第一章 肉じゃが定食③


 ――と。

 その時。私はなぜか唐突に、すぐ目の前にたたずむ小さな建物が気になった。


 白い壁とオレンジ色の屋根は、先ほど見たばかりの大きな門とよく似ている。いかにも中華風、というあの感じだ。

 けれど、そこにあるのは、こぢんまりした規模のもので。おまけに玄関に、藍染めののれんが掛けてある。

 藍染めは純和風。建物は中華風。


 うーん。なんていうか、すごく、……ちぐはぐだ。しかものれんがかかっているのは、ノブつきの洋風ドアの前。

 のれんの上には、『白澤薬膳房』と、墨書きの木製看板が掲げられていて。陶芸教室の表にでも飾ってありそうな、これまた和テイストなしろものである。

 えーっと。しろさわ ?   やくぜんぼう ?   で、読み方合ってる ?    

 それにしても、薬膳、って。


「……なんだっけ ? 」


 ハテ、と私は眉根を寄せた。

 単語は聞いたことあるけど。……実態はなにか、いまいち分からない。持っているのは、「なんかこう、中華料理の種類だっけ」くらいの、お粗末きわまりない知識のみだ。

 漠然と、「薬くさそう」という勝手な偏見ならあるけど。あとは、「ゲテモノっぽいもの出てきそう」。カエルの姿焼、マムシ酒、豚の血のゼリーとか ?

 いや、イカンイカン。ろくに知りもしないクセに、ネガティブにあれこれ決めつけるのは、どだいよろしくない。


 とりとめもなく考えごとにふけるうち、謎の痛みはだいぶ落ち着いてきた。

 でも、ここに至るまでかなり気力も体力も削られてしまって、私はもう、今すぐどこかで一休みしたくてたまらなくなっていた。

 めちゃくちゃお高い店じゃないといいな、なんてこっそり願いつつ。まずはメニューを見せてもらおうと、私はふらつく足でのれんをくぐった。からんからん、と控えめにドアベルが鳴る。

 その瞬間だ。

 

 ――〝いくたび生まれ変わっても〞


 耳の奥で、誰かの声が聞こえた気がした。ぴり、と鼓膜が痛む。


 なに、……今の。


 どういうこと ?   私は一瞬、自分の状況がつかめず立ち竦んだ。

 お店の中はさほど照明が強くなく、どちらかというと薄暗い。

 そして内装はといえば、店の外で覚えた違和感が、さらに濃くなるようなものだった。

 うちっぱなしのコンクリートに、白い塗装だけ施したような壁。

 天井は、外観から予想したよりは高いけれど、同じくそっけない白一色に、裸電球がぶらさがっているのみ。床は灰色の石張り。

 そこに、ひのきの一枚板テーブルと椅子のセットや、奥のキッチンに面したカウンター席がしつらえてあるくらいで、他には何もない。

 花もポスターも皆無。飾りらしいものといえば、カウンターの上段に置かれた招き猫が、無機質なまなざしをこちらに投げかけているくらいだろうか。

 薬膳と聞いて、こう……東洋ならではのハーブっぽいものだとか、中華風な小物や雑貨だとかを無意識にイメージしていたことに気づく。

 むしろひょっとしてコレ、改装中だった……のかも ?

 勝手に入ってしまってはいけなかったかもしれない。邪魔しちゃ申し訳ないし、そうそうにおいとましよう。


「…… ? 」


 そう決めたものの、きびすを返す前に、私はふと首を傾げた。

 あまりに人の気配がしなかったからか、今の今まで気づかなかった。

 男性らしき人が、こちらに背を向け、カウンター席に突っ伏すように陣取っていたのだ。

 何も言わずに出ていくのは失礼だろうか、なんて私がちゅうちょしている間に、彼はゆっくりと身を起こし、振り向く。

 彼が額からきあげた髪が、日本人ではまず見ないような淡い色で、つい目を奪われた。

 そこでお互いに、ばっちりと目が合う。


「あ」


 私は、ぽかんと口を半びらきにしてしまった。  


 ――だって、見たこともないほどきれいな男の人だったから。


 白髪とは違う、本物のプラチナブロンドの髪なんて初めて見るけど、彼はそれを長めに 伸ばして顔の脇でゆるく結わえている。

 年齢は二十代の半ばくらいだろうか。髪と同じ色の長いまつが影を落とす、ピーコックグリーンの瞳。そして、白い肌。日本人というかアジア系ではありえない色彩なのに、不思議と欧米の顔立ちでもなく。

 けれど唯一、彼の相貌が文化や血統どころか理屈すら超えて、とんでもなく整っていることだけはよく分かった。

 背はすらりと高く、上はチャイナカラー風のネイビーのシャツ。モデル並みに長い脚は、細身のブラックデニムに包まれている。

  すいのピアスがついた形のいい耳まで、なにもかもが優美で。本当に男の人 ?   と一瞬 疑ったものの、肩幅の広さや節高な指などで、たぶん間違いではないと結論付ける。

 ……それにしても、ほんとにきれいな人だ。ちょっと怖いくらいに。


 とにかくその姿に〝当てられた〞私は、ぼうぜんと彼を見つめてしまった。

 相手もまた、私を見ていた。おまけに、なにか信じられないものと遭遇したかのような、 そんな表情で。

 いやでも、何をびっくりすることがあるんだろう。私は自分の容姿を思い描いてみる。

 中肉中背、タヌキ系の童顔、ボブに近いセミロングのくりで、まあ、はっきり言って普通オブ普通だ。今朝は寝癖で髪の毛が爆発してもいなかったと思う。

 がくぜんと開かれた形のいい薄い唇が、何かを呼びかけてくる。

 

 ――イ、ファ ?


 声には出ていなかったけれど、そんな風に動きが読みとれた。誰かの名前だろうか。

 しかし、その美しいグリーンのまなざしに捉えられた瞬間、私の背中いっぱいにぞわりと鳥肌が立つ。


 やばい。  


 ――やばいのに、見つかった。

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