第一章 肉じゃが定食⑤



 長く記憶を遡ってみても、現状をどうにかできるヒントはありそうもなかった。お手上げである。

 仕方がないので固まったままでいると、不意に、ふっと彼が身を離した。よかった、解放されるのだろうか……と安心したのもつか。私は、あれよあれよという間に、再び同じひのきの椅子に腰かけていた。

 呆然とはこのことだ。声も出せずにいると、いくぶんか不機嫌な色のついたテノールが 素っ気ない指示をくれる。


「とりあえず、これ飲んで」

「……なんですかそれ」

白湯さゆ。冷たい水だと、ますますきょかたよりますから」


 敬語は敬語だが、さっきよりもどことなくぞんざいな調子でそう言うと、彼はテーブルに湯気の立つ白いカップを置いてくれた。……キキョに偏るってなんぞ。


というのは、ざっくり言うところの生命エネルギーのようなものです。きょはマイナスのこと。気が足りなかったり巡りが悪くなると体調を崩す。まさに今の貴女あなたのようにね」


 私の疑問を先読みしたように彼が教えてくれるが、感想が「はあ」しか出てこない。生 命エネルギー……でございますかぁ。なんだか怪しさが増したぞ。

「あ、ありがとうございます……え、あの、でも、だから私、薬膳料理は苦手で」

「貴女、薬膳のこと何も知らないでしょう ? 」


「う」


 なおも敬遠しようとする私に、彼は目を細めて唇の端を上げた。

 なんだろう。

 きれいなのに、彼の持つ見慣れない色彩もあいまって、どこか人間離れした、ゾッとするような笑みだった。

 とはいえ薬膳なるものについて、知りもしないのにデタラメを口走ったのは事実だ。

 図星を指されて縮こまる私に軽くため息をつくと、彼は「知っていれば、さっきみたいな台詞は出ないでしょうし」と肩をすくめた。私はされつつ問い返す。

「さっきみたいな台詞 ? 」


「そもそも、薬膳の膳は料理という意味。薬膳料理、では重言ですから。あとは、薬っぽいし草っぽいし苦いしグロいし臭いし、ゲテモノ多い ?  変な漢方薬がたくさん入っている ?   でしたっけ ? 」


「えー……あ、はい……」

 言ったわ。ほんとごめんなさい。  

 ますます萎縮する私に、彼はさらりと続けた。

「まあそこまではいいんですけどね」

「いいの !? 」

 思わず素で突っ込むが、「ええ、一度実物を見れば解ける誤解なんて、たいしたものじゃないんで」と、彼はにべもない。

「それよりも僕が許しがたいのが、『食べ付けない中華料理』という部分です」

「そこ !? 」

 むしろ、その一点だけは間違いじゃないと思っていた。

 状況も忘れてあっけにとられる私の前で、彼は長いひとさし指をすいっと立てる。

「いいですか。薬膳っていうのは、ですね」


 そもそもは、――病を未然に防ぎ、健康を保つための食事法の総称。


「だから別に、中華料理とは限らないんですよ」

 その言葉に、私は思わず問い返した。

「え。……そ、そうなの ? 」

「あと、字面に薬と入っていますが、別にヘビを煎じたスープやら、得体のしれない生薬の浮いたかゆやらが出てくるわけでもありませんから」

「はあ……」

 なぜ私は、いきなり会ったばかりのド級イケメンお兄さんに、薬膳料理……じゃなくて、薬膳、だけでいいんだっけ…… ?   の講釈を受けているのだろうか。

 ぼけっと話を聞く私に、彼はもうひとつ付け足した。

「その証拠にここ、別に中華料理屋じゃないですし」

「ええっ、違うの !? 」

 白澤薬膳房、って書いてあるから、てっきり中華のゴハン屋さんかと思っていた。

 中華街にあるし。

「まあ、薬膳の茶菓や食事を出すカフェを兼ねたしょくどころです。うちのベースは和食ですよ」

「和食……」


 にわかに信じがたい。


 なぜに中華街で、あえての和食。

 そして正直に言わせてもらうと、この店、和っぽい要素はゼロである。店の外観も派手だし。頑張ってそれらしいものを探すとしたら、表にある墨書きの木製看板と、藍染めののれんくらい ?   ひのきの一枚板のテーブルセットも、まあらしいっちゃらしいけれど。

 なにせコンクリ打ちっぱなしに白塗りオンリーの店内だし。目の前にいる店主っぽい人、中国人どころか外見の国籍が不明すぎるし。


 私のろんなまなざしを受けたイケメン様は、もうひとつため息を追加すると、白湯を指さして「とにかくそれ飲んでおとなしく待っててください」とくぎを刺してから背を向けてしまった。

 完全に勢いにまれてしまい、キッチンに消えていく彼をおとなしく見送る。

 今のうちに逃げるべき ?   と迷いもしたが、ふと肩にかかっているブランケットに気づいて思い直す。私のものじゃないので、彼の仕業でしかないわけだけど……。

 彼を見た瞬間に覚えた謎の恐怖というか、生存本能的な忌避感は、相変わらずジャコジャコとロックに警鐘を鳴らしていたが。

 受難体質なんて長らくやっていると、おのずと誰かのお世話になることも増える。そのぶん、ひとさまの厚意にはできるだけ誠実に報いたい、というのが、私なりの信条なのだ。


 悩むことしばし。生存本能は信条に負けた。

 言われたとおり、私はカップに口をつける。おなかにじんわりみるあたたかさだ。お蔭で少し落ち着いてきたので、キッチンの方から響く音に耳を傾けてみた。

 包丁がまな板をリズミカルにたたく音から、かたかたと鍋をコンロにかけて火をける音。 ジュウジュウとおいしそうなそれが続いた後、間もなく香りが場に加わる。


 ……あ。これは。

 おしょうだ。あと、ゴマ油。


 炊飯器を開けたのだろうか、ふわんと炊きたてごはんのにおいもする。  日本人のDNAに組み込まれたといっても過言ではない、安心感のあるそのラインナップに、私はほっと肩の力を抜いた。


「お待たせしました。どうぞ小娘さん」


 かたん、とテーブルに置かれたお盆の上の料理を見て、私は思わず目を丸くした。


「……え ? 」


「何か ? 」


 お盆を指さして顔全体でげんさを示す私に、イケメン様は片眉を上げてみせた。

 っていうか料理にビックリして聞き流したけど、今、さりげなく「コムスメ」呼ばわり されなかった ?  いや、そんなことより。


「だ、だって今までの話の流れだと、薬膳 ?   を作って出してくる感じじゃなかった ? 」

「ですから、これが薬膳」

「うそっ !? 」


 私は叫んだ。


「これ……普通に、ただの肉じゃがだもの ! 」

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