第一章 肉じゃが定食④


 やばい。  

 ――やばいのに、見つかった。


 初対面の、それもハイパースーペリアクラスのイケメン様を至近距離で目の当たりにしておきながら、罰あたりがすぎる感想だが。

 真っ先に浮かんだのは、そんな言葉だった。

 決してイケメンが苦手なわけではない。観賞用ならむしろ大歓迎だし、芸能人で好みな人だっている。

 だというのに、この、胸に押し寄せる言いようのない不安は、どうしたことか。

 どうしよう。

 このままここにいたら、捕まってしまう――って、誰に ?


「ごめんなさい間違えました」


 なんにせよ本能に従った私は、即座に彼に頭を下げ、店を飛び出そうとした。

 生成りのエプロンを着けているからお店の人だろうけれど、きっといかにもお金を持っていなさそうな私など無視してくれるだろう。

 そう期待していたのに。


「おっと。お待ちください」


 ぱし、と手首を摑まれて引き止められる。


「ランチのお店をお探しですか ?   だとしたら、間違いじゃありませんよ」


 イケメンは声までかっこいいらしい。

 耳に心地よい甘やかなテノールが鼓膜を震わせる。口調もごく穏やかで優しげだ。

 が、私はそれを聞いた瞬間、さっき痛みがおさまったばかりの心臓が、爆発したみたいにざわつき始めてしまった。冷たい汗までとめどなく流れ落ち、あちこちに垂れたらどうしようと変な心配までしてしまう。


「え、あの……すみません本当に違うんです」


 顔を上げられない。

 手汗、あの、マジ手汗すごいんで。イケメンに手汗つけるとか心苦しいんで、後生ですから放してください。外の空気吸ったらたぶんよくなります。

 脳内では、彼に解放してもらうための台詞せりふがテロップのように高速で紡がれているのに、口に出す前に喉のところで溶けていく。


「とりあえず、こちらへ」


 いつの間にか、私はひのきのテーブルのひとつについてしまっている自分に気づいた。

 イケメン様がご誘導くださったらしい。


「注文は構いませんから。体調が落ち着くまで休んでいってください」

「ご親切に……ありがとう、ございます……」


 ようやく声を出せたものの、頭の中ではさっきからしきりに、赤い文字が『一難去ってまた一難』という ことわざを明滅させている。どうしてこんなに彼から離れたいのか、自分でもさっぱり見当がつかない。でも、心臓はますます絞り上げられて苦しくなっていく。

 私は逃げたい一心で、もごもご「すみません、すみません、大丈夫ですから」と謝罪と言い訳を繰り返しながら、テーブルに手をついて立とうと試みた。

 だが、うまく力が入らず、ほどなくぺたんと座りこんでしまう。結果として、イケメン 様には余計に心配をかけてしまったらしい。


「お客様。ご無理なさらず」

「い、いえほんとお構いなく。今すぐ可及的速やかに出ます。注文もしないのにお店に入りびたるなんてありえませんし」

「僕は気にしませんよ ? 」

「私が気にするんですってば」

「ああ、……じゃ、落ち着いてから、昼食もこちらでられては。鏡をごらんになりましたか。ひどい顔色だ。そのままお帰しするのは、さすがに僕も気が引けます」


 なんだこのイケメン、ものすごく食い下がってくるんですが。いや、ご配慮ありがとうございます。それにしたって。


「むしろ渡りに船といいますか。幸いに、ここは薬膳の店なんです。からだ体の調子を整える飲み物や食事をお出しすることもできますよ」


 内心ぜんとする私の前で、にこやかかつ、やけになめらかに続けると、彼はちらりと背後のキッチンに視線を投げる。奥に誰かがいる気配はない。

 ということは、調理も彼が担当しているのか。見たところ、そんなに私ととしも離れていないだろうに、配膳やら何やらまで含めて全部一人で回しているならすごいことだと思う。一方でこの閑古鳥ぶり、心配にもなるけれど。


 しかし、どうにも本格的に居座る流れになってきた。

 私としては、なんでこんなに目の前のイケメン様が強引に引き留めてくるかが分からない。ひっきりなしに本能が訴えてくる「逃げなければ」という謎の焦燥もあいまって、すっかりパニックに陥ってしまった。


「け、結構ですってば ! 」

 ありったけの力を振り絞り、どうにか席を立つと、私は手を振る。

「や、薬膳料理 ?   かなんかっていうの、ぶっちゃけ嫌いなんです私 ! 」


「え」


 やんわりお断りする道を絶たれたと思い、つい、きつめの言葉になってしまう。

「だってほら、薬膳って、草っぽいし苦いしグロいし臭いし、ゲテモノ多いしで !   ヘンな漢方薬とかいっぱいだし、気分悪い時に食べ付けない中華料理とか逆にどうなのってい うか、とにかくそういうのちょっと無理なんで、ごめんなさい ! 」

 早口にまくしたててから、激しく後悔した。

 我ながらいくらなんでも失礼すぎるよ !   よりによって、さっき反省したばかりの偏見オンパレードの断り文句を並べてどうするの !?

 とはいえ、意表をつくことには成功したらしく。

 私のあまりの言いぐさにぽかんとする彼に頭を下げ、店を出ようとする。……純粋に心配してくれているだけの善良な人に、ホント申し訳ない。

 生涯寄りつかないので、どうか勘弁してください。なんなら店主さんが親切だったのでおすすめです、とか外食ナビサイトに五つ星のエア感想書いておきますから……。

 しかし。


「はい、ちょっと待って」


 ガシャン。


 ドアノブを引いた途端、その手ごとつかんで即座に押し戻され、顔から血の気が一気に引いた。比喩でなく全身のあながぶわっと開く。


「帰しませんよ。そこまで言われたら」


 凍りつく私のすぐ後ろ、耳裏に息がかかる位置から、低められた声がかけられる。ぎょっとした瞬間、くるりと身を反転させられた。


 ……そして、冒頭のドアドンに戻るわけである。

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