あ"ーーー。:゚(;´∩`;)゚:。
作者からの返信
朱風さま。
あー(っω<`。)
コメントありがとうございますー!
原罪病という名前がいいね。
禁断の果実を食べることで人は善悪を知った。
物事の判断がつくようになったからこそ、彼女は投薬をやめた。
周りの人が見えないものが見えたからこそ気付く大切なものがある。
それが正しいかどうかは、当人だけが判断すればいいことだと思う。
尊く儚い時間を共有するからこそ、そこには確かな愛があるんだと感じました。
作者からの返信
飛鳥 休暇さま。
さすが飛鳥さん!
コメントを読みながら、うんうんって頷いてました。
最近だと、オランダが自死に対しての解釈を広げて、子供も死を選択することが出来るようになったんだよね。
それを咎める人も居ると思うけど、本人にしかわからない苦しみってあると思って。
コメントありがとうございました。
切ない。
恋を知って、死に近づく。
それはもしかしたら、病気じゃなくてもそうなのかも知れませんね。
誰かを好きにならなければ、恋しなければ、自分ひとりの人生ならば、きっともっと人は己のために生きられるから、長生きもするでしょう。
でも、凪さんの仰る通り、長さじゃあない。
子供のまま終わる。好きな人に「綺麗だ」「かわいい」と言って貰えないまま終わる。そんな人生に意味があるのか。人生の中に意味を見出したいのなら、病気に抗うだけではなく、受け入れるのも選択肢に成り得るのかも知れません。そうは言っても、なかなか難しいものですが。
凪さんには美琴さんが神様に見えたのかも知れませんね。
そう言えば、「凪」と言う名前。風の吹いていない静かな状況を想像させますが、それが病気の進行を食い止めているときの彼女の状況と同じですね。そしてそれと対比するように、描写の中で風は泳ぎカーテンは波打っている。この辺りの、名前と病気と描写の対比が上手いなあと感嘆しておりました。
上手いと言えば
「原罪病?」
「そー」
「治るんだよね」
凪ちゃんはイエス
ここにイエスが入ってくるのも上手いなーと。
イエスは原罪を背負って死んだとされていますが、私としてはイエス本人のカルマを消化して死んだと思いたいですね。誰かの、不特定多数の人々の罪を、彼一人に背負わせるなんて狂ってますよ。イエスはイエスとしてやり遂げて死んだと思いたい。
個人的な原罪に対する思いですが、私はよくぞアダムとイヴは善悪の知識の実を食べてくれたと思います。そうでなければ、善悪も羞恥も知らずに裸でだらっと生きていたのですから。人間と呼ぶにはあまりにも堕落している。誠実さのない操り人形ですよね。
堕落と言えば、ルシファーが蛇に化けて善悪の知識の実を食べさせ、神の逆鱗に触れて堕天使になり、地獄に落ちてサタンになったとか。新約と旧約でその辺りがまるで違うのも面白いですよね。
——と、話が逸れましたが、人を好きになると言うことは正しいことだと思いました。たとえ罪と言われようとも。
大変楽しませて頂きました。ありがとうございました。
作者からの返信
詩一様。
コメントありがとうございます。
そして、凪ちゃんのお気持ちに寄り添ってくれて、大変嬉しいです。
詩一さんが作品を深く読んでくださって、意味を与えてくださって……作者としまして気付かなかったこと
たくさんありました!
(イエスのくだりとか!)
そして、聖書のお話。
イエスのお話。
詩一さんの知識の多さに感動です。
新約と旧約でけっこう解釈変わるんですね。
読んでみようと思います!
こちらこそ、こんなに楽しんで頂けて書いた甲斐がありました。
ありがとうございました!
儚い設定とラストの一文に、なんとも言えない溜息が漏れます★★★
作者からの返信
愛宕平九郎さま。
コメントありがとうございます!
溜息…!
感動を届けられたなら嬉しいです。