第108話 二人の選択 ②


(……ここ、どこ?)


 ふと目を覚ますと、姫奈は、どこかの木陰にいた。花々が揺らぐ草原の中、木にもたれかかりながら眠っていた姫奈は、ゆっくりとあたりを確認する。


 まるで春のような陽気な景色。そこは、まるで天国みたいに暖かくて優しい場所だった。


 いや、ではなく、本当になのかもしれない。


(私……死んだんだ)


 見覚えのないその場所に、姫奈は再び目を閉じ、また涙を流した。


 ショッピングモールにいた人たちは、どうなっただろう。皇成くんは、ちゃんと逃げられた?


「ふ、ぅう……ッ」


 死んでも尚、爆弾を止められなかった後悔が、深く深く姫奈の心を蝕んだ。


 止められるはずだった。

 いや、止めなきゃいけなかった。


 自分には、それだけのがあったのだ。

 それなのに──


「ふぇ、ぅ……助け……られなかった……ッ」


 矢印様がついていながら、何も出来ず多くの人を犠牲にした自分に、姫奈は酷く自分自身を追いつめた。止まらない涙は、ひたすら頬を伝い、真っ白なワンピースの上に流れ落ちる。


 だが、その時──


「全く、なにを泣いているのですか?」

「……!」


 瞬間、誰もいないと思っていたその場所に、突如、声が響いた。姫奈が顔を上げれば、そこには、銀色の長い髪をした猫耳の女が、ふよふよと空に浮いていた。


「え、誰……?」

「初めまして、碓氷 姫奈さん。私は――です」




 ◇


 ◇


 ◇




 スィーと、独房の中を紙飛行機が横切る。


 3畳ほどのその独房は、一般的な牢獄とは違い、とても明るく清潔感に溢れた部屋だった。


 いくら囚人といえど、衣食住はしっかり提供される。中には、独房の方が快適だからと、あえて罪を犯す者だっているくらいだ。


 部屋の中に一人。津釣つづりが作った紙飛行機は、頭上高くまで上がると、その後、ゆっくりと旋回し、壁にぶち当たった。


 狭い部屋の中では、あまり長くは飛べない。


「津釣」

「……!」


 すると、その瞬間、独房の外から声が聞こえた。

 施錠された扉の横には、A4サイズくらいの小さな窓があった。そして、そこから聞こえた声は、あの事件の当日、最後に自分を取り調べた刑事の声。


「こんにちは、刑事さん。警部には昇進できた?」


 紙飛行機そっちのけで、小窓まで歩みよった津釣は、その後にこやかに笑って、その刑事――たちばな 昌樹まさきに声をかけた。


「俺の嘘を見抜いたあと、あの短時間でモール内の客を全員避難させたんだってね。すごいなー。まさにヒーロー。昇進まっしぐらって感じだね」


「俺はヒーローでもなんでもない。なにより、客を避難できたのは、モールの従業員たちが、定期的に災害時のマニュアルを確認して連携が取れていたからだ。それに、避難する客たちも、お互いに助け合いながら避難していた」


「へー、あくまでも謙遜するんだ。まーいいけど……それより、ひとつ聞いていい? なんで俺が作った爆弾がだったことになってんの?」


 にこやかな津釣の視線が、急に厳しくなった。確かに、世間に公表された話では、爆弾はことにされていた。


「俺の作った爆弾に不備はないよ。爆弾が、爆発しなかったのは、が、爆弾を止めたからだ。それなのに、爆弾の出来が悪かったみたいな言われ方されたら、たまんないんだけど。オマケに犯行のまですり替わってた。真実を捻じ曲げて報道するのが、警察のやり方なの?」


