俺の質問に嬉しそうにしつつ、さらに何かを期待するように櫻江は俺を見上げる。



「……似合ってる。」


「あっ…。うん、ありがとう!」



俺は櫻江から顔を逸らしつつそう褒めると、彼女はさらに喜色を帯びた声音で答えた。




——俺が視線を外したのは、恥ずかしさからではなく気まずさからだったのだが……。




櫻江はこの日は、俺の様子を気にした感じはなく普通に話しかけてきた。

けれども俺は、この時から櫻江とどうやって距離を取ろうかと考え出していた。




その原因は、教室で見たクラスメイトに囲まれる櫻江。

そう、暗い雰囲気と長い前髪で隠れていたが、彼女の容姿はとても整っていたのだ。


垂れ目がちな優しい瞳に、小さな鼻。

ふっくらとした唇に、ちょっと丸顔で幼く感じる。

加えて小柄な割に胸はあり、可愛い系の女子としては学年でも上位に入るだろう。



しばらく経つと、櫻江はクラスメイトに対してもよく笑うようになった。


女子は彼女の髪型で遊んだり、抱きしめたり……。

男子は彼女を冗談で笑わせたり、手助けを願いでたり……。



櫻江は自分に構うようになったクラスメイトに最初は戸惑っていたものの、徐々に溶け込んでいき、彼女の周りには多くの友人がいるようになった。


そしてそういった人間に対しても、からかいたくなる可愛らしさを見せるようになり、さらに彼女は人気者へと変わってしまった。



——きっと、櫻江もいつかあいつらと同じような人間になる。


いつしか俺はその思いを、櫻江に抱かずにはいられなくなっていた。







「あのね…、九重くんは、どんな髪型が好きなのかなって……。」



ある日、彼女はファッション雑誌を持ってきていて、髪型の相談を受けた。

彼女もこの頃には俺の態度が以前と違う事に気が付いていて、戸惑いながらも話しかけて来る。



俺はこの櫻江の様子に、少し安心感を抱いた。

……もう無理矢理、距離を取ろうとしなくても今以上に近づくこともないだろう、と。



「…櫻江は、長いのが好きなのか?」



櫻江が差し出した本を受け取り、パラパラと捲りながら聞いた。



あくまで以前のように近づきすぎないように、ただ必要以上に櫻江を傷つけない程度の態度で——。



そう気をつけたつもりなのに、櫻江は思いっきり顔を輝かせて、俺が開いた雑誌を覗き込んできた。



「えっとね、私はこのくらいがいいと思ってて……。クラスの女の子も、こういうの似合いそうって言ってくれてね?」


「……あぁ。」



2人で一つの雑誌を見ているので、肩が触れ合う程近くに櫻江がいる。

櫻江はそのことを全く気にした様子はなく、俺に見せたいページを開くためにさらに密着したせいで、櫻江の小さくない胸部の感触が腕に伝わる。



俺は無防備な櫻江に、戸惑いと腹立たしさを感じながら、彼女の話を聞いていた。



——どうせすぐに、俺以外の人間にもこうして懐くようになるだろう。



もしかしたら、すでにそういう相手がいてもおかしくない。

そして、いずれは周囲に馴染めない俺の事を見下すのだ。



「……櫻江、ちょっと近いぞ。」



そんな暗い感情を必死に押し殺して、なんとか櫻江と離れようと注意する。

すると、彼女は今密着している事に気が付いたように『あっ…。』と短く声を上げて、恥ずかしそうにパッと離れた。



「…ご、ごめんね。」


「いいよ。……ほら、このページだとこういうのいいんじゃないか?」



顔を赤くした櫻江とは対照的に、俺は淡々と雑誌を櫻江に返しながら、ひとつの髪型を指差す。

選んだそれに俺の意思はなく、ただ俺の意見が入っている事を誤魔化すように、櫻江の友人が勧めた髪型に似ている別の髪型を勧めただけだ。



それを櫻江は『やっぱりこういう髪型が…。』など独り言を呟きながら真剣な表情で眺めだす。



この話は終わっただろうと本に視線を戻し、続きを読もうとすると……。



「…あの!しょ、翔太くん!」



ぎこちなく名前を呼ぶ声に、俺は勢いよく顔をあげた。



「え、えへへ…。」



驚いた俺の顔を見て、櫻江が照れ笑いを浮かべる。



「その、私ね。一緒の委員会だし、翔太くんとはもっと仲良くなりたくて……。だ、だから、名前で呼んでもいいかな?」



俺は呆気に取られたまま、『あぁ…。』とそれに了承してしまった。

それに嬉しそうにはにかんだ櫻江に、自らの失敗を悟る。



(やっちまった……。)