 射抜くような津釣の視線が、橘に突き刺さる。

 津釣のいう犯行の動機とは『人々の代わりにリア充を爆発させた』というものではなく、当初言っていた『爆弾をつくったら、使ってみたくなった』という嘘の証言。


 確かに津釣の言う通り、事件の概要は真実とは言い難い。だが……


「爆弾は不発だった」

「だから、違うって言ってんだろ!」


 ドンッ!──と、窓越しに津釣の拳が響いた。だが、強化ガラス製の牢獄の窓は、津釣の手に痛みを与えただけで、橘には届かず。


 その後、苦虫を噛み潰したような顔をした津釣は、また不敵に微笑んだ。


「あぁ、なるほど……爆弾は不発だったことにしたいわけだ。それに、俺の動機も世間に公表したらマズイってことかな。まぁ、そうだろうね。今まで、どれだけの人間が、をいってきたのか。でも、そんな生ぬるいことやってるから、いつまでたっても、世の中は良くならないんだよ」


 人は、軽率の"呪い"の言葉を吐く。


 軽々しく『死ねばいい』と誰かを攻撃して、簡単に『死にたい』と自分の命を軽んじる。

 

 その軽率な言葉の裏で、日々、どれだけの人間が命を落としているかも知らずに


「言葉の重みも命の尊さも、誰が教えてあげなきゃ、人は気づけない」


「そうかもな。でも、お前のやり方は、どう考えてもだろ」


「……!」


「生きることは、考えることだ。言葉の重みも、命の尊さも、生きながら考えながら、少しずつ学んでいくものだ。結局のところ、本人が気付かなければ、何の意味もないんだよ。どっかの偉い教授が延々と説教をたれながしても、お前さんが多くの人々の命を犠牲にしても、世界は変わらない。自分で気付こうとしない限り、人は変わらないんだ。なにより、命を犠牲にしていい正義なんて、あっていいわけないだろ」


「……っ」


 窓越しに視線がかち合えば、その厳格な瞳に、津釣はたじろいだ。根本的に考え方が違うのかもしれない。この刑事とは

 

「……ふーん、そんなの俺にとっては、ただの綺麗事にしか聞こえないよ。自分で気づくのを待ってたら、これこそ変わらない。誰かの犠牲があってこそ、初めて人は考えるんだろ。特に、考えることを放棄して、惰性で生きてる今の人間たちは」


「…………」


「ふ……まぁ、いいよ。どんだけ喚いても負け犬の遠吠え。今回のゲームは、完全に俺のだ。今は大人しく、爆弾作ったら使いたくなって、肝心な時にヘマやらかしたマヌケな犯人を演じておくよ。爆弾を不発にしたい理由もわかったしね」


「……!」


「大変だね、刑事さん。守るために嘘も付かなきゃならない。まぁ、気が向いたら、また会いにきてよ。ここは退屈すぎて、折り紙、すぐになくなっちゃいそうだから」


 すると、津釣は橘に背を向け、紙飛行機の方に歩き出した。それを見て橘の側にいた金森は


「危険なやつですね。改心するでしょうか?」

「あの調子じゃ無理だろうな。どの道、津釣が変わる気にならなきゃ、誰の言葉も響かない」


 だが、それでも、根気よく向き合っていかなきゃいけない。彼が、変わる気になるまで──


 

 ◇



 橘と金森が、その場を後にすると、狭い独房の中では、また紙飛行機が旋回していた。


 津釣は、それを見つめながら、碓氷 姫奈のことを考える。


 彼女は、6本のコードの順列を導き出した。

 46,656通りもあるうちの、たった一つを。


 そして、隠された【赤】と【青】のコードがダミーだと気づいた上で、パソコンと繋がった【黒】と【緑】のコードのうち、正解である【緑】を引き当てた。


 だが、そんな芸当、には、絶対にできない。


「不発にしたかったのは、あの女を、守るためか」


 特別な力を持つ者は、人々に狙われ、悪用される危険性がある。だから、警察は爆弾は不発だったことにして、彼女を守った。


 つまり、彼女には──ある。

 普通の人にはない、特別な何かが……


「あの女……やっぱりか」


 壁にぶつかり、落ちた紙飛行機を拾い上げると、津釣は、またその紙飛行機を頭上へと掲げた。


「ここを出たら、会いに行ってみようかな、姫奈ちゃんに」


 スィーと、また紙飛行機が独房の中を横切る。


 そして、その紙飛行機は、ゆっくりと旋回し壁にぶち当たると、その後、一気に急降下し、独房の床へと落ちていった。

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