俺が自身の失態を嘆いていることなど、櫻江は気付かずにさらに要求は続く。



「だ、だったら…、私の事も、名前で呼んで?」



俺は同じ誤ちは繰り返しまいと内心、躍起になって答えた。



「俺はあんまり他人ひとを名前で呼ぶの慣れてないから、今のままでいい。」


「そ、そっか…。」



あからさまに落ち込んだ様子で、無理に笑う櫻江。

俺が再び本に視線を戻した事で、この日の会話は終わった。









そして週明け、彼女は俺が指差した髪型と全く同じミディアムヘアにして学校に来た。

全体の印象が明るくなり、毛先がランダムに巻かれたその髪型は、ふんわりとした櫻江の印象によく合っていた。



朝から櫻江の元へ多くのクラスメイトが声を掛けに行く。

さらに垢抜けた櫻江を、遠目に褒める男子も少なくなかった。



(あぁ、これは時間の問題だな……。)



そんな中、俺は過去の失敗を思い出し、苦い気持ちでそれを見ていた。






——この週の図書当番は隣のクラスの奴に代わってもらって、俺が櫻江と話す事はなかった。




それからも俺と話す機会を櫻江が探っている事をわかっていながら、俺は彼女を避けた。

しかし金曜日の放課後になって、本に没頭していたせいでホームルームが終わった事に気づかなかった俺は、意図せず待っていた櫻江と2人っきりの状況が出来てしまった。




「……。」


「あ……。」



本を読み終わって櫻江がまだ残っている事に気付いた瞬間、俺はなるべく櫻江に視線を向けずに手早く帰り支度をはじめた。

……小さくとも声をあげた櫻江に気付いていないはずもないのだが、俺はこの時そんな事にも頭が回らず、早くこの場から何事もなく立ち去ることに必死だった。

櫻江と離れた席であることに、感謝すらしたかも知れない。





しかし、残酷にも櫻江は小走りで俺の元へと寄って来て声を掛けた。



「…翔太くん、ちょっとだけいい?」


「……なんだ?」



この近さで無視は出来ずに、心の中で舌打ちしてから櫻江の話を聞く。

恐らく、俺はしかめっ面をしていただろう。



「あ、あのね。ちょっと前に、翔太くんが良かったって言ってた恋愛小説あるよね?その映画が、もうすぐ公開されるらしいの……。」



俺はその言葉を聞いて続きを察し、(もう、ダメだ…。)と天を仰ぎたくなった。












「……。」



気がつけば、私はお家のベットで制服のまま寝転がっていた。

お母さんが心配していたような気はするけど何も言葉は入ってこず、ただただ天井を眺める。



外はもう真っ暗になっていて、普段は豆電球をつけていないと寝られないくらい苦手なのに、今はこの暗さが私を落ち着かせた。




(なにが、ダメだったの……?)




順調に距離を詰められていると思っていた、愛しい人との関係。

その関係は徐々に壊れだし、ついには拒絶されてしまった。




髪型が、好みじゃなかったのだろうか…?




前髪だけ切って後は整えただけだった時は、『似合ってる』って言ってくれた。

その時は本当に嬉しくて、もう少し頑張ればもしかしたら『可愛い』と言ってくれるかも知れないと思った。



そう、他のクラスメイト達のように……。



結局、1番そう言って欲しかった人からその言葉を聞けないまま、『関わらないでくれ』と突き放されてしまったが……。




「……どうして?」




私の言葉は、暗闇の中で誰の耳にも届かず消えた。

ただ、最後に辛そうな顔をして決別を告げた彼の言葉が、私の頭の中で思い起こされる。








(……あれ?)




消えない繰り返される記憶に打ちのめされていると、何かが引っ掛かった。

私はそれが、とても重要なことのように思えて、必死に彼との会話を思い出す。




翔太くんの行動、翔太くんの表情、翔太くんの言葉、翔太くんの声音……。




最後の会話だけでなく、翔太くんの態度が変わってきた頃からの記憶を懸命に探る。





そうやって、今では私にとって辛い記憶になってしまったそれらを巡り、……私は、辿り着いた。




(……翔太くん、…だった?)




私がそれに思い当たった時、細い一筋の光明を見出したかのような感覚を覚えた。



そう、彼の本心からの言葉なら私に対してもっと鬱陶しそうに、明確な嫌悪を浮かべていてもおかしくないのではないか?

しかし実際には、彼は私を気遣うような様子すら見せている。



『…櫻江と話すのは、楽しかった。』



これが本心なら、なぜ彼は私に関わるなとまで言ったのだろう?



(なにか、理由があるんだ……!)



私は確信を持って、翔太くんが私を遠ざけたのは彼の本意ではないと結論づけた。



(翔太くんを傷つけた何かがきっとある…。私は絶対にそれを許さない!)



例えば他の子が私と同じ立場だったとしても、絶対に気が付かない。

私だけが、気付いてあげられる。



(……私だけが、彼を救ってあげられる。)



そう思うと自然と力が湧き、笑みすら浮かぶ。




彼を救う。そして私と翔太くんは……。





立ち上がった私は、勉強机に置いてあるコルクボードにびっしりと貼られた彼の写真を眺め、ウットリとする。


いつの間にか入ってきていた月明かりが、写真の中の彼にスポットライトを当てるように降り注いでいた。




「待っててね、翔太くん……。」



私はその中の1枚をそっと手に取って、大事に胸に抱いた。

